うつ再発を防いだ…つもりが。
それは、先週月曜日の朝、通勤途中の駅のホームでのこと。
不意に、心の糸が切れました。そうとしか表現できない感覚で、「あ、ダメだ」と私は電車に乗らずに帰宅。休暇を取りました。
良くない兆候だ、と思いました。切れた心は「無気力」へと向かっている。このままだと「うつ」が再発すると思い、病院に受診の予約。次の日も休暇をもらい、病院へ行って主治医に相談しました。
「疲れが溜まってるね」
と主治医は言いました。主治医と話しているうちに、自分にもわかりました。
配属されて間もない仕事。以前に経験があり、やりがいを感じているとはいえ、物理的に忙しかった。
母がうつ傾向にあり(認知症はしばしばうつ症状を併発します)、日常の家事に加えて母の心のケアもしなければならず、心理的にきつかった。
妹一家が新型コロナにかかり、外出ができなくなったため、代わりに日用品の買出しをした。毎日ではなかったが、体力的に負担になった。
そんなこんなで自分でも気づかないうちに疲労が溜まり、ブレーキがかかったのだと。
「どうする? 一番いいのは、しばらく休養することだけど」
そう主治医は言いましたが、せっかくやりがいのある仕事についている今、数週間とか数ヶ月とか、長期の離脱は避けたいという思いがあり、主治医と話し合った結果、その週いっぱい休むこととしました。
職場に連絡して事情を話すと、上司は理解してくれ、同僚も受け入れてくれました。
「急ぎのものがあればやっておきますね」
と、力強い言葉をもらい、ああ職場に恵まれたなぁと感謝しつつ、私は休養へと入ったのでした。
とにかく睡眠時間が足りてない、と指摘を受けた私は、徹底的に休息しました。その時すでに目や耳から情報が入ってくることにしんどさを感じていたため、テレビもスマホも封印。歌詞のない映画音楽を聴きながら、睡眠を取って気力・体力の回復を待つ。2日ほどすると、回復を実感できたので、少しずつ、好きなことをしてリフレッシュ。そうして時間が経つごとに気力・体力が戻ってきて、散歩や買い物にも行けるようになりました。
よかった。「うつ」に陥らずに済んだ。
週明け、つまり月曜日の今日、すっかり元気とやる気を取り戻した私は、はりきって出勤しました。
職場は私の復帰を暖かく迎えてくれました。そして渡されたのは、処理が必要な書類の束。何しろ1週間も休んでいたのですから、仕事が溜まって当然です。緊急のものはやってくれていたとはいえ、そうでないものは溜めておかれました。みんな自分の仕事がありますから、それは当然のことで、私も承知の上でした。
とにかく今日は、溜まった仕事を整理し、片付けること。そう思って取り組み始めた…のですが。
「あれ、やっておきました」
「ああ、ありがとうございます」
「これも処理済です」
「すみません、助かります」
「これやっといたから。残りは今日、私が片付けます」
「えっ?」
いや、今日、私いるんですけど? 私の仕事では?
「この書類もずいぶん溜まってたから処理しておいたよ」
「あ、えと…」
いや溜めてたのは事実だけど、それはこの1週間で溜まったものではなくて…そもそも処理を急ぐ書類じゃないし…。
「あとね、あれもだいぶ溜まってたから、みんなでやっといた。これからは溜めないよう、すぐに処理してね」
「あ、はいすみません…」
それも特に期限が決まってない書類で、他に優先すべき書類があったから後回しにしておいただけなんだけど…。
そして。
「ケーンさん、この仕事、私が引き受けていいですか?」
「え? あ、それは今日、やろうと思ってたやつだけど…」
「ちょっと時間がかかると思うんですよ。ケーンさんには他にやってもらいたい仕事があるので、これは私がやります」
「いや、でもそれは相手側との話し合いも必要な案件だし、私がやったほうが…」
「係全体の仕事のことを考えて言ってるんです。これは私がやります。いいですね?」
そう言われてしまえば、反論はできませんでした。
そうして私の手元に残ったのは、比較的簡単な事務処理だけ。量が多くて整理は大変ですが、作業自体は単純なものです。
たぶんみんな、私の病気を気遣ってくれているのでしょう。できるだけ負担がかからないように、と。
しかしその時、私の心に棲む悪魔が囁きました。
「こいつらはお前を『仕事ができないやつ』だと思ってる。だから単純作業ばかり任せたんだ」
と。
さらに囁きは続きます。
「見ろ、こいつらはきっとこう思ってるぞ。『こんなに仕事を溜めて、こいつには仕事は任せられない』と」
その囁きに、私は抗弁できませんでした。
なぜなら、その「溜まっていた仕事」は、別段急ぐものではなかったからです。私は仕事に優先順位をつけて、緊急性の高いものから順次処理していた、つもりです。そして、仕事を故意にさぼっていたつもりはない。結果として優先順位の低い仕事が溜まっていましたが、それは極論を言えば年度内に処理すればいいもので、期限が決まっているものではありません。
仕事が遅かったかもしれない。優先順位のつけ方が間違っていたかもしれない。他の人から見れば「溜めすぎ」だったのかもしれませんが、それならそれで、急いで処理するように言ってくれればいいだけではないでしょうか? そうすれば、私は残業してでも処理します。わからないことがあれば調べるし、聞くけれど、自分でやります。それをなぜ、代わりにやってしまうのでしょう?
それは、「あなたには言っても処理できない、その能力がない」と言っているのと同義ではないでしょうか?
被害妄想? そうかもしれない。でも、私にもちっぽけなプライドがあります。いっぱしの大人で、人並みに仕事ができるつもりでした。「うつ」という病気が発症してさえいなければ、自分もやればできるんだ、と。
実際、配属されてまだ4ヶ月ですが、期限に間に合わなかった仕事はありません。大きなミスもしていない。細かいミスはありましたが、事後処理はきちんとできていたはず。だからやればできる、というプライドがあった。
離脱していた1週間、代わりに処理してくれていたことはありがたいし、復帰してからも気遣ってくれるのは嬉しいことです。
でも。
この対応に、私のちっぽけなプライドはズタズタに引き裂かれました。表面では平静を装っていましたが、内心は穏やかではありませんでした。自分は「仕事のできない人間」なのか。周りからそう思われてしまっているのか。
「『じんざい』には3種類あるんだ」
昔、先輩職員に言われた言葉が脳裏をよぎります。
存在が組織の財産である「人財」、人並みの「人材」、存在自体が罪である「人罪」。
自分は、せめて「人材」だと思っていた。でも実は「人罪」であり、いてはいけない人間なのか──。
「ケーンさん、来週、飲みに行きましょうよ」
終業のチャイムが鳴った後、陽気な同僚がそう声を掛けてくれましたが、私は軽く笑みを返すのが精一杯で、逃げるように職場を去りました。
帰りの電車の中で、私の精神は下降の一途をたどりました。悲しくて、悔しくて、情けなくて。
食欲もなく、帰宅した私は母にコンビニで買ってきた弁当を渡すと、自分は2階の部屋にあがって布団に入りました。当然、心配した母があがってきて声を掛けてきましたが、私は、
「今はそっとしておいてくれ」
と言うのが精一杯でした。
それから、3時間。
軽く眠り、少し落ち着いた精神状態で、今、私はこれを書いています。
たぶん、明日、仕事には行くでしょう。うつ傾向にあっても、意地でも行くと思います。ただ、職場に着いた後、明るく元気な同僚たちと同じテンションで仕事ができる自信はない。私を飲みに誘ってくれた同僚が、「明日のランチはみんなでケーンさんの復帰祝い」と言っていましたが、正直、その場で笑顔でいられるかどうか。
悪魔の囁きが、今も頭に貼りついて離れません。
明日のランチでみんなが見せる笑顔が、心からの祝福の笑顔なのか、仮初めの嘲笑なのか。
そもそも自分は、復帰を祝ってもらえるような人間なのか。
また心が壊れるようなことにならないよう、今はただ祈るばかりです。
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