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日記・コラム・つぶやき

2022年8月21日 (日)

ひとまず元気になりました。

 どうも、ケーンです。

 前回の記事はかなり暗い内容ですみませんでした。不快に感じた方がいたらごめんなさい。

 タイトルのとおり、ひとまず元気になりましたので、簡単にあれからのことを書いておこうと思います。

 あの記事を書いた後、結局ほとんど眠れませんでした。次の日の火曜日は普通に出勤して仕事はしましたが、心は落ち込んだまま。たぶん終始表情も暗く、声にも力がなかったと思います。同僚が声を掛けてきてくれても、仮初の笑顔で短く返事するのが精一杯でした。定時で退社したかったけれど、仕事が残っていたので2時間ほど残業。帰宅したら母が用意していた夕食を食べて自分の部屋へ。セキセイインコのレトはもう寝ていたので、遊べませんでした。

 睡眠薬を飲みましたがその夜もやはりよく眠れず、翌日の水曜日は朝、起きるのに苦労しました。きつかったけれど何とか身支度を整えて家を出ました。ところが、JRに乗った途端、爆睡。降りるべき駅で起きることができず、通過してしまいました。はっ、と目覚めた時には車窓の外は見知らぬ景色。慌てて降りた駅は、新しいボールパークが建設中で話題の街でした。

 

「…せっかくここまで来たなら、ちょっと新球場見てみたいな」

 

 ふと湧いた誘惑に負けて、私はホームから出ました。残念ながら駅から新球場は見えませんでしたが、構内には新球場の紹介パネルが並んでいました。何となくそれを眺めているうちに、気づきました。

 

「あれ、俺、何かすっきりしてるな」

 

 JR内で十分に睡眠を取れたためか、それともこれが噂のBIGBOSS効果というやつか。とにかく心が軽くなっていました。

 職場の同僚に、寝過ごしたことと今いる駅を連絡。せっかくだからとお土産を買ってから、反対方向行きのJRに乗りました。職場に着くと、当然のように同僚は心配していたので、軽く謝ってお土産を渡しました。上司(係長は休暇だったので、課長です)も「大丈夫?」と声を掛けてきましたが、「大丈夫です」とはっきり笑顔で答えることができました。

 その日は普通に仕事ができて、定時に帰宅。久しぶりにレトと遊び、癒され、気持ちよく眠りに入ることができました。

 翌日、木曜日。出勤すると、休暇明けの係長から「ちょっと面談させて」と個室に連れていかれました。「面談」と言いましたが、その実は「説教」でした。前日の遅刻という名の小旅行についても「けしからん」みたいなことを言われましたが、はっきり言って「知るか」ってな気分でした。寝て起きたらその駅にいたんです。そのおかげで回復できたということは、それが必要な睡眠だったということ。まあこれはわかる人にしか理解できないので、適当に聞き流しました。

 他にも色々言われました。仕事を溜めるな(←期限のある仕事はぜんぶ処理してますけど?)、予算がないからもう残業するな(←だったらこの事務量の多さを何とかしろ)、今月はもう外勤(家庭訪問)するな(←今月は40件家庭訪問しないといけない。来月も30件程予定がある。来月に70件行けってこと?)、等々。

 もうね、理解しましたよ。ああこの人、私のことが気に入らないんだな、と。

 決定的だったのは、その日の夕方のこと。

 私は性分として、一つの作業に集中すると周囲の雑音が聞こえなくなります。なので、電話が鳴っても気づくのが遅い。気づいて取ろうと思った時には他の若い同僚が抜群の反射神経で取ってしまうので、結果として、私が電話を取ることはほとんどなくなっていました。それが気に食わなかったのでしょう。係長が言いました。

 

「耳悪いの?」

 

 は?

 いや配属されてから今まで普通に会話してきたし、そんなわけないでしょう?

 この台詞にはさすがに気分を害しましたね。周りに人がいる中で、でかい声で。もう私に「聴覚障害者」のレッテルを貼ろうとしているとしか思えませんでした。どんなに贔屓目に見ても失礼ですよ。侮辱です。

 落ち込んだりはしませんでしたけど、不愉快でした。その日はある事務処理の締めが近いこともあり、大量の決裁を抱えた係長は残業してました。私も仕事が残っていましたが、とても一緒に残る気にはなれず、さっさと帰りました。

 翌日の金曜日には夕方に係会議がありました。毎月やってるこの会議の時には、慣例で係長が全員にケーキを振る舞うことになっているのですが、私は「お腹の調子が悪いから」と言って遠慮しました。

 もちろん嘘です。

 

「あなたのご機嫌取りは断固拒否します」

 

 これが本音。係長は気づかなかったようですが、それでも構わない。私の心がスッとした。これが大事。

 その日、係長は定時で帰りました。私は仕事が溜まっていたので1時間残業。課長が帰り際、「残るならちゃんとつけてね(=残業代請求してね)」と声を掛けてくれました。でもできません。だって「仕事を溜めるな、でも予算がないから残業はするな」と命令されているのですから。今後私は、仕事が溜まるたびにサービス残業をすることになるでしょう。それが命令ですから。公務員は、上司の命令に従わなければならないと法律に書かれているので、違反すると処罰されてしまう。

 これが現実。役所はブラックです。

 まあそれはさておき、愉快ではありませんでしたが、メンタルはひとまず回復しました。落ちていたら、無礼に対して怒る気力もなかったでしょうからね。それに、私の仕事を評価してくれている人は、係長のほかにもいますし。

 ここで基本。

 

 他人を変えることはできない。

 

 係長が私を気に入らないのはわかりましたが、基本に則れば、それを変えることは不可能だし、変えようと努力することは無駄です。だからそれはしない。私は、私の仕事を、自分にできる最善のやり方でやるだけ。直属の上司ですから関係を断つことはできませんが、心理的に距離を置き、必要最低限の接触で済ませることはできる。

 そうやって自分の心を守りながら、がんばっていこうと思います。

 それではまた。

 ケーンでした。

2022年8月15日 (月)

うつ再発を防いだ…つもりが。

 それは、先週月曜日の朝、通勤途中の駅のホームでのこと。

 不意に、心の糸が切れました。そうとしか表現できない感覚で、「あ、ダメだ」と私は電車に乗らずに帰宅。休暇を取りました。

 良くない兆候だ、と思いました。切れた心は「無気力」へと向かっている。このままだと「うつ」が再発すると思い、病院に受診の予約。次の日も休暇をもらい、病院へ行って主治医に相談しました。

「疲れが溜まってるね」

と主治医は言いました。主治医と話しているうちに、自分にもわかりました。

 配属されて間もない仕事。以前に経験があり、やりがいを感じているとはいえ、物理的に忙しかった。

 母がうつ傾向にあり(認知症はしばしばうつ症状を併発します)、日常の家事に加えて母の心のケアもしなければならず、心理的にきつかった。

 妹一家が新型コロナにかかり、外出ができなくなったため、代わりに日用品の買出しをした。毎日ではなかったが、体力的に負担になった。

 そんなこんなで自分でも気づかないうちに疲労が溜まり、ブレーキがかかったのだと。

「どうする? 一番いいのは、しばらく休養することだけど」

 そう主治医は言いましたが、せっかくやりがいのある仕事についている今、数週間とか数ヶ月とか、長期の離脱は避けたいという思いがあり、主治医と話し合った結果、その週いっぱい休むこととしました。

 職場に連絡して事情を話すと、上司は理解してくれ、同僚も受け入れてくれました。

「急ぎのものがあればやっておきますね」

と、力強い言葉をもらい、ああ職場に恵まれたなぁと感謝しつつ、私は休養へと入ったのでした。

 とにかく睡眠時間が足りてない、と指摘を受けた私は、徹底的に休息しました。その時すでに目や耳から情報が入ってくることにしんどさを感じていたため、テレビもスマホも封印。歌詞のない映画音楽を聴きながら、睡眠を取って気力・体力の回復を待つ。2日ほどすると、回復を実感できたので、少しずつ、好きなことをしてリフレッシュ。そうして時間が経つごとに気力・体力が戻ってきて、散歩や買い物にも行けるようになりました。

 よかった。「うつ」に陥らずに済んだ。

 週明け、つまり月曜日の今日、すっかり元気とやる気を取り戻した私は、はりきって出勤しました。

 職場は私の復帰を暖かく迎えてくれました。そして渡されたのは、処理が必要な書類の束。何しろ1週間も休んでいたのですから、仕事が溜まって当然です。緊急のものはやってくれていたとはいえ、そうでないものは溜めておかれました。みんな自分の仕事がありますから、それは当然のことで、私も承知の上でした。

 とにかく今日は、溜まった仕事を整理し、片付けること。そう思って取り組み始めた…のですが。

「あれ、やっておきました」

「ああ、ありがとうございます」

「これも処理済です」

「すみません、助かります」

「これやっといたから。残りは今日、私が片付けます」

「えっ?」

 いや、今日、私いるんですけど? 私の仕事では?

「この書類もずいぶん溜まってたから処理しておいたよ」

「あ、えと…」

 いや溜めてたのは事実だけど、それはこの1週間で溜まったものではなくて…そもそも処理を急ぐ書類じゃないし…。

「あとね、あれもだいぶ溜まってたから、みんなでやっといた。これからは溜めないよう、すぐに処理してね」

「あ、はいすみません…」

 それも特に期限が決まってない書類で、他に優先すべき書類があったから後回しにしておいただけなんだけど…。

 そして。

「ケーンさん、この仕事、私が引き受けていいですか?」

「え? あ、それは今日、やろうと思ってたやつだけど…」

「ちょっと時間がかかると思うんですよ。ケーンさんには他にやってもらいたい仕事があるので、これは私がやります」

「いや、でもそれは相手側との話し合いも必要な案件だし、私がやったほうが…」

「係全体の仕事のことを考えて言ってるんです。これは私がやります。いいですね?」

 そう言われてしまえば、反論はできませんでした。

 そうして私の手元に残ったのは、比較的簡単な事務処理だけ。量が多くて整理は大変ですが、作業自体は単純なものです。

 たぶんみんな、私の病気を気遣ってくれているのでしょう。できるだけ負担がかからないように、と。

 しかしその時、私の心に棲む悪魔が囁きました。

「こいつらはお前を『仕事ができないやつ』だと思ってる。だから単純作業ばかり任せたんだ」

と。

 さらに囁きは続きます。

「見ろ、こいつらはきっとこう思ってるぞ。『こんなに仕事を溜めて、こいつには仕事は任せられない』と」

 その囁きに、私は抗弁できませんでした。

 なぜなら、その「溜まっていた仕事」は、別段急ぐものではなかったからです。私は仕事に優先順位をつけて、緊急性の高いものから順次処理していた、つもりです。そして、仕事を故意にさぼっていたつもりはない。結果として優先順位の低い仕事が溜まっていましたが、それは極論を言えば年度内に処理すればいいもので、期限が決まっているものではありません。

 仕事が遅かったかもしれない。優先順位のつけ方が間違っていたかもしれない。他の人から見れば「溜めすぎ」だったのかもしれませんが、それならそれで、急いで処理するように言ってくれればいいだけではないでしょうか? そうすれば、私は残業してでも処理します。わからないことがあれば調べるし、聞くけれど、自分でやります。それをなぜ、代わりにやってしまうのでしょう?

 それは、「あなたには言っても処理できない、その能力がない」と言っているのと同義ではないでしょうか?

 被害妄想? そうかもしれない。でも、私にもちっぽけなプライドがあります。いっぱしの大人で、人並みに仕事ができるつもりでした。「うつ」という病気が発症してさえいなければ、自分もやればできるんだ、と。

 実際、配属されてまだ4ヶ月ですが、期限に間に合わなかった仕事はありません。大きなミスもしていない。細かいミスはありましたが、事後処理はきちんとできていたはず。だからやればできる、というプライドがあった。

 離脱していた1週間、代わりに処理してくれていたことはありがたいし、復帰してからも気遣ってくれるのは嬉しいことです。

 でも。

 この対応に、私のちっぽけなプライドはズタズタに引き裂かれました。表面では平静を装っていましたが、内心は穏やかではありませんでした。自分は「仕事のできない人間」なのか。周りからそう思われてしまっているのか。

「『じんざい』には3種類あるんだ」

 昔、先輩職員に言われた言葉が脳裏をよぎります。

 存在が組織の財産である「人財」、人並みの「人材」、存在自体が罪である「人罪」。

 自分は、せめて「人材」だと思っていた。でも実は「人罪」であり、いてはいけない人間なのか──。

「ケーンさん、来週、飲みに行きましょうよ」

 終業のチャイムが鳴った後、陽気な同僚がそう声を掛けてくれましたが、私は軽く笑みを返すのが精一杯で、逃げるように職場を去りました。

 帰りの電車の中で、私の精神は下降の一途をたどりました。悲しくて、悔しくて、情けなくて。

 食欲もなく、帰宅した私は母にコンビニで買ってきた弁当を渡すと、自分は2階の部屋にあがって布団に入りました。当然、心配した母があがってきて声を掛けてきましたが、私は、

「今はそっとしておいてくれ」

と言うのが精一杯でした。

 それから、3時間。

 軽く眠り、少し落ち着いた精神状態で、今、私はこれを書いています。

 たぶん、明日、仕事には行くでしょう。うつ傾向にあっても、意地でも行くと思います。ただ、職場に着いた後、明るく元気な同僚たちと同じテンションで仕事ができる自信はない。私を飲みに誘ってくれた同僚が、「明日のランチはみんなでケーンさんの復帰祝い」と言っていましたが、正直、その場で笑顔でいられるかどうか。

 悪魔の囁きが、今も頭に貼りついて離れません。

 明日のランチでみんなが見せる笑顔が、心からの祝福の笑顔なのか、仮初めの嘲笑なのか。

 そもそも自分は、復帰を祝ってもらえるような人間なのか。

 また心が壊れるようなことにならないよう、今はただ祈るばかりです。

 

 

 

 

2022年8月 7日 (日)

ケーンの映画感想文「ムーンフォール」

 どうも、ケーンです。

 突然ですが、私はSFが好きです。これは間違いなく亡父の影響で、父もSFが大好きでした。

 そんな父に連れられて生まれて初めて観た映画が、「2001年宇宙の旅」(1968年、スタンリー・キューブリック監督)でした。たぶんまだ小学校の低学年の頃。映画好きな方はご存じとは思いますが、あの映画は大人が観ても難しい内容です。それがガキんちょの私に理解できるはずもなく、ただその映像に圧倒されて、

「光が…光が広がっていく…」

などと精神崩壊寸前のカミーユみたいな台詞を呟いたとか呟かなかったとか。

 そこで目覚めたわけではないでしょうが、その後も私は父と一緒になってカール・セーガン博士の番組とか、矢追純一のUFO特集とかを食い入るように見るようになりました。映画だと、「スター・ウォーズ」とか「スタートレック」をTVでやっていたら必ず見ていました。特に「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」(※サブタイトルは当時)はお気に入りで、ビデオに録画して何度も見返したものです。

 そうして私は、宇宙大好き!! UFO大好き!! ついでに怪奇現象も大好き!! な「月刊ムー」(買ったことないけどw)な大人になったのでした。

 晩年、父と一緒に観に行った映画があります。それが、

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「インデペンデンス・デイ」(1996年、ローランド・エメリッヒ監督)。

 これはCMを見て大興奮しました。まだCG全盛期ではない時代、雲を突き破って出現する巨大UFOの迫力とインパクトといったらもう、鳥肌ものでした。公開初日に父と観に行って、大満足でした。

 これね、後から冷静になってみると、ザ・ハリウッド映画なんですよ。地球を襲ってきた巨大UFOに対して、人類は「アメリカがリーダーシップをとって」反撃を開始する。敵の秘密を暴き出し、攻略法を見つけるのもアメリカです。挙句の果てに、元空軍パイロットという異色の経歴を持つ大統領が自ら戦闘機に乗って戦場の指揮を取る。アメリカの国威発揚映画だと言っても過言じゃない。

 でも、それを差し引いても面白い映画でした。

 そのローランド・エメリッヒ監督の最新作が「ムーンフォール」(2022年)。

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 これは劇場公開作品ではなく、Amazon Primeの独占配信です。

 もうタイトルからしてネタバレしてるんですが、「月が落ちてくる」映画です。

 タイトルとCMを見て、「ああ、『アルマゲドン』(1998年、マイケル・ベイ監督)みたいなディザスター映画か」と思いました。あれは小惑星でしたが、今度は月。「アルマゲドン」では核爆弾で小惑星を破壊しましたが、月となると規模が違います。世界中の核ミサイルを全弾ぶちこむのかなぁ、なんて想像したりしていました。

 正直、ローランド・エメリッヒ監督にはちょっと失望していたんですよ。あの傑作「インデペンデンス・デイ」の続編「インデペンデンス・デイ リサージェンス」(2016年)が超つまらなかったので。私、劇場ではよっぽど疲れてない限り寝たりしないのですが、これは寝ました。1回目は何かの間違いだと思って2回目観たんですが、やっぱり寝た。あれはもうはっきり言って駄作です。

 なので「ムーンフォール」も大して期待せず、まあアマプラ入ってるし、暇つぶしくらいな感覚で観たんですが…。

 

 エメリッヒ監督、やればできるじゃないですか!!

 

 面白かったです。「月が落ちてくる」版の「アルマゲドン」だと思ったら違う。むしろディザスター場面は控えめで、ちゃんとしたSFでした。なぜ突然月が落ちてくるようになったのか、そしてそれを回避するにはどうすればいいのかが、ちゃんと考えて作られてる。そこがSF好きにはたまらない。一言だけネタバレ的な発言しますよ。

 

 爆破してめでたしめでたし、な内容じゃありません!!

 

 オススメ度は、★★★☆☆

 え、誉めてるわりに辛いですって?

 これはまあ、SF好きとしての採点です。

 ちゃんとSFしてたのはよかったんですけど、設定がありきたりだったので、SF好きな人が観たらちょっと物足りないかな、と思います。ただ、ストーリーも面白いし、泣けるポイントもある。「インデペンデンス・デイ」を観た人なら何となくわかるんじゃないかな? 登場からすでに死亡フラグが立っている人物がいます。その人の最期にちょっとうるっときます。まあこれも、ハリウッド映画あるあるなんですがw

 なので、特にSF興味ないよって人が観たら、かなり楽しめると思います。

 劇場公開ではなくサブスクだったのは世の流れか、それともやっぱり「インデペンデンス・デイ リサージェンス」で失敗した影響があったのか。それはともかく、ローランド・エメリッヒ監督の本領発揮な映画でした。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

2022年7月24日 (日)

ケーン、絵を買う。

 どうも、ケーンです。

 昨日、札幌で開催されている「ファンタジーアート展」に行ってきました。

 日本が生んだ世界的画家、天野喜孝氏の絵画の展覧会でした。

 天野喜孝氏といえば、もうたぶん日本で知らない人はほとんどいないでしょう。名前だけでピンと来ない方には、これをどうぞ。

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 ああ、これか!! って思った方もいるのではないでしょうか? そう、ゲーム「ファイナルファンタジー」(略称FF)シリーズのイラストで有名な人です。まだプレイステーションもなかった時代、ファミコンソフトのFFⅠ~Ⅵまではキャラクターデザイン、パッケージイラストも手掛けていました。Ⅶ以降はキャラクターデザインこそ交代しましたが、コンセプトデザインやロゴデザインとして関わっています。

 他にも小説の表紙や挿絵など色々描いていますが、いちばんメジャーなのはこれでしょう。

 その天野先生の展覧会が札幌であるというので、たまたま札幌まで赴く用事があったため、立ち寄ってみたのでした。ファイナルファンタジー好きだし、天野先生の絵も、最初に見た時こそ「何だこれ?」と思いましたけど、その精緻で繊細なタッチはすごいな、と思うようになっていたので。

 ただね、こういう展覧会って、販売目的もあるんですよ。美術館と違って、静かに見せてくれない。おもむろに近寄ってきたスタッフが色々絵について解説して、言葉巧みに売ろうとする。昔、ラッセンの展覧会に行ったときがそうでした。絵って2~3万の買い物じゃないんですよ。ゴッホとかピカソではないですが、天野先生も世界的に有名な画家ですから、軽く50万とか100万とかの買い物になる。さすがにそれは手が出ません。1年分のボーナス飛びますからw なので、「買わないぞ、買わないぞ」と心に強く言い聞かせながら会場入りしました。

 ファンタジーアート展、と銘打っているだけあって、やっぱりFF関連の絵が多数飾られていました。ど真ん中に鎮座していたのはやっぱり上に挙げたFFⅥのパッケージイラストでしたが、他にもたくさん。Ⅶ以降のキャラクターを描いたものもあり、「ああこれはスコールとリノアだ」「ライトニングじゃん」などと見入っていると、早速スタッフの方が。

「FF好きなんですか?」

「ええ、まあ一通りやりました」

「そうですよね。TシャツもFFだし、気合入っていらっしゃる」

「え? あ、そうっすね」

 これはまったくの偶然なのですが、この時私は、FFのロゴ入りTシャツを着ていたのでした。やばい目をつけられたか!!

「僕もFF好きなんですよ。天野先生の作品はFFで知って…」

「ああ、そうなんですね」

 そこからしばしFFと天野先生の関わりや、天野先生の絵の素晴らしさについてトーク。しかし営業モードにはシフトせず、「ゆっくりご覧になって下さい」と解放してくれました。

 ホっとして次の絵へ。FFの次に展示されていたのは、「吸血鬼ハンターD」という小説の挿絵でした。これも有名ですが、かなり古い小説なので知らない方も多いかも知れませんね。私も2、3冊読んだ程度でハマりはしなかったのですが、Dのダークな世界に天野先生の絵がすごくマッチしていたのは覚えていました。

 そして、展示されていた絵はすごくよかった。Dの佇まいといい、背景の雰囲気といい、一つの作品として見て素晴らしいと思えました。

 会場はそんなに広くないので、次の、天野先生が時々描くポップでかわいい系のイラストを何点か通過すると、最期の展示へ。

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 この絵が最後で、そこにはさっきのスタッフさんが待ち構えていました。

「これが先生の最新作です!!」

 天野先生も御年70。新作を描かなくなって久しい先生が久しぶりに筆を取った作品がこれ。

 これが何か、私は知っていました。私が大好きな小説家、田中芳樹先生の小説の表紙だからです。

「知ってます。創竜伝の最終巻ですよね」

「そうです!! よくご存じで!!」

「いや、田中芳樹好きなんで」

「そうなんですか!!」

「田中芳樹って遅筆で有名なんですけど、天野先生に『そろそろまた四兄弟(創竜伝の主人公)を描きたいですね』って言われて恐縮したみたいですよ」(←ちょっとトリビア披露してみた)

「へえ~、めちゃくちゃ詳しいじゃないですか!!」

「いや、まあ…」(←まんざらでもない気分)

「ちなみにここまで見られて、いちばん気に入った作品はどちらですか?」

「うーん…FFも良かったけど、やっぱり田中芳樹ファンとしては創竜伝かな」

「いいですよねこれ!! ちなみに絵って、ライトの当て方でがらっと雰囲気変わるんですよ。よかったらお席で見てみませんか?」

 なるほど、ここから徐々に営業モードか。でもまあ、見るだけならいいか。興味あるし。

 そう思って、誘われるまま席へ。スタッフさんは絵をイーゼルに掛けて、ライトを色々な角度から当ててみる。ぶっちゃけそんなに違うか? っていうのが正直な感想でしたが、もう1枚、私が気になったDの絵でやってみると、これがすごかった。もともとダークな作品だけに、全体に暗めに、かつ、朝日が差し込むように上から徐々にライトを当てていくと、雰囲気倍増。思わず見入ってしまいました。

 そんな私の様子に「脈あり」と見たのか、スタッフが交代。今度は女性でした。

 その女性スタッフはFFではなくDから天野先生に魅了されたらしく、他の小説も読んでいるという。創竜伝も読破済でした。私も男ですから、女性と話すのは楽しいし、それが好きな小説の話となるとより楽しい。もう完全に営業モードの彼女でしたが、トークを楽しみつつ、「買わない理由」を私は探し当てていました。

 それはこの展覧会の唯一の弱点。私の大好きな小説の絵がなかったのです。

 スタッフさんの話がひと段落した頃合いを見計らって、私はその一言を放り込みました。

「実は私、初めての天野先生との出会いは『アルスラーン戦記』なんですよね」

 アルスラーン戦記。それは創竜伝と同じ田中芳樹先生の小説で、1986年から角川文庫で刊行が開始された作品です。天野先生はその表紙と挿絵を担当していました。ただし、田中先生のあまりに遅筆ぶりに業を煮やした角川書店は完結を待たずに版権を放棄。その後、光文社が版権を買って1巻から改めて刊行され、無事完結を迎えますが、イラストは天野先生とは別のイラストレーターに変更されました。なので、アルスラーン戦記の天野先生の絵を知っているのは、今は絶版となっている角川文庫版を読んでいた人だけ。

 私はリアルタイムで角川文庫版から読んでいたので知っていましたが、今の世代の人は知らないだろう。実際、この展覧会にもアルスラーン戦記の絵は見当たらなかった。なのでスタッフさんが「ごめんなさい、ここにはないんです…」と言うと思っていたのですが…。

「ほう!!」

とスタッフさん。その表情は困惑ではなく、「我が意を得たり」の顔。

 スタッフさん、アルスラーン戦記の事知ってました。まあ天野先生の絵を扱ってるんだから、知識として知っていて当然か。でも展示はなかったし…。

「実は、展示はしていないんですが、裏にあるんですよ」

「え」

「天野先生から、本当に見たい人がいたら出してくれと言われていて。持ってきます? ダリューン

「ダッ…!!」

 

 ダリューンだとッ!?

 

 ダリューンは、アルスラーン戦記の登場人物で、主人公である王太子アルスラーンの第一の臣下。義に厚い武将で、「戦士の中の戦士」との異名を持つ、超絶に強くてかっこいい黒衣の騎士。角川文庫版でも表紙を飾っています。

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 ダリューン、めっちゃ好きです。ありとあらゆるメディアの中で「最強の騎士」と言えばダリューンを真っ先に思い浮かべます。愛馬も黒で、「黒衣黒馬の騎士」なんて、ビジュアル的にもかっこいいに決まってるじゃありませんか!!

「見ますッ!!」

 一も二もなくそう答える私なのでした。

 そうして持ってこられたダリューンの絵は…。

 

 か、かっこええ…。

 

 もはやため息しか出ない。

「このダリューン、当時限定100枚しか刷っていないので、今ならもう150万はしていいものなんです。でも、天野先生がどうしても当時の価格で譲りたいと言って、この価格なんです」

 提示された金額は、50万円。ボーナス1回分が吹き飛ぶ額です。何なら車だって中古なら余裕で買える。しかし、この絵は…。

「お客様がアルスラーン振ってくれなかったら、出なかった絵です。これってもう奇跡ですよ!!」

 いや、たぶんマニアックすぎて展示リストから外されていたのだろう。しかし、私がそれを掘り当ててしまった。アルスラーン戦記で天野先生の絵を知ったのは事実。今でもアルスラーンの世界観と天野先生の絵はすごくマッチしていると思う。

 購入を断ろうとして口に出した単語が、とんでもないものを導き出してしまった。これはもう…運命?

「在庫、確認してきますか? 100しか刷っていないものですから、ないかもしれませんので」

「お、お願いします…」

 いったん引っ込んで戻ってきたスタッフさんは笑顔でした。

「ありましたよ!! 天野先生のマネージャーさん、言ってました。今もダリューンのこと知っていて、それを求めてくれる人がいるなんて、きっと先生喜ぶだろうって」

 

 …完敗だ。

 

 私は負けを認めました。

 アルスラーン戦記は、完結こそ微妙だったものの、田中芳樹作品の中では「銀河英雄伝説」を抜いて一番好きな作品です。その中でも大好きなキャラクター、ダリューン。

 こんなものを出されたら、もう断れない。「天野先生喜びます」なんて殺し文句言われたら、なおさら。

「ぶ、分割でお願いします…」

「もちろんです!!」

 かくして私は、契約スペースへと誘われるのでした。

 お届けは11月になります、というので、11月26日を指定しました。その日は私の誕生日。自分へのちょっと、いやかなり贅沢なプレゼントだと思えばいい。分割は60回、5年です。人生初のローンを、まさか絵で組むことになるとは。車を買ったときだって一括だったのに。

 しかし、絵のある生活か…。

 

 まあ、悪くないかもな。

 

 会場を後にしようとする私を見送ったのは、最初に応対してくれた男性スタッフでした。名刺をくれる時、彼は言いました。

「実は私、新卒なもので…」

 なるほどね。大卒だとすると、22、3歳。FFは知っていても、小説の、マニアックな部分になると太刀打ちできないとわかって交代したわけか。いい判断だったと思うよ、青年。キミの勤務評定アップに貢献できたなら、まあよしとしよう。

 それよりも…。

 

 ダリューンをお迎えするまでに、部屋を片付けておかなければ!!

 

 そう決意してぐっと拳を握りしめて、私は帰路につくのでした。 

  

2022年7月 4日 (月)

ケーンの介護日記 その8~あれから~

 前回の投稿からあっという間に3ヶ月が経ってしまいました。

 今は初夏、7月。母が認知症の宣告を受けたのが3月10日だったので、実時間では4ヶ月になります。

 あれから、色々ありました。

 4月に入ると、正式に要介護認定の決定通知が来ました。結果は、「要介護1」。これをもとにケアマネさんが正式なプランを提示し、それに同意。Y事業所と介護サービス契約を結びました。

 まずは平日の日中に1回、事業所の職員に来てもらい、安否確認と健康状態のチェック(体温や血圧など)、そして雑談とレクリエーションで脳に刺激を与えてもらう、という形で始めました。

 レクリエーションは、簡単な体操と歌。「涙そうそう」とか「さくら」とかを一緒に歌うみたいです。

 そこからの母の回復はすごかった。

「ここは自分の家じゃない」

とか、

「兄ちゃんが二人いる」

なんていう幻覚、錯視はまったくなくなり、意識はクリアで、話す言葉もしっかりしている。そして暗く沈んでいた表情も程よくほぐれ、笑顔も見せるようになりました。

 正直、医師に「認知症は回復しない。悪化を防ぐ、という治療になる」と言われていたので、また幻覚や錯視がでるんだろうかと心配だったのですが、そんなことはありませんでした。

 認知症は回復します。

 恐るべきはあの、「どこに貼ってもいいよ」と言われた貼り薬。S病院から処方されている薬は、ほとんどが精神安定剤です。認知症のために処方されている薬は、その貼り薬だけ。皮膚から成分を吸収するんだそうですが、これが効果てきめんでした。

 もちろん、介護職員の訪問も一助になっているでしょう。適度に会話し、体を動かすことで脳に刺激が与えられる。

 今では、訪問だけでなく、たまに体調の良いときには事業所に行って、10人くらいのお年寄りと交流して帰ってきます。ただこちらはまだ回数が少なくて、慣れていない様子。行けば自分が一番若いそうで、ちょっと気後れしちゃうのかも知れません。でもみんな優しく接してくれるとのことなので、やがて馴染んでくれるでしょう。

 今、心配なのはレビー小体型認知症のもう一つの症状、パーキンソン症状です。

 こちらは良くならず、体のバランスを取るのが難しい様子。よくふらつくし、転びもします。

 母は農家の出なので、庭の畑いじりが好きなのですが、作業中に転んでしまって起き上がることができず、もがいているところを訪問してきた事業所の職員に発見された…なんてこともありました。

 つい最近では、家の中で派手に転んで頭を打ち、側頭部から流血して救急搬送されたことも。

 まだ母自身も、「今の体では、ここまでしか動けない」ということが脳でわかっておらず、つい無理な動作をしてしまって転倒してしまうようです。気をつけるように言ってはいますが、人間、「老い」を認めることは辛いですからね。母の気持ちはわからないでもありません。

 なので今、ケアマネさんに「歩くリハビリ」というメニューが介護サービスにないか、話し合っているところです。

 年齢や病状に合わせた体の動かし方、歩き方、杖の使い方…そんなことを練習できるサービスがあればな、と思っています。

 これからも母には、人の助けが必要でしょう。お金もかかる。

 でも、いいんです。

 母はこれまでがんばって働いて、私たち子供を育て、家計を支えてきた。そろそろ肩の荷を下ろして、自分自身のために生きてほしい。

 そのことをきっと、天上の父も望んでいるはず。

 息子、がんばります!!

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レト「レトもがんばるでち!!」

 うん、一緒に母さんを支えて行こうね、レト。

 

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2022年6月27日 (月)

ケーン、文明の利器に驚愕する。

 カーナビ。

 カー・ナビゲーション・システムの略で、自動で車の位置情報を把握し、行きたい場所まで道案内をしてくれるシステム。

 登場は1980年代で、2020年代の現代ではもはや常識と言っていいほどに普及し、これが搭載していない車はほとんどない──。

 

 

 しかし、そんなカーナビとは無縁の男がいた。

 そう、その男の名こそ、ケーン。生来の方向音痴であり、彼のためにこそカーナビは必要と言っていい。

 だがしかし、ケーンはカーナビを持っていなかった。その理由とは──。

 

「いや、だって遠出しねえし」

 

 そう。

 この男、方向音痴を言い訳にして遠距離ドライブを頑なに拒否していたのだ。

 遠くへ、知らない場所へ行けば必ず迷う。だから行かない。行くなら公共交通機関を使う。車で赴くのは、あくまで近所だけ。近所の道なら知っているから、別にカーナビがなくても困らない。もともと古い車だからついてないし、わざわざ高い金出してつける必要はない。

 そうやって、男は生きてきた。実に40ウン年。

 しかし、そんな彼は今、決断を迫られていた。

 

 

 6月26日、日曜日。

 男の母が自宅で転倒し、頭を負傷した。4センチほどの切創。流血もある。

 男は行動した。日曜日の当番医を探している暇などないと、即座に119番通報。救急隊が駆け付けると、男の母を搬送。男は救急車に同乗した。

 搬送先は、男とその母が住む市の隣の市にある病院。幸い骨にも脳にも異常はなく、傷口を4針縫う程度で済んだが、医師は言った。

「明日また、消毒に来院して下さい」

 いや、それ市内の別の病院じゃダメですか──と言おうとした男だったが、看護師に「今日の分の会計は明日まとめて」と言われれば引き下がるしかなかった。明日また来て金を払わなければ食い逃げ、ではなく治され逃げになってしまう。

 さすがに逮捕されるのは嫌だったので、男は医師の言葉に頷いた。そして帰りのタクシーの中でこう思った。

「まあ、またタクシーで来ればいいか…」

 しかしこの目論見もあっさり崩れてしまう。

 

 タクシー代、片道3,700円。

 

 た、高い…。

 と、男は思った。

 往復したら7,000円を超えてしまうしまうではないか。そんなに出したら、ガソリン満タン入れられてしまう。いや、原油高に円安が進んでいる今ではどうかわからないが、確か数ヶ月前、レギュラー満タンにしたときは7,000円くらいだった。

 男は決断を迫られた。

 7,000円出して確実に目的地に着くほうを取るか、それをケチって道に迷うリスクを冒して自家用車で行くか。

 

 

 翌日、男は自家用車の運転席にいた。

 後部座席には男の母。助手席に置かれているのは男の携帯。

 男はリスクを取った。しかし計算はした。ググって病院の位置を調べ、経路図を見て、道がわりと単純そうに見えたからだ。

 真っ直ぐ国道を行って、途中で左折一回、右折一回。それで目的地に着く。地図さえあれば何とかなると思ったのだ。

 と、男は気づく。

 病院への経路図の下に、「開始する」というボタンがある。これは何だ?

 訝しげにボタンに触れると、女性の声が携帯が流れ出た。

『目的地へのナビゲーションを開始します』

 うお。

 ま、まさか。

 まさか、これは…。

 

「これはまさか、噂のカーナビなのかッ!?」

 

 動揺を隠せないまま、アクセルを踏む。

『右方向です』

「お、おう」

 右折。

『この先、4キロメートル道なりです』

「わ、わかった」

 直進。

『300メートル先、左折です』

「あ、あれかっ」

 左折。

 そして──。

『目的地に到着です。お疲れさまでした』

 

 

 …。

 ……。

 ………。

 す、す…。

 すすす…。

 

「すげ──!!!!」

 

 男は興奮していた。

 携帯のGPSから位置を把握し、目的地までの経路を割り出し、音声でガイダンスする。

 なんと驚くべきシステムか。生来の方向音痴を、一度も迷わせることなく目的地まで誘導してのけるとは。

 

 これがカーナビ!! 

 これが文明の利器!!!

 これこそが最先端!!!!

 

 

 だが、男は知らない。

 それはすでに最先端ではなく、今や「当たり前」であることに──。

 

 

 ケーン、時代に取り残された男。

 彼の旅路は続く──。

 

 

  

 

 

2022年5月22日 (日)

ケーンの映画感想文「シン・ウルトラマン」

 どうも、ケーンです。

 久しぶりに劇場で映画を観てきました。

 観たのはこちら。

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ン・ウルトラマン」

(主演:斎藤工 監督:樋口真嗣 総監修:庵野秀明)

 

 今年(2022年)の5月13日に公開したばかりの作品です。

 大ヒットした映画「シン・ゴジラ」を制作した庵野秀明×樋口真嗣のタッグ再びということで、注目していた方も多いでしょう。

 私の庵野作品との出会いはTVアニメ「ふしぎの海のナディア」で、続く「新世紀エヴァンゲリオン」で一気に庵野ワールドにハマりました。庵野秀明はもともとウルトラマンのファンで、エヴァの演出にもウルトラマンの影響が色濃く表れています。

 樋口真嗣は「シン・ゴジラ」の他には平成ガメラシリーズなどが有名な監督ですが、庵野秀明と親交が深く、「新世紀エヴァンゲリオン」の制作にも関わっています。エヴァの主人公・碇シンジの名前の由来となったことは有名な話です。彼もウルトラマンが好きで、「帰ってきたウルトラマン」に最も影響を受けた、と語っています。

 そんなウルトラマン好きが作った、初代ウルトラマンのリブート作品です。

 

 「禍威獣(カイジュウ)」と呼ばれる謎の巨大生物が次々と現れ、その存在が日常になった日本。通常兵器が通じない禍威獣に対応するため、政府はスペシャリストを集めて「禍威獣特設対策室専従班」=通称「禍特対(カトクタイ)」を設立。班長の田村君男、作戦立案担当官の神永新二ら禍特対のメンバーが日々任務にあたっていた。そんなある時、大気圏外から銀色の巨人が突如出現。巨人対策のため禍特対には新たに分析官の浅見弘子が配属され、神永とバディを組むことになる──。

(映画.com解説より)

 

 結論から言えば、「最高!!」でした。

 面白かった。「シン・ゴジラ」も面白かったけれど、個人的にはこっちのほうが好き。

 「シン・ゴジラ」はリアリティに徹底的にこだわり、「もし現代の日本に巨大不明生物が現れたら?」というシミュレーション的で硬派な作品でしたが、「シン・ウルトラマン」はそれに比べればフィクション性が高め。ただエンターテインメント性はこちらのほうが圧倒的に高い。

 ウルトラマン好きが作った、ウルトラマン愛に溢れた、ウルトラマン好きのための作品──では決してない。庵野作品らしく情報量は多いし、専門用語がばんばん飛び交いますが、それは「プロがプロの仕事をしている」と聞き流して、雰囲気だけ味わっていれば全然OK。ストーリーは十分に理解できます。子供が観ても、「怪獣すごい、宇宙人こわい、ウルトラマンかっこいい!!」と胸躍らせるんじゃないでしょうか。

 もちろん、大人の鑑賞にも十分耐えうる。ウルトラマンという超常的な力を巡る人間たちの思惑や宇宙人の陰謀、光の国の掟と自らの想いの狭間に立ったウルトラマンの覚悟など、ドラマパートも熱くて深い。

 これはもう、文句なく、

 オススメ度:★★★★★

です。

 ウルトラマンが好きな人はぜひ。ウルトラマンを知らない人にはなおのこと観てほしい。きっとウルトラマンが好きになります。

 最後に一つだけ、トリビアを。

 ウルトラマンの顔、初登場から少しずつ変わっていきます。

 最初は「異質な存在」として現れるウルトラマンの顔が、気づくと、みんなが知っている「ぼくらのウルトラマン」の顔になっている。

 初代ウルトラマンの顔は初期のAタイプと後期のBタイプがあって、そのことをオマージュしつつ演出に取り入れて、視聴者がウルトラマンに感情移入していくよう誘導しているのでしょう。うまいと思いましたね。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

 

 

 

 

 

2022年5月 8日 (日)

ケーンの映画感想文「そして父になる」

 どうも、ケーンです。

 GW中に配信でもう一本映画を観たので、早くも第二弾です。

 今回はこちら。

R

「そして父になる」(主演:福山雅治 監督:是枝裕和)

 2013年公開の邦画です。 

 6年間育てた息子は、他人の子でした──。

 学歴、仕事、家庭。自分の能力で全てを手にいれ、自分は人生の勝ち組だと信じて疑っていなかった良多。ある日病院からの連絡で、6年間育てた息子は病院内で取り違えられた他人の夫婦の子供だったことが判明する。血か、愛した時間か──突き付けられる究極の選択を迫られる二つの家族。今この時代に、愛、絆、家族とは何かを問う、感動のドラマ。

(GAGA Corporation サイトより)

 この映画は、存在は知っていて、DVDが発売された時に購入して、母の日にプレゼントした記憶があります。人間ドラマで、主演が演技力にも定評のある福山雅治なので、興味を持つかな、と。

 でもプレゼントした時、母は「ちょっと重いねえ」と言いました。子を取り違えられた家族の話。テーマとしては確かに重い。私自身も、どちらかと言えばエンターテインメント作品のほうが好きだったので、プレゼントしたきり、自分では観ませんでした。

 それから、およそ10年。

 今でもエンターテインメントは好きですが、たまには人間ドラマも観たい。そんな年齢になって、ようやく観ました。

 以下の文には重要なネタバレを含みますので、先にオススメ度を。

 ★★★★☆

 減点の星1は、視聴年齢を考えてのことです。これは子供や若者には向かない。大人のための作品。万人向けの映画ではないなと思い、星4としました。なので、作品の出来としてはほぼ星5に近い。

 私は独身で子供もいませんが、それでも心に刺さった。大作ではないです。号泣ものでもない。でも、

「あれは良いものだ」

と、マ・クベ大佐も言うでしょう。

 血の繋がりか、過ごした時間か。究極の選択の中で揺れ動く登場人物たちの姿を、福山雅治を始めとするキャスト陣は見事に演じています。

 ある人は、「結局は血だ」という。

 別の人は、「血なんか関係ないわ」という。

 どちらの言葉にも重みと説得力があって、観ているほうも、どちらが正しいのかわからなくなってきます。

 お話は、静かに進みます。登場人物が感情を爆発させるシーンはほとんどありません。

 その代わり、泣くときは押し殺すように泣く。声を殺して苦悩する。福山雅治が声を張り上げるのは最後の最後です。

 同じ日本人だからでしょうかね。それが余計に心に刺さる。欧米の人はわりと感情を大きく外に出しますけれど、日本人はそうしない。抑えて抑えて、それでも抑えきれずに零れ出してしまう。その表現がとてもリアルで、惹き込まれました。

 そして最後に、二組の夫婦が選んだ選択。

 ラストシーンは、もう一人の父親役であるリリー・フランキーの家に、二組の夫婦と二人の子供が仲良く入っていく場面で終わります。それまでのストーリーの流れを見ると、二組の夫婦が選択したのは「血」よりも「時間」だったと解釈するのがストレートな見方でしょう。

 でも、私は違う解釈をしました。

 たぶん二組の夫婦は、血も時間も、両方を取ったんだ、と。

 もちろん形としては、育てた子と暮らすことになるのでしょう。でも、二組の夫婦はその後も交流を続けることで、4人で2人の子供の両親になることを選んだんだろうと思えてならないのです。

 たぶんこういう解釈も成り立つように、是枝監督はあえて余韻を残すようなラストで幕を閉じたんだと思います。すごいと思いましたよ。

 そして見終わった後、無性に福山雅治の「家族になろうよ」を聴きたくなりました。

 あれはウェディングソングですが、タイトルがぴたりとこの作品にはまっているように感じたのです。

 間違いなく良作。

 大人ならぜひ、子を持つ親ならなおさら観るべき作品です。

 それではまた。

 ケーンでした。

2022年5月 5日 (木)

ケーンの映画感想文「亜人」

 どうも、ケーンです。

 私は読書も好きですが、映画も好きです。

 というわけで、最近観た映画の感想も綴りたいと思います。レビューなんて大したものではないので、やはり「感想文」でw

 今回はこちら。

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「亜人」(主演:佐藤健 監督:本広克行)

 

 2017年公開の作品です。

 

 病気の妹を救うために研修医となった永井圭はある日、事故で死亡。しかし直後、生き返る。

 亜人(命を繰り返す=不死身の人類)と発覚し、崩れ去る圭の人生。国家に追われ続け、非人道的な実験のモルモットとなってしまう。

 そんな圭の前に突如、人類に牙をむく亜人最凶のテロリスト【佐藤】が現れる。自分の運命に葛藤する圭は、佐藤が描く亜人の未来に共感できないでいた。

 やがて始まる、佐藤による衝撃の国獲りゲーム。衡突する人類と亜人、そして亜人と亜人。【絶対に死なない男】と【絶対に死なない男】の終わることなき【エンドレス・リピート・バトル】が始まる。亜人たちは、永遠の命をどう生きるのか──?

(東宝オフィシャルサイトより)

 

 このGWに何か映画を観たいなと思っていましたが、劇場では惹かれる作品がなく、何かないかとAmazon Primeを覗いてみたところ、出てきたのがこの作品です。本当は「護られなかった者たちへ」を観ようと検索したのですが、こちらは追加料金がかかるみたいで、同じ佐藤健が主演しているこの作品を観てみたのでした。

 漫画が原作のようですが、寡聞にして私はその漫画を知りません。なので予備知識も何もない白紙の状態で観ました。

 面白かったです。さすがは「るろうに剣心」を作ったタッグ。

 アクションを撮るのが得意な本広監督と、身体能力の高い佐藤健。迫力のスピードバトルには惹き込まれました。

 またアクション一辺倒ではなくて、望まずして不死身となってしまった主人公たち「亜人」の悲哀や狂気なんかもちゃんと描かれている。

 ただし。

 ここがいつも私の悪いクセなんですが、見終わった後、「ああ面白かった」で済まないんですよね。残念な部分も見えちゃう。

 この映画の場合は、ストーリーです。

 望まずして得てしまった超能力。それを極秘に利用する国家権力。それに反逆する者たちの登場。主人公は人としての情を捨てきれず、自分を利用した国家に与して反逆者たちと戦う。

 これ、超能力ものの、よく言えば王道、悪く言えばパターンなんですよねえ。

 なので、何となく先の展開が読めてしまう。バトル見て「おおっ」とか思いつつも、ストーリーに驚きがなかったことが少し残念でした。

 そして最後に生き残り、どこへともなく去ってゆく主人公のラストシーン。

 

「マトリックスのネオじゃんw」

 

 楽しい時間を提供してはくれました。ただね、うーん、惜しい。

 というわけで、オススメ度。

 ★★★☆☆

 佐藤健が好きなら観る価値あり、ということで。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

 

2022年5月 3日 (火)

ケーンの家計簿

 どうも、ケーンです。

 つい最近まで、我が家の家計は同居している母がやりくりしていました。亡き父が生きていた頃からそうでした。男は仕事して稼いで、給料を家に入れる。そこから先は母の仕事。

 私も就職したての頃から給料の一部を母に渡して、あとは母に任せていました。最初のうちは給料が18万円程度だったので、家には10万円入れて、あとは自分が自由に使える分。父が亡くなって以降は、春から秋は10万円+家賃5万円、冬は暖房費がかさむので12万円+家賃5万円。あとは母が自分の年金と合わせて、家計をやりくりしていました。

 でも、母が認知症になって外を出歩けなくなり、食事や日用品の買出しを私がやるようになってから、ふと思いました。

 曲がりなりにも勤続20ウン年になる私。給料は母の年金よりも多い。実際、母は給料でも税金でも、私の扶養に入っている。

 

 これ、俺が家計やりくりすべきじゃね?

 

 そう思い出すと、色んなことが気になりました。食費と日用品は私が今買ってるけど、電気・ガス・水道といった公共料金は依然として母の口座から引き落とされている。これ、本来私が払うべきじゃないか? てか、そもそも住民票の世帯主が母になってるけど、今、主たる生計維持者は私なんだから、私が世帯主になるべきじゃないか?

 思い立ったら行動です。市役所で住民票の世帯主変更の手続をし、それから電力会社、ガス会社、水道局、NTT(うちには携帯の他に固定電話があるので)に電話して、名義をぜんぶ母から私に変更。同時に引落し口座も私の口座に変更しました。

 よしよし、これでOK。母ももう75歳だし、自分の年金は自分のために使ってもらおう。

 しかし、心配な点が。

 私、家計のやりくりなんてやったことありません。給料の一部を家に入れても割と不便ない程度の額が手元に残るので、自分のものを買う時も、あんまり値段が高い安いに頓着してきませんでした。海外へ旅行に行ったり、ギャンブルにつぎ込んだり、ブランドものの服を買ったりするわけではなかったのでね。私の高い買い物といえば、ブルーレイソフトやゲームソフトくらい。あとはたまに映画を観に行ったり、月に2、3冊本を買ったりする程度。それで十分満足でした。なんなら年々預貯金が増えていったくらいです。

 なので、これに食費・日用品・公共料金が加わったところで、大したことはないだろう。そう思いました。

 でも、やっぱり心配は心配です。あんまり値段に頓着しない=どんぶり勘定で生きてきた私が、家計を担うことになって、果たしてどうなるか? 収入に見合った生活を、今、果たして送れているのだろうか?

 そこで、今年の4月から家計簿をつけることにしました。ネットで検索すると、ちょうどExcel形式のよさげなやつがあったので、さっそくダウンロード。4月1日から、レシートや給与明細、通帳などを見ながら、1ヶ月の収支をつけていきました。

 そして、先日、4月が終了。すると、収支は…

 

 15万円の赤字。

 

 な、なんとぉーっ!!

 ま、待て待て。確か3月に新しくノートパソコン買ったじゃないか。あれの引き落としが今月あったぞ。値段が15万円くらいしたはず。

 しかし、それを差し引いても収支ゼロとは。いくら母を扶養してるといっても、勤続20ウン十年で、給料は30万円くらいはもらってる。それでかつかつの生活をしてるのか!? そんなに金遣い荒かったか俺!?

 内訳をみると、やっぱり一番の支出は先月買ったノートパソコンの代金15万円。続いて固定支出13万円。これは家賃とか公共料金、電話代とかだから仕方ない。次に食費が9万円。正直、これ高いのか安いのかわからないので、母に聞いてみました。

私「2人世帯で、食費9万って高い?」

母「ちょっと高いねえ」

 やっぱりそうなのか。そんなに毎回高級なもの買ってないはずなんだけどなあ。

 さらに、食費の内訳をみていくと、あることに気づきました。

 

 お菓子買いすぎ!! あとデザートも、アイスも!!

 

 お菓子は特にチョコ。コンビニで売ってる小袋のやつですが、ほとんど毎日買ってる。これ、夜にゲームしながら食べてる。デザートはプリンの類。うん、夕食後に食べてる。アイス、うん、寝る前に食べてる。

 弁当買う時は(あ、自慢じゃないけど私料理できません)、値札見るんですよ。1個ワンコイン(500円)以内のにしようって。でもそれ以外となると、「あ、これ美味しそう」と欲望のままぽんぽんカゴに入れちゃうんですね。4月の最初の頃は「節約、節約」と思って菓子やデザート類には手を出さなかったので、1回の買い物はだいたい2,000円ちょっとでした。それが最近は、3,000円を超えることもしばしば。

 3,000円×30日で90,000円。如実に数字に現れちゃってます。

 まあ母の年金は収入に入れてないので、もう少し余裕があるといえばあるんですが、

 

 親の年金をあてにするようでは世帯主の名がすたる!!

 

 というわけで、5月はもう少し控えようと思います。

 チョコを? 

 プリンを?

 アイスを?

 うーん。

 な、なるべく値段の安いのを…。

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「レトのごはんとデザートもわすれちゃダメでち!!」

 う、うん、ごめん。

 俺、がんばるよ…。

 

  

 

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