ケーンの介護日記 その6~宣告の日 前編~
3月6日の日曜日は、大きな事件もなく、平穏に過ぎていきました。
ただ、母の言葉の端々に、認知症を思わせる要素が含まれていました。
例えば、1階の居間で夕食時。
「この家、わたしと兄ちゃんの二人暮らしだった?」
「うん、父さんが亡くなって、M子(妹の名前)が結婚してからはずっと俺と母さんの二人だよ」
「本当に? 2階に兄ちゃんいない?」
「え? 俺は今ここにいるでしょ。母さん、もう1人息子生んだ覚えないでしょ?」
「うん…。そっか」
あるいは、寝る前。
「ねえ、父さんはどこ?」
「父さんはもうずっと前に亡くなっていないよ。ほら、仏壇あるでしょ?」
「ああ…これ、父さんの仏壇なの」
認知症の人の言動には、本人なりの理由がある。だからいきなり「何言ってるの?」と跳ねのけてはいけない。ちゃんと話を聞いて、答えを返してやることが大事。ネットにそんなことが書いてあったことを思い出しながら、私は母に応対していきました。
それでも、その日はいつもより食欲があり、もともと量は少なめとはいえ、買ってきたコンビニ弁当を完食したので、少し調子いいのかな、なんて思っていました。
そして翌日、月曜日。
朝、私は母に何度も念押しするように言いました。
「今日から、Y(小規模多機能事業所の名前)のOさんがお昼に来るからね。ほら、この人」
私は、壁に張ったYの職員一覧(写真付き)を指します。
「…この人が、Oさん?」
「そう、Oさん」
「何をしに来るの?」
「母さんの様子を見に来るんだよ。と言っても、難しい話をしに来るわけじゃないから。お元気ですか、って来るだけだから、母さんは気楽に構えてていいからね」
「じゃあ、お茶とか出したほうがいいかな」
「そんなにかしこまったお客さんじゃないんだけど、うーん、まあ、出してあげたら喜ぶんじゃないかな」
「わかった」
そして、こう言うのも忘れません。
「母さん、足悪いんだから、勝手に外に出ないこと。いいね? 外は雪道で滑るしガタガタだから」
「わかってるよ」
母はもう耳にタコができてるよ、と言わんばかりに笑って答えます。その笑顔に仮初の笑顔を返して、
「それじゃ、行ってきます」
私は仕事に出掛けたのでした。
昼休み、職場の休憩室から家に電話すると、母が出ました。ちょうどOさんが来訪しているところでした。母の声は少し楽しそうに聞こえました。Oさんはケアマネジャーで、介護のプロです。きっと話もうまいのでしょう。私はほっとしながら、今夜の夕食は何が食べたいか聞いて、電話を切るのでした。
帰宅後、居間のテーブルには一枚のぺーパーが置いてありました。Oさんから家族あての簡単なメモのようでした。熱と血圧の数値と、お茶を用意して出迎えてくれたこと、小鳥の話で楽しそうにしていたこと、簡単な体操をしたことが書いてありました。体操はY事業所独自のもので、理学療法士が考案したもののようでした。
さすがプロ、ちゃんと考えてる。私は感心すると同時に、これなら任せて大丈夫かも、と安心しました。
母に変化が現れたのは、その翌日、火曜日からでした。
以前に比べて、明らかに表情が明るい。そして食慾もある。時々的外れな発言はあるものの、おおむね会話は成立するし、おかしな行動もなりをひそめました。
夕食時、ちょっと聞いてみました。
「母さん、あれ、どう? ほら、ここ自分の家じゃないっていう違和感」
「もう慣れたよ」
「慣れた? この家に?」
「ううん。変な感じはするの。でも、その感じにも慣れたから」
つまり、違和感はまだ感じているわけか。でも、前ほど強くはないようだ。Oさんと楽しくおしゃべりしたことが何か効果があったのかな。
翌日の水曜日も、平穏に過ぎました。
昼休みに電話すると、またちょうどOさんが来ていたタイミング。楽しそうな母の声を嬉しく思いながら、夕食のリクエストを聞き、電話を終える。仕事が終わるとコンビニに寄ってから帰宅。夕食を食べて、母に薬を飲ませたら、セキセイインコのレトを放鳥。8時を過ぎると、母もレトも就寝。私は自分の部屋に引き上げ、ネットを見たりゲームをしたりして過ごし、0時頃に床につきました。
そうして、3月10日の受診の日を迎えたのです。
3月10日、木曜日。
その日は平日ですが、私は1日休暇を取っていました。
でも、だからといって寝坊はできません。母の病院の予約は朝の8時30分。いつもと同じ時間に起き、レトを起こしてテレビをつけ、それから朝食のパンを食べていると、母も起き出してきました。
「おはよう。母さん、今日病院だからね。8時半の予約だから、8時15分には家を出るよ」
「うん。帰りはタクシーを拾えばいいの?」
「え、何で?」
「だって、兄ちゃんいないでしょ?」
「いるよ。今日は休み取ったんだもん。ちゃんと付き添うから、心配しなくていいよ」
「そうなの」
そして朝食と服薬を済ませると、身支度を開始。まあどうせマスクするんだし、と思って髭剃りは省略して顔を洗い、2階に上がって着替え。再び1階に降りると、母はもう上着まで来て、マスクもして椅子に座っていました。
「まだ時間あるよ?」
「うん、でも、もう着ちゃちゃったから」
苦笑しつつ、母のカバンを点検。保険証とおくすり手帳が入っているのを確認すると、今度は自分のカバン。事前に書いておいた問診票も、市立病院からの紹介状もある。うん、これで準備はOK。
8時を回ったところで、
「ちょっと早いけど、もう行こうか」
「うん」
「レト、俺と母ちゃん、ちょっと病院に行ってくるからね」
「ぴよ、ぴよ!!」
「ごめんね。今日は休みだけど、用事があるから出してあげられないんだ。夜にまた出してあげるから、今日はお利口にしていて」
「ぴよ、ぴよ!!」
懸命に「ひとりにしないで!!」と鳴くレトの声を背に、私と母は家を出ました。
目的のS病院までは車で5分もかかりませんでした。けっこう大きな病院なわりに駐車場が小さいので、車が停められるか少し心配でしたが、さすがに平日の朝一番で混雑にはなっていませんでした。
出入口の近くの駐車スペースに車を停めて、病院内へ。新しい病院なので、内装はきれいでした。
受付で名前を告げて保険証を提出し、待合スペースで待機。受付の横のプレートを見ると、診療は8時45分からと書いてある。30分以上待たされるのかなぁなんて思っていたら、一人の女性がやってきました。看護師長だといいます。
「問診票はお持ちいただけましたか?」
「あ、はい。これです」
「ありがとうございます。まずは私がお話を聞きますので、どうぞこちらへ」
案内されたのは、診察室が並ぶ廊下の突き当りにある面談室でした。母と私が並んで座り、テーブルを挟んで向かいに看護師長。席につくと、改めて自己紹介した後、問診が始まりました。問診票を見ながら、一つ一つ、項目を確認していく。
私は問診票に、Oさんへの説明や市役所でも使ったぺーパーを添付しておきました。問診票の中に、「いつから、どんな症状があるか具体的にお書きください」という項目があったので、いちいち書き入れるのが面倒だったので、「別紙のとおり」と書いて、そのペーパーをつけておいたのでした。
これがまた、大いに役立ちました。看護師長も目を通して状況を理解してくれて、問診はすんなり終了。次に精神科の医師の診断になりますが、けっこう待たされました。まあ、初診だし、看護師長から医師への情報伝達の時間もかかるでしょう。覚悟はしていたので、イラつくこともなく、大人しくスマホのニュースを見ながら待ちました。時々母の様子も見てみましたが、まだ疲れた様子はありませんでした。
やがて名前が呼ばれ、母と私は診察室に入りました。
初老の穏やかそうな医師でした。母は医師の正面の椅子に、私は部屋の隅にあった付添人用の椅子に腰を下ろします。
簡単なあいさつと状況確認の後、本格的な診察が始まります。
「これから私がいくつか質問をします。それに答えてくださいね」
「はい」
「今日は、何月何日の何曜日ですか?」
「…うーん、3月の…何日だったかな…」
いきなり詰まる母。医師は回答を急かしはせず、私もここは助け舟を出しません。出してはいけないとわかったからです。
これは母の認知能力を測るテストだ。たぶん質問項目も決まっているのでしょう。
「100から97を引くといくらになりますか?」
「えーと…100から…9じゅう…?」
暗算が苦手な私でもわかる簡単な引き算です。でも、母は答えられません。
その後もいくつか質問があったり、手を真っ直ぐに伸ばすよう求められたり、立って歩かされたりしました。母は質問の半分以上に答えられず、手を伸ばせば震えてうまくいかない、歩けば真っ直ぐに歩けない、という具合でした。
医師は一通りの診察を終えると、次に神経内科へ行くよう告げました。看護師長が案内してくれます。精神科のすぐ近くなのですが、母は歩く速度が極端に遅いため、けっこう時間がかかりました。
神経内科ではレントゲンを撮った後、医師の診察。これは私は同席を許されませんでした。
診察が終わると、再び精神科の待合スペースへ。先ほどの精神科の医師から、診断結果か告げられるとのことでした。
「私、やっぱり認知症なのかな」
「たぶん、ね」
私は、「そんなことないよ」などという気休めは言いませんでした。認知症であるならそれで、現実を本人にもきちんと受け止めてほしかったのです。
しばらく待たされた後、名前が呼ばれ、再び診察室に入りました。
「まずね、あなたはパーキンソン病ではないです」
医師は最初にそう言いました。
「パーキンソン病に似た症状が出ているけど、パーキンソン病ではない。あなたは『レビー小体型認知症』です」
レビー小体型認知症。
この診察までにネットで色々認知症のことを調べてきた私ですが、初耳の言葉でした。認知症にも種類があるのか。認知症、すなわち正式名称アルツハイマー型認知症、だと思っていたけれど。
「この型の認知症の症状には、運動障害があります。パーキンソン病みたいに、手が震えたり、転びやすくなったりする。それに錯視や妄想もある。中程度のレビー小体型認知症です」
やっぱり、認知症だった。
確信が事実に変わっただけで、私に驚きはありませんでした。母も覚悟はしていたようで、黙って医師の話を聞いています。
「認知症を治す方法は、残念ながらありません。アルツハイマーもレビー小体型もね。でも進行を遅らせることはできる。薬を処方するので、それを貼ってください」
え?
今「貼って」って言った?
戸惑う私。飲み薬じゃないの?
「貼り薬です。貼ってください」
貼り薬。そんなものが処方されるとは、意外というか、驚きでした。貼り薬と言えばイメージするのは湿布で、あれは患部に貼るものです。でも、認知症の場合、患部ってどこだ?
「えっと…どこに貼るんですか?」
「どこでもいいですよ」
「はい?」
「どこに貼ってもいいです」
「わ、かかりました」
「じゃあ、後の薬も2週間処方しておきますので」
「あ、薬のことなんですが…」
私は、市立病院に通っていた頃から、母の薬が多いと思っていたこと、そのため自分で管理ができなくなっていることを話し、できればこの機に薬の種類や量などを見直してほしいと医師にお願いしました。すると医師は、PCの画面を見ながら、
「うーん、でも、いきなり減らしたらまずい薬も含まれてますし、ひとまず今までの薬を出して、様子を見ながら考えていきましょう」
それよりも、と医師は言いました。
「薬は出しますが、認知症の治療のために、お母さんにはウチでやっているデイケアをお勧めしたい」
「デイケア、ですか…」
母は知識として知っていたし、私も以前、リワーク・デイケアという場所に通っていたことがあるので、デイケアというのがどういうものなのか、何となくイメージはできました。
「この病院は、認知症デイケアの施設も併設していましてね。例えば週に1回でも通っていただければ、治療に有効だと思うんです」
曰く、自宅まで送迎もしているので、家族が送り迎えする必要もないといいます。
これは母の気持ち次第だな。そう思った私は、困ったようにこちらを見る母に、
「母さん次第だよ」
と言いました。
「もしよければ、これから見学もできますよ? その気があるなら案内させますけど、どうですか?」
私個人としては、今の母にはハードルが高いのではないかと思いました。
もちろん近い将来には、元気になって、家族以外の人ともたくさん触れ合うようになってほしい。そうすることで、脳に刺激を与えていくことが認知症の治療に良いと、確かネットの記事に書いてあったのを私は思い出していました。
でも、私自身がうつ病で落ち込んでいた時期も含めて、母は家族以外の人たちと触れ合わずに過ごした時間が長すぎる。いずれ社会に出ていくにしても、段階を踏んだほうがいい。小規模多機能ホームのOさんに通所を勧められた時にも思ったことでした。病院の大きさから想像するに、ここのデイケアはけっこうな規模だ。そこへ飛び込む勇気が、果たして今の母にあるのかどうか。
私は、母が断るものと思っていました。ところが、
「はい」
母は頷いたのです。
本当に大丈夫? そう思いましたが、母が了解した以上、私に否やはありません。話は進み、医師は机の電話を取って担当者を呼び出しました。
「すぐに迎えの者が来ますから、診察室の前で待っててください。それでは、こちらはもういいですよ」
「はい。ありがとうございました」
立ち上がって、ぺこりと頭を下げる母。私も倣って、それから診察室を出ました。
「本当にいいの?」
案内の人を待つ間、私は尋ねました。
「うん」
と、母は頷きます。ただ、どことなく元気がないように見えました。
まあ、それはそうか、と私は思いました。「あなたは認知症です」と言われて笑っていられる人間もいないだろう。
でも、本当にそれだけなのだろうか? 一抹の疑問が、私の頭から離れないのでした。
15分ほど待ったでしょうか。
「すみません、お待たせしてしまって」
担当者らしき女性が、恐縮しながら早足でやってきました。
「私、デイケアの〇〇と申します。さっそく、ご案内しますね。まずどんなものか実際に見てもらって、それから詳しい説明ということで」
そうして私と母は、病院の隣の建物へと案内されていったのでした。
~つづく~
レト「おかあちゃん、ほんとにいいんでち?」
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