ケーン、文明の利器に驚愕する。
カーナビ。
カー・ナビゲーション・システムの略で、自動で車の位置情報を把握し、行きたい場所まで道案内をしてくれるシステム。
登場は1980年代で、2020年代の現代ではもはや常識と言っていいほどに普及し、これが搭載していない車はほとんどない──。
しかし、そんなカーナビとは無縁の男がいた。
そう、その男の名こそ、ケーン。生来の方向音痴であり、彼のためにこそカーナビは必要と言っていい。
だがしかし、ケーンはカーナビを持っていなかった。その理由とは──。
「いや、だって遠出しねえし」
そう。
この男、方向音痴を言い訳にして遠距離ドライブを頑なに拒否していたのだ。
遠くへ、知らない場所へ行けば必ず迷う。だから行かない。行くなら公共交通機関を使う。車で赴くのは、あくまで近所だけ。近所の道なら知っているから、別にカーナビがなくても困らない。もともと古い車だからついてないし、わざわざ高い金出してつける必要はない。
そうやって、男は生きてきた。実に40ウン年。
しかし、そんな彼は今、決断を迫られていた。
6月26日、日曜日。
男の母が自宅で転倒し、頭を負傷した。4センチほどの切創。流血もある。
男は行動した。日曜日の当番医を探している暇などないと、即座に119番通報。救急隊が駆け付けると、男の母を搬送。男は救急車に同乗した。
搬送先は、男とその母が住む市の隣の市にある病院。幸い骨にも脳にも異常はなく、傷口を4針縫う程度で済んだが、医師は言った。
「明日また、消毒に来院して下さい」
いや、それ市内の別の病院じゃダメですか──と言おうとした男だったが、看護師に「今日の分の会計は明日まとめて」と言われれば引き下がるしかなかった。明日また来て金を払わなければ食い逃げ、ではなく治され逃げになってしまう。
さすがに逮捕されるのは嫌だったので、男は医師の言葉に頷いた。そして帰りのタクシーの中でこう思った。
「まあ、またタクシーで来ればいいか…」
しかしこの目論見もあっさり崩れてしまう。
タクシー代、片道3,700円。
た、高い…。
と、男は思った。
往復したら7,000円を超えてしまうしまうではないか。そんなに出したら、ガソリン満タン入れられてしまう。いや、原油高に円安が進んでいる今ではどうかわからないが、確か数ヶ月前、レギュラー満タンにしたときは7,000円くらいだった。
男は決断を迫られた。
7,000円出して確実に目的地に着くほうを取るか、それをケチって道に迷うリスクを冒して自家用車で行くか。
翌日、男は自家用車の運転席にいた。
後部座席には男の母。助手席に置かれているのは男の携帯。
男はリスクを取った。しかし計算はした。ググって病院の位置を調べ、経路図を見て、道がわりと単純そうに見えたからだ。
真っ直ぐ国道を行って、途中で左折一回、右折一回。それで目的地に着く。地図さえあれば何とかなると思ったのだ。
と、男は気づく。
病院への経路図の下に、「開始する」というボタンがある。これは何だ?
訝しげにボタンに触れると、女性の声が携帯が流れ出た。
『目的地へのナビゲーションを開始します』
うお。
ま、まさか。
まさか、これは…。
「これはまさか、噂のカーナビなのかッ!?」
動揺を隠せないまま、アクセルを踏む。
『右方向です』
「お、おう」
右折。
『この先、4キロメートル道なりです』
「わ、わかった」
直進。
『300メートル先、左折です』
「あ、あれかっ」
左折。
そして──。
『目的地に到着です。お疲れさまでした』
…。
……。
………。
す、す…。
すすす…。
「すげ──!!!!」
男は興奮していた。
携帯のGPSから位置を把握し、目的地までの経路を割り出し、音声でガイダンスする。
なんと驚くべきシステムか。生来の方向音痴を、一度も迷わせることなく目的地まで誘導してのけるとは。
これがカーナビ!!
これが文明の利器!!!
これこそが最先端!!!!
だが、男は知らない。
それはすでに最先端ではなく、今や「当たり前」であることに──。
ケーン、時代に取り残された男。
彼の旅路は続く──。
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