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« ケーンの介護日記 その7~宣告の日 後編~ | トップページ | ケーンの読書感想文「白銀騎士団」 »

2022年4月17日 (日)

このどうしようもなく醜く愛しい世界で その2

 どうも、ケーンです。

 もともと、この記事に「その2」を書くつもりはありませんでした。政治とか経済なんかとは無縁の、エンタメなブログを書きたいのです。

 でも。

 この件に関しては、どうしても言いたいことがある。

 なので、筆を取りました。

 なおこれはあくまで私個人の考えであり、特定の思想・団体を誹謗中傷、あるいは逆に支持擁護する目的のものではありませんので、あらかじめご承知おきください。

 

 

 昨日のことです。

 財布の中の現金が心許なくなったので、古くからの現金主義(よっぽど大きな買い物でなければカードは使いません)である私は、近所のATMへと向かいました。

「おっ、今日は空いてる。ラッキー♪」

 いつもは大抵2、3人は並んでいるのですが、今日は空いているどころか誰もいない。

 給料日まで保つ分として3万円程度引き出して、ついでに通帳の記帳もしてしまおう。

 そう考えながらATMの前に立った私を待っていたのは。

 

「故障中」

 

というでかい貼り紙でした。

 

 …。

 ……。

 ………。

 

 

 スミマセン、ウソです。

 いやウソではないんですが、こんなことを書きたかったわけではないんです。ああっ、見るのをやめないで!!

 ごめんなさい、もうふざけません。真面目にやります。

 

 

 えー、コホン。

 では気を取り直して。

 昨日のことです。

 朝、新聞を見ると、一面にこんな記事が書かれていました。

「旭川いじめ7人関与 第三者委 8月末にも最終報告」

 みなさんの中にも、記憶にある方がいるのではないでしょうか。

 昨年3月、北海道旭川市の公園で、当時14歳の中学2年生だった一人の少女が凍死した状態で発見されました。

 その後の調査で、少女は同じ学校の複数の生徒から「いじめ」を受けていたことが判明しました。詳しいいじめの内容はあんまりひどいのでここには載せません。ニュースサイトなどをご覧ください。

 当時、少女は何度も母親に「死にたい」と漏らし、果ては近くの川に入って自殺を図っています。母親はいじめを疑い、何度も学校に相談したが、いじめの存在は否定され続けたといいます。川での事件をきっかけにやっと学校は重い腰を上げて生徒への聞き取り調査を行いましたが、少女本人からは何も聞かないまま、母親に、

「いたずらが過ぎただけ。悪意はなかった」

 そして、

「加害者にも未来がある」

 そう言ったといいます。

 学校の言い分を、市の教育委員会は鵜吞みにしました。上位機関である北海道教育委員会から「いじめの疑いがある。再調査しなさい」と言われても、それをしないまま、「いじめの認知に至らなかった」と報告したそうです。

 少女が命を絶って初めて、市の教育委員会は第三者委員会を設置し、調査を開始。その第三者委員会が一昨日、7人が少女へのいじめに関与したとする中間報告を発表しました。

 これが記事の概要です。

 ひどい話ですね。加害者はいじめをし、学校はこれを否定し、市の教育委員会はこれをもみ消そうとした。到底許せる話ではありません。

 これでようやくいじめの存在が認定されたことになります。ようやく遺族の訴えが認められたということで、良いことではあります。

 でも。

 果たして、いじめに「認定」なるものが必要なのでしょうか?

 そもそも、いじめだと認定するための「基準」って何でしょう?

 暴力をふるったらいじめ? なら手を上げなければいじめじゃないの?

 暴言を吐いたりからかったりするのがいじめ? じゃあみんなで無視するのはいじめじゃないの?

 明確に「これが基準です」と言えるお役人とか学者さんとかがいたら会ってみたい。

「いじめる:弱いものを苦しめたり、乱暴したりすること」

 国語辞典にはこう書いてあります。

 じゃあ、明らかに体格・筋力で勝る屈強な男子生徒一人を、女子生徒全員でシカトした場合は?

 いじめの形は千差万別です。もう、ジャイアンがのび太をいじめてるのを見て「あれがいじめだ」と言える時代ではないんです。いや、あれだって複雑です。のび太はジャイアンを友達だと思っています。ジャイアンはのび太を「心の友よ」と呼びます。「ドラえも~ん、ジャイアンがいじめるよ~」と泣いていたのび太は、翌日はケロッとしてジャイアンやスネ夫とつるんでいたりします。そうなると、はて、本当にジャイアンはのび太をいじめていたのか? ということになる。

 第三者からみて、「それはいじめです」と明確に言うことなどできないんです。基準なんて作れるわけがない。

 世の中の人が全員一致で「うん、あれはいじめだね」と認めたらいじめになりますか?

 それとも民主国家らしく多数決で決めますか? 国民の過半数が認めたらいじめになる、というように?

 ばかばかしいですよね。

 この世でいじめを認定できる人がいるとしたら、それはたった一人です。

 神様じゃありませんよ?

 それは「被害者」です。

 どんなに些細なことでも、被害者が「いじめられた」と感じたら、それはもう、誰が何と言おうといじめなんです。

 まあ世の中には「被害妄想」というものもありますが、それはこの際ちょっと置いておきましょう。話が長くややこしくなりますから。被害者の心が病気ではないことを前提でお話しします。

 あ、ナイーブなのは性格ですからね、病気じゃありません。「あの子ナイーブだから、ちょっとのことでいじめられたと思うのよね。あんなのいじめじゃないわよ」なんて論法は通じませんよ。

 話を戻します。

 告白しますと、私にもいじめられた経験があります。

 私は小さいころから爪を噛んだり、首を捻ったり、顔の筋肉をひきつらせたりする「クセ」がありました。ビートたけしさんを想像するとわかりやすいかな? あんな感じです。そのために、小学校からよく同級生にからかわれていましたが、高校に進学するとそれがいじめに変わりました。

 面と向かって暴言を吐かれたり、暴力を振るわれたり、ということはありませんでした。やられたのは、無視、陰口、嘲笑。

 最初はクラスの何人かでしたが、高2に上がる頃にはクラス全員敵でした。

 ああ、陰口って本人にわからないように言うから陰口なんですけど、日本語って難しいですね。なんで陰口たたかれてるのがわかるかっていうと、厳密には陰口じゃないからです。ぼそっと、本人に聞こえるように悪口を言うんです。

 はっきり言って、程度としては大したものじゃありません。凍死した少女がやられていたことに比べれば些末なものです。

 でも、当時の私にはかなりきつかった。だって、学校って基本的に自分のクラスに行くじゃないですか。そこにいるのが全員敵なんですよ? 全員から無視されて、あるいは小声で悪口言われて、こっそり壁に悪口書かれて。ちょっとおかしなことをすると嘲笑です。ええ、たとえそれが、ちょっとお腹が痛くなって授業中にトイレに行くってだけでもね。

 よく小学生が大きい方をしにトイレに行くとみんなにからかわれるから、大きい方は我慢する、って言うじゃないですか。あれを私高校生でやってたんですよ。どうしても我慢できなくなると、「具合が悪いので保健室に行きます」と言って教室を出て、トイレに駆け込む。でもね、そんな口実、クラスのみんなにはお見通しです。みんなだってトイレに行くくせに、私が行くと嘲笑されるんです。

 でもまあ、いちばん辛かったのはやっぱりシカトでしょうかね。別に無理にクラスのみんなと友達になろうとは思っていませんでしたけど、わざと無視されていると思うとやっぱり辛い。これはもう、感情の部分なのでどうしようもなかったですね。

 それでもまだ私は幸運なほうです。別のクラスに数名友達がいましたから。休み時間はそっちのクラスに行きましたし、あと、少人数でしたが部活もやっていました。卓球部。そこではいじめられなかったのでありがたかったですね。

 担任の先生には、いじめのことは言いませんでした。先生が気づいていたのかどうかはわかりません。どちらかといえば体育会系の先生でしたから、知っていたらはっきりクラスの全員を叱っていたでしょう。なので、本当に気づいていなかったのかもしれませんね。

 なぜ言わなかったのか? 言ったところで、今さらクラスの連中と仲良くできるとは思えなかったからです。先生が言ったところで反省する連中じゃないと思っていましたし、仮に反省して謝ってきても、こっちは許すつもりはありませんでしたから。ちなみに親にも一切言いませんでした。親に言っても、結局先生に話が行くだけで、同じことですからね。

 なので、友達と一緒に勉強をがんばりました。がんばって成績を上げて、クラスの連中の学力では到底届かない大学に行ってやろうと思ったわけです。これも一種の「逃避」です。いじめから逃げたかった。クラスの連中ともう二度と会わないようにするにはどうすればいいか。誰も入学できないような大学に入ればいい。そのために勉強したわけです。

 結果、地元の国立大学(まあ北海道の国立大学っていったらもう一つしかないですが)に学年で唯一、現役合格することができました(スミマセン、これ自慢です)。

 大学でまたいじめられるか不安ではなかったのか? 不安はありませんでしたね。大学に入ればじき20歳になる。もうオトナです。いいオトナが集団でいじめなんて幼稚な真似をするとは思っていませんでした、当時は。まあまだ世間知らずでしたから。大人の社会でもいじめがあるんだってことは、就職してから知りました(別に私がいじめられたわけじゃないですけどね)。

 ちなみに。

 合格発表から卒業までの間に一つ、エピソードがあります。

 ある日、下校しようと靴を履いていると、声をかけてくる女生徒がいました。二人連れです。名前は覚えていませんが、同じクラスだということはわかりました。

 何かと思っていると、片方の女生徒が一言、

「ケーン君、合格おめでとう」

と。

 あれ、何だったんでしょうね? 当時はクラスの全員が敵でしたから、敵からお祝いの言葉をかけられても戸惑うだけで、私はうんもありがとうも言わず、黙って二人が逃げるみたいに去っていくのを見送るしかありませんでしたが。

 30年経った今、思い返してみると、もしかして、あれは、ひょっとしたら…。

 なーんて。

 まあそんなわけで、私はいじめから脱出することに成功したわけですが、凍死した少女は私なんかよりもっともっと辛い思いをしたのでしょう。そして、それを打ち明ける相手も、そこから脱出する手段も見出すことができなかったのでしょうね。そもそも母親に「死にたい」なんて、よっぽどのことがないと言えることじゃないです。自分を産んで育ててくれた存在ですよ? それを「死にたい」なんて、恩を仇で返すようなものです。でも、自分の危機を打ち明けられる相手が、きっとその母親しかいなかったのでしょう。

 そんなにまで追い詰められたことが「いじめ」だったかどうかなんて、他人が決めていいことではありません。決めていいのはたった一人、少女本人だけです。

 誰の「認定」も要らない。本人がそう感じたならそれは「いじめ」です。

 そのことを、世間はきっと本能的には理解しているはず。厄介なのは人間が作ってしまった「社会」というシステムです。社会は法の許可なしに加害者を罰することを禁じている。罰するためには法的な「根拠」が要る。つまり法律が「この少女はいじめられたこと原因で自ら命を絶った」と認めない限り、加害者は法的に罰されないどころか、「推定無罪の原則」によって法律に守られてしまうのです。

 ね? 厄介でしょう? 社会というシステムに組み込まれてしまった人間の悲しさというか、愚かさというか。

 だから、今でも「少女の死といじめの因果関係」なんてものを調査しているのです。

 いじめは認定する、しかし、それが少女の死の原因かどうかはまだ認定できない、というわけです。

 そんなもの、遺体をいくら調べたって出てくるはずがありません。法律上、少女の死は「凍死」であり「自殺」です。資格を持った医師が死体検案書にそう記述した以上、これは覆りません。遺書があっても決定的な証拠にはなりません。遺書が具体的に加害者の名前を挙げていても、当人たちが否定すればそれまでです。加害生徒たちが凶器を向けて少女を身動きできなくして、そのまま凍死させた、といった内容の動画でも出てくれば話は別ですが、今はディープフェイクもありますからね。加害者側はCG合成だと主張するでしょう。

 私は「推定無罪」を否定したいわけではありません。法律も必要なものだと思っています。ただ人間という不完全な動物が作ったシステムである以上、完璧なものではあり得ない。利点もあれば欠点もある。今回はその欠点の部分が如実に出ているな、という印象です。

 少女の母親は代理人を通じて、こうコメントしています。

「いじめは人の命を奪う恐ろしい行為だと加害生徒に自覚してほしい」

 優しいですね。きっと亡くなった少女も優しい娘だったのでしょう。だから本人の心情を気遣って、こんなコメントが出る。

 本音はね、加害生徒が憎くて憎くてたまらないはずですよ。自分の子供を理不尽に殺されて、怒らない親なんていません。きっとその怒り、憎しみは一生消えない。口で許すと言っても、心情では絶対に許さない。たとえ加害生徒が泣いて詫びてもダメです。死んで償ったって無理。そんなことをされても何にもならない。親が望むのはたった一つ。

「子供を返してほしい」

 それだけなんですから。

 さて、私はずっと「加害者」とか「加害生徒」とか言っていますが、それは新聞に実名が出ていないからです。それは彼ら・彼女らが未成年であることに加えて、まだ「容疑者」ではないからでしょう。

 一方、被害者となった少女は実名を明かされました。そして、いじめを受けていた間、どんな恥ずかしいことをさせられていたのかも、すべて晒されました。

 不公平だな、と思います。いじめが法的に認定されたのなら、加害者は実名を明かされてもいいのではないでしょうか? 未成年だから? なら18になって成人を迎えたら実名になりますか? 怪しいものですね。

「加害者にも未来がある」

 前述したとおり、学校はそう言いました。

 私はそんなものを認めたくありません。

 加害生徒たちは少女の未来を、それこそ何十年分もの未来を奪ったんです。奪っておいて返さない。返せない。未来だけじゃない、現在もです。いじめを受けていた間、少女は辛いだけの毎日だったはずです。本当は楽しく過ごせるはずの時間を、加害生徒たちは奪った。

 そんな連中の未来を考えろと、どの口が言うのでしょう? よりにもよって学校が、少女の親に対して?

 人一人の現在と未来を奪った罪は、一生をかけて償うんです。今すぐ処刑されないだけありがたいと思うべきです。

「目には目を」

 大昔の人間はそんな法律の下で生きていました。加害生徒は現代の日本に生まれて幸運でしたね。

 学校はどう償うつもりなのでしょう。

「いじめ防止に全力で取り組む」(校長談話)

 そんなものこれからの話です。少女の死に対する責任については一切触れられていません。

 個人的に無理やり法律にあてはめるなら、学校は「犯人隠避」の罪です。いじめの存在を否定し、もみ消そうとした。つまり加害生徒を庇ったことになります。殺人犯を庇ったら罪に問われます。それと同じ。

 とにかく、罪を犯した人たちが正しく罰せられる毅然とした社会であってほしいですね。

 亡くなった少女(個人的な感情から最後まで実名は伏せます。ご容赦を)に対しては、心からご冥福をお祈りします。

 願わくば、いじめとは無縁の世界に生まれ変わることができますように。

 それでは今回はここまで。

 みなさん、なるべく善く生きようね!!

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 PIECE…!!

 

 

 

 

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