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2022年4月

2022年4月24日 (日)

レトの得意技

 どうも、ケーンです。

 人間、誰でもひとつくらいは特技があるものです。

 動物もそう。

 インコの場合は、おしゃべりが代表的でしょうか。特にオスはおしゃべりが上手で、時に飼い主と会話が成立してしまうことも。

 我が家のセキセイインコ、レトはメスです。一時期オスなんだかメスなんだか不明な時期がありましたが、今、レトの鼻は立派に茶色。女の子確定です。

 メスの中にも、自分の名前やあいさつくらいはできるお利口な子はいます。でもレトはもっぱら「鳥語」。いや群れの中で育ったわけではないので、鳥の言葉かどうかすらあやしい。「レト語」といったほうが正しいかもしれません。

 とにかく、日本語は話せない。いつも独自の言語と行動とで意思疎通を図ってきます。

 え? フツウじゃないかって?

 まあ慌てないでください。そんなレトにも、特技があるんです。

 まず、カゴの上のほうに飛びつきます。

2022022501

 こんな感じ。ここから…

 うまく動画上がってますかね?

 こんなふうに、クチバシを支点に回転するんです。

 家族はこれを「くるりん」と呼んでいます。私は個人的に「シングルオイラー」と。

 なかなかではないですか? 羽生結弦くんも顔色なし。

 これ、レトの「出して出して」アピールなんです。

 最初は、カゴの上のほうに飛びつくだけでした。でもそのうち、出たい気持ちが高まって、ついに回転技に昇華。多いときは4連続回転くらいします。さすがに首は360度以上回らないので、トリプルアクセルは無理ですがw

 ただね、レトは恥ずかしいのか勿体ぶっているのか、カメラを向けるとやめちゃうんです。なので動画に収めるのに時間がかかりました。けっこう前からやってるんですけど、公開まで時間がかかったのはそういうわけです。

 ちなみにこれをやってもカゴを開けないと、怒ります。

「安くないんだからねっ!!」

というわけでしょうかw

 ほんと、インコはいつも人間の予想を超えてくるので、飽きないですね。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

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2022年4月23日 (土)

ケーンの読書感想文「白銀騎士団」

 どうも、ケーンです。

 読書感想文、今回はこちら。

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 光文社「白銀騎士団」(著者:田中芳樹)

 

 帝国主義に覆われ、軍靴の響きが近づく1905年のロンドン。霧の垂れこめた街には夜ごと怪物が跋扈していた…。けれど、この街には暗鬱な空気に立ち向かう「白銀騎士団」がいる。腕利きの従者の中国人・李、インド人・ゴーシュ、負けん気の強いメイドのアイルランド人・アニー、そして若き准男爵にして団長のサー・ジョセフ。個性豊かな面々がロンドンの平和を守り、貧乏貴族から脱するため、はびこる悪と今日も戦う!(帯より)

 

 「銀河英雄伝説」や「アルスラーン戦記」有名な田中芳樹の新作です。まあ厳密には、2005年に発表した短編に書き下ろしを加えて一冊の本にしたもので、ストーリーとしては短編一本、中編一本というところです。

 ジャンルは冒険小説。

 田中芳樹は色んなジャンルの小説を書きます。SFからファンタジー、歴史もの、冒険もの、アクションなどなど。書いていないのは、ミステリーと恋愛ものくらいでしょうか。得意なのは歴史ものですね。歴史小説も書きますが、「銀河英雄伝説」だってSF世界を舞台にした歴史ものですし、「アルスラーン戦記」も一見ファンタジーですが実は架空歴史小説。「創竜伝」は超能力アクションと思わせておいて、実は中国の歴史・伝説が深く関わってくる。

 冒険小説といえば、デビュー作が冒険小説でしたが、これは記録的に売れなかったといいますw 私には面白かったですけどね。

 最近だと、「ビクトリア朝怪奇冒険譚三部作」があります。これも19世紀の英国を舞台にした冒険もので、面白かったです。

 田中芳樹の小説は、歴史ものが好きなこともあって、背景世界がしっかりしてるんですよね。そしてその中で、登場人物が生き生きと動く。キャラクター造形もうまいんですよ。真面目で正義感の強いヒーローとか、美人でおしとやかなヒロインとか、そういうステレオタイプなキャラクターはあんまり出てきません(アルスラーンとアンネローゼくらいかな?)。脇役にも何かしらの個性がある。たとえ敵であってもね。

 この小説の主人公もそう。騎士団長で准男爵という肩書だけ聞くと、堅くて真面目な人物の印象がありますが、サー・ジョセフはぜんぜん違います。本人は自分は英国紳士だと言いますが、ぜんぜんらしくない。まず、貴族なのに従者に頭が上がらない。もっと言えばメイドの少女(もちろん年下)にだって尻に敷かれています。お金にだらしないからいいオトナなのにお小遣い制だし(財布は従者が握っています)、女性に弱くてちょっと美人を見ると口説こうとする。

 でも、それを補って余りある美点があります。それは「物事を正しく見られること」(ただし女性を除く)。

 サー・ジョセフは英国貴族で母国に忠誠を誓っていますが、同時に母国がどんなに悪いことをしてきたか理解しています。英国はインドや南アフリカを植民地にしたし、中国にアヘンを密輸して巨額の利益を得、中国がこれに反発すると戦争をしかけました(アヘン戦争)。人種差別も平気でしていました(これは英国に限りませんが)。東洋人やアフリカ人は西洋人より下だと見下し、差別したり、奴隷にしたり、売ったり買ったり。それらを理解しながらも、母国に対する忠誠心は捨てられないでいる。心中複雑でしょうが、本人はいたってあっけらかんとしていて、従者の中国人・インド人コンビをぞんざいに扱ったりはしていません。こづかいが少ないと文句を言いながらも、「従者のくせに主人の言うことが聞けんのか」と頭ごなしに怒鳴って命令したりはしないのです。

 劇中で、サー・ジョセフは敵にこんな罵詈雑言を浴びせられています。

「何をえらそうに。イングランド人のくせして。全世界の嫌われ者! 阿片の密売人! 遺跡荒らしの墓泥棒! 味覚オンチ!」

 サー・ジョセフは何も言い返せませんでした。アヘン戦争は言うに及ばず、英国は世界各地の遺跡や墓(ピラミッドとかね)を荒らして宝物を持ち帰ったし(それらは今も大英博物館にあります)、英国の料理が、例えば当時のインドや中国に比べれば格段に不味かったのは事実でしたからね。

 そんな彼でも、やる時はやります。でもやっぱり、事件が終わると従者にたしなめられたり、メイドに叱られたりするわけですよ。

 このへんのさじ加減がうまいんですね。決してかっこよくはないんだけど、でもちゃんと主人公として立っている。ここはさすが田中芳樹だなあ、と思いました。

 では文句なしの★5なのかというと、残念ながらそうではありませんでした。

 新作発売の予告があった時は、すごく期待したんですよ。長年の田中芳樹ファンですから。

 舞台が1905年。20世紀初頭ですから、田中芳樹のこと、当然、歴史的要素も詰め込んだ冒険小説になる。予告を見る限り、キャラもみんなひとクセあって面白そうだ。彼らがどんな大冒険を繰り広げるんだろう? 田中芳樹お得意の毒舌漫才もあるのかな?

 長年続いてきたシリーズ(「アルスラーン戦記」や「創竜伝」)を完結させてしまった田中芳樹の、新たな代表作となるか?

 そしてもちろん、書店に入荷されてすぐにゲット。帰りのJRですぐに読み始めました。

 で、感想。

 うん、田中芳樹作品だったね。

 面白かったです。でも。

 田中芳樹らしいキャラクターが、田中芳樹らしい冒険をして、田中芳樹らしい敵と戦って退治した。

 そう思っちゃったわけです。予想を超えてはこなかったんですよ。

 まあ私は田中芳樹のキャラも台詞回しも好きですし、ストーリーテリングも好きです。最近巷に溢れてる、やたらタイトルの長いライトノベル(中には面白いものもありますよ、もちろん)に比べても遜色ない。

 まだ田中芳樹作品に触れたことのない方には、ぜひオススメしたい。

 田中芳樹が好きな人も楽しめるでしょう。ですが往年のファンが「唸る」かというと、そこまでではないように思うのです。

 今はまだ、ね。

 物語はさらに広がるかのような伏線を残しています。今回は舞台がロンドンのシティ・アドベンチャーでしたが、これがシリーズ化されて、やがては世界規模の大冒険へと進んでいくのか。そうなると「化ける」かも知れませんね。

 ってことで、今回は、

 オススメ度 ★★★★☆

としておきます。

 一読の価値あり。でも往年のファン目線からすると今後に期待!! ということで。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

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2022年4月17日 (日)

このどうしようもなく醜く愛しい世界で その2

 どうも、ケーンです。

 もともと、この記事に「その2」を書くつもりはありませんでした。政治とか経済なんかとは無縁の、エンタメなブログを書きたいのです。

 でも。

 この件に関しては、どうしても言いたいことがある。

 なので、筆を取りました。

 なおこれはあくまで私個人の考えであり、特定の思想・団体を誹謗中傷、あるいは逆に支持擁護する目的のものではありませんので、あらかじめご承知おきください。

 

 

 昨日のことです。

 財布の中の現金が心許なくなったので、古くからの現金主義(よっぽど大きな買い物でなければカードは使いません)である私は、近所のATMへと向かいました。

「おっ、今日は空いてる。ラッキー♪」

 いつもは大抵2、3人は並んでいるのですが、今日は空いているどころか誰もいない。

 給料日まで保つ分として3万円程度引き出して、ついでに通帳の記帳もしてしまおう。

 そう考えながらATMの前に立った私を待っていたのは。

 

「故障中」

 

というでかい貼り紙でした。

 

 …。

 ……。

 ………。

 

 

 スミマセン、ウソです。

 いやウソではないんですが、こんなことを書きたかったわけではないんです。ああっ、見るのをやめないで!!

 ごめんなさい、もうふざけません。真面目にやります。

 

 

 えー、コホン。

 では気を取り直して。

 昨日のことです。

 朝、新聞を見ると、一面にこんな記事が書かれていました。

「旭川いじめ7人関与 第三者委 8月末にも最終報告」

 みなさんの中にも、記憶にある方がいるのではないでしょうか。

 昨年3月、北海道旭川市の公園で、当時14歳の中学2年生だった一人の少女が凍死した状態で発見されました。

 その後の調査で、少女は同じ学校の複数の生徒から「いじめ」を受けていたことが判明しました。詳しいいじめの内容はあんまりひどいのでここには載せません。ニュースサイトなどをご覧ください。

 当時、少女は何度も母親に「死にたい」と漏らし、果ては近くの川に入って自殺を図っています。母親はいじめを疑い、何度も学校に相談したが、いじめの存在は否定され続けたといいます。川での事件をきっかけにやっと学校は重い腰を上げて生徒への聞き取り調査を行いましたが、少女本人からは何も聞かないまま、母親に、

「いたずらが過ぎただけ。悪意はなかった」

 そして、

「加害者にも未来がある」

 そう言ったといいます。

 学校の言い分を、市の教育委員会は鵜吞みにしました。上位機関である北海道教育委員会から「いじめの疑いがある。再調査しなさい」と言われても、それをしないまま、「いじめの認知に至らなかった」と報告したそうです。

 少女が命を絶って初めて、市の教育委員会は第三者委員会を設置し、調査を開始。その第三者委員会が一昨日、7人が少女へのいじめに関与したとする中間報告を発表しました。

 これが記事の概要です。

 ひどい話ですね。加害者はいじめをし、学校はこれを否定し、市の教育委員会はこれをもみ消そうとした。到底許せる話ではありません。

 これでようやくいじめの存在が認定されたことになります。ようやく遺族の訴えが認められたということで、良いことではあります。

 でも。

 果たして、いじめに「認定」なるものが必要なのでしょうか?

 そもそも、いじめだと認定するための「基準」って何でしょう?

 暴力をふるったらいじめ? なら手を上げなければいじめじゃないの?

 暴言を吐いたりからかったりするのがいじめ? じゃあみんなで無視するのはいじめじゃないの?

 明確に「これが基準です」と言えるお役人とか学者さんとかがいたら会ってみたい。

「いじめる:弱いものを苦しめたり、乱暴したりすること」

 国語辞典にはこう書いてあります。

 じゃあ、明らかに体格・筋力で勝る屈強な男子生徒一人を、女子生徒全員でシカトした場合は?

 いじめの形は千差万別です。もう、ジャイアンがのび太をいじめてるのを見て「あれがいじめだ」と言える時代ではないんです。いや、あれだって複雑です。のび太はジャイアンを友達だと思っています。ジャイアンはのび太を「心の友よ」と呼びます。「ドラえも~ん、ジャイアンがいじめるよ~」と泣いていたのび太は、翌日はケロッとしてジャイアンやスネ夫とつるんでいたりします。そうなると、はて、本当にジャイアンはのび太をいじめていたのか? ということになる。

 第三者からみて、「それはいじめです」と明確に言うことなどできないんです。基準なんて作れるわけがない。

 世の中の人が全員一致で「うん、あれはいじめだね」と認めたらいじめになりますか?

 それとも民主国家らしく多数決で決めますか? 国民の過半数が認めたらいじめになる、というように?

 ばかばかしいですよね。

 この世でいじめを認定できる人がいるとしたら、それはたった一人です。

 神様じゃありませんよ?

 それは「被害者」です。

 どんなに些細なことでも、被害者が「いじめられた」と感じたら、それはもう、誰が何と言おうといじめなんです。

 まあ世の中には「被害妄想」というものもありますが、それはこの際ちょっと置いておきましょう。話が長くややこしくなりますから。被害者の心が病気ではないことを前提でお話しします。

 あ、ナイーブなのは性格ですからね、病気じゃありません。「あの子ナイーブだから、ちょっとのことでいじめられたと思うのよね。あんなのいじめじゃないわよ」なんて論法は通じませんよ。

 話を戻します。

 告白しますと、私にもいじめられた経験があります。

 私は小さいころから爪を噛んだり、首を捻ったり、顔の筋肉をひきつらせたりする「クセ」がありました。ビートたけしさんを想像するとわかりやすいかな? あんな感じです。そのために、小学校からよく同級生にからかわれていましたが、高校に進学するとそれがいじめに変わりました。

 面と向かって暴言を吐かれたり、暴力を振るわれたり、ということはありませんでした。やられたのは、無視、陰口、嘲笑。

 最初はクラスの何人かでしたが、高2に上がる頃にはクラス全員敵でした。

 ああ、陰口って本人にわからないように言うから陰口なんですけど、日本語って難しいですね。なんで陰口たたかれてるのがわかるかっていうと、厳密には陰口じゃないからです。ぼそっと、本人に聞こえるように悪口を言うんです。

 はっきり言って、程度としては大したものじゃありません。凍死した少女がやられていたことに比べれば些末なものです。

 でも、当時の私にはかなりきつかった。だって、学校って基本的に自分のクラスに行くじゃないですか。そこにいるのが全員敵なんですよ? 全員から無視されて、あるいは小声で悪口言われて、こっそり壁に悪口書かれて。ちょっとおかしなことをすると嘲笑です。ええ、たとえそれが、ちょっとお腹が痛くなって授業中にトイレに行くってだけでもね。

 よく小学生が大きい方をしにトイレに行くとみんなにからかわれるから、大きい方は我慢する、って言うじゃないですか。あれを私高校生でやってたんですよ。どうしても我慢できなくなると、「具合が悪いので保健室に行きます」と言って教室を出て、トイレに駆け込む。でもね、そんな口実、クラスのみんなにはお見通しです。みんなだってトイレに行くくせに、私が行くと嘲笑されるんです。

 でもまあ、いちばん辛かったのはやっぱりシカトでしょうかね。別に無理にクラスのみんなと友達になろうとは思っていませんでしたけど、わざと無視されていると思うとやっぱり辛い。これはもう、感情の部分なのでどうしようもなかったですね。

 それでもまだ私は幸運なほうです。別のクラスに数名友達がいましたから。休み時間はそっちのクラスに行きましたし、あと、少人数でしたが部活もやっていました。卓球部。そこではいじめられなかったのでありがたかったですね。

 担任の先生には、いじめのことは言いませんでした。先生が気づいていたのかどうかはわかりません。どちらかといえば体育会系の先生でしたから、知っていたらはっきりクラスの全員を叱っていたでしょう。なので、本当に気づいていなかったのかもしれませんね。

 なぜ言わなかったのか? 言ったところで、今さらクラスの連中と仲良くできるとは思えなかったからです。先生が言ったところで反省する連中じゃないと思っていましたし、仮に反省して謝ってきても、こっちは許すつもりはありませんでしたから。ちなみに親にも一切言いませんでした。親に言っても、結局先生に話が行くだけで、同じことですからね。

 なので、友達と一緒に勉強をがんばりました。がんばって成績を上げて、クラスの連中の学力では到底届かない大学に行ってやろうと思ったわけです。これも一種の「逃避」です。いじめから逃げたかった。クラスの連中ともう二度と会わないようにするにはどうすればいいか。誰も入学できないような大学に入ればいい。そのために勉強したわけです。

 結果、地元の国立大学(まあ北海道の国立大学っていったらもう一つしかないですが)に学年で唯一、現役合格することができました(スミマセン、これ自慢です)。

 大学でまたいじめられるか不安ではなかったのか? 不安はありませんでしたね。大学に入ればじき20歳になる。もうオトナです。いいオトナが集団でいじめなんて幼稚な真似をするとは思っていませんでした、当時は。まあまだ世間知らずでしたから。大人の社会でもいじめがあるんだってことは、就職してから知りました(別に私がいじめられたわけじゃないですけどね)。

 ちなみに。

 合格発表から卒業までの間に一つ、エピソードがあります。

 ある日、下校しようと靴を履いていると、声をかけてくる女生徒がいました。二人連れです。名前は覚えていませんが、同じクラスだということはわかりました。

 何かと思っていると、片方の女生徒が一言、

「ケーン君、合格おめでとう」

と。

 あれ、何だったんでしょうね? 当時はクラスの全員が敵でしたから、敵からお祝いの言葉をかけられても戸惑うだけで、私はうんもありがとうも言わず、黙って二人が逃げるみたいに去っていくのを見送るしかありませんでしたが。

 30年経った今、思い返してみると、もしかして、あれは、ひょっとしたら…。

 なーんて。

 まあそんなわけで、私はいじめから脱出することに成功したわけですが、凍死した少女は私なんかよりもっともっと辛い思いをしたのでしょう。そして、それを打ち明ける相手も、そこから脱出する手段も見出すことができなかったのでしょうね。そもそも母親に「死にたい」なんて、よっぽどのことがないと言えることじゃないです。自分を産んで育ててくれた存在ですよ? それを「死にたい」なんて、恩を仇で返すようなものです。でも、自分の危機を打ち明けられる相手が、きっとその母親しかいなかったのでしょう。

 そんなにまで追い詰められたことが「いじめ」だったかどうかなんて、他人が決めていいことではありません。決めていいのはたった一人、少女本人だけです。

 誰の「認定」も要らない。本人がそう感じたならそれは「いじめ」です。

 そのことを、世間はきっと本能的には理解しているはず。厄介なのは人間が作ってしまった「社会」というシステムです。社会は法の許可なしに加害者を罰することを禁じている。罰するためには法的な「根拠」が要る。つまり法律が「この少女はいじめられたこと原因で自ら命を絶った」と認めない限り、加害者は法的に罰されないどころか、「推定無罪の原則」によって法律に守られてしまうのです。

 ね? 厄介でしょう? 社会というシステムに組み込まれてしまった人間の悲しさというか、愚かさというか。

 だから、今でも「少女の死といじめの因果関係」なんてものを調査しているのです。

 いじめは認定する、しかし、それが少女の死の原因かどうかはまだ認定できない、というわけです。

 そんなもの、遺体をいくら調べたって出てくるはずがありません。法律上、少女の死は「凍死」であり「自殺」です。資格を持った医師が死体検案書にそう記述した以上、これは覆りません。遺書があっても決定的な証拠にはなりません。遺書が具体的に加害者の名前を挙げていても、当人たちが否定すればそれまでです。加害生徒たちが凶器を向けて少女を身動きできなくして、そのまま凍死させた、といった内容の動画でも出てくれば話は別ですが、今はディープフェイクもありますからね。加害者側はCG合成だと主張するでしょう。

 私は「推定無罪」を否定したいわけではありません。法律も必要なものだと思っています。ただ人間という不完全な動物が作ったシステムである以上、完璧なものではあり得ない。利点もあれば欠点もある。今回はその欠点の部分が如実に出ているな、という印象です。

 少女の母親は代理人を通じて、こうコメントしています。

「いじめは人の命を奪う恐ろしい行為だと加害生徒に自覚してほしい」

 優しいですね。きっと亡くなった少女も優しい娘だったのでしょう。だから本人の心情を気遣って、こんなコメントが出る。

 本音はね、加害生徒が憎くて憎くてたまらないはずですよ。自分の子供を理不尽に殺されて、怒らない親なんていません。きっとその怒り、憎しみは一生消えない。口で許すと言っても、心情では絶対に許さない。たとえ加害生徒が泣いて詫びてもダメです。死んで償ったって無理。そんなことをされても何にもならない。親が望むのはたった一つ。

「子供を返してほしい」

 それだけなんですから。

 さて、私はずっと「加害者」とか「加害生徒」とか言っていますが、それは新聞に実名が出ていないからです。それは彼ら・彼女らが未成年であることに加えて、まだ「容疑者」ではないからでしょう。

 一方、被害者となった少女は実名を明かされました。そして、いじめを受けていた間、どんな恥ずかしいことをさせられていたのかも、すべて晒されました。

 不公平だな、と思います。いじめが法的に認定されたのなら、加害者は実名を明かされてもいいのではないでしょうか? 未成年だから? なら18になって成人を迎えたら実名になりますか? 怪しいものですね。

「加害者にも未来がある」

 前述したとおり、学校はそう言いました。

 私はそんなものを認めたくありません。

 加害生徒たちは少女の未来を、それこそ何十年分もの未来を奪ったんです。奪っておいて返さない。返せない。未来だけじゃない、現在もです。いじめを受けていた間、少女は辛いだけの毎日だったはずです。本当は楽しく過ごせるはずの時間を、加害生徒たちは奪った。

 そんな連中の未来を考えろと、どの口が言うのでしょう? よりにもよって学校が、少女の親に対して?

 人一人の現在と未来を奪った罪は、一生をかけて償うんです。今すぐ処刑されないだけありがたいと思うべきです。

「目には目を」

 大昔の人間はそんな法律の下で生きていました。加害生徒は現代の日本に生まれて幸運でしたね。

 学校はどう償うつもりなのでしょう。

「いじめ防止に全力で取り組む」(校長談話)

 そんなものこれからの話です。少女の死に対する責任については一切触れられていません。

 個人的に無理やり法律にあてはめるなら、学校は「犯人隠避」の罪です。いじめの存在を否定し、もみ消そうとした。つまり加害生徒を庇ったことになります。殺人犯を庇ったら罪に問われます。それと同じ。

 とにかく、罪を犯した人たちが正しく罰せられる毅然とした社会であってほしいですね。

 亡くなった少女(個人的な感情から最後まで実名は伏せます。ご容赦を)に対しては、心からご冥福をお祈りします。

 願わくば、いじめとは無縁の世界に生まれ変わることができますように。

 それでは今回はここまで。

 みなさん、なるべく善く生きようね!!

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 PIECE…!!

 

 

 

 

2022年4月13日 (水)

ケーンの介護日記 その7~宣告の日 後編~

 レビー小体型認知症。

 病院で、医師から告げられた母の病名がそれでした。

 後でネットで調べてみると、レビー小体型認知症の症状として、大きく4つが挙げられていました。

 ① 物忘れや判断力、理解力の低下

 ② 「幻視」や「錯乱」、「妄想」

 ③ パーキンソン症状(動きが鈍い、手足の震え、転びやすいといった運動機能障害)

 ④ 抑うつ(意欲・食欲がわかない、気持ちが晴れない)

 なるほど、と思いました。これだったのか。パーキンソン病を疑っていた「歩行困難」や「転倒」は、レビー小体型認知症の症状の一つだったのか。そして物忘れや理解力の低下、幻視(医師は「錯視」と呼んでいました)。母はもうずっと前からうつ病を患って定期通院していましたが、それもまた、認知症の症状に繋がるのか。

 治療方法としては、根本的に治癒する方法はないものの、「薬物療法」と、運動療法などにより「脳に刺激を与えること」があるそうです。

 そこで医師は、母に、病院に併設しているデイケアへの参加を勧めました。

「よければこれから見学できますよ。担当の者に案内させますが、どうしますか?」

 医師の質問に、母はどう答えていいものか少し迷ったようですが、最終的には「はい。お願いします」と答えました。

 私には意外でした。

 母は歩行が難しくなり、季節が冬になったこともあって、もう数ヶ月、ほとんど外出していません。これまで接してきた相手は、同居している私とセキセイインコのレト、そして時々やってくる私の妹の一家だけ。うつ病で気分が落ち込み気味なこともあり、いきなりデイケアなどに参加するのは無理ではないかと思っていたからです。

 母は気が進まず、尻込みして、きっと断るだろう。

 そう思っていたのに、母は医師の提案を受け入れた。母がうんと言った以上、息子の私がダメだと言うわけにはいかない。

 そうして母と私は、担当の人に案内されて、デイケア施設へと向かったのでした。

 

 

 S病院のデイケア施設は、病院の隣にありました。2階建てですが、病院の規模にふさわしく、横に広い建物でした。

 3月とはいえ、北海道はまだまだ寒い。一度病院の外に出ると、冷たい風が頬を叩いてきました。5、6メートル先に、デイケア施設があります。案内の人に続いて玄関から中に入ると、ふわっと温かな空気が体を包みました。

「どうぞ。今はお食事時なので、みんなお昼を食べてます」

 案内の人の言う通り、もう昼食の時間でした。見ると玄関を入ってすぐが食堂のようで、参会者らしい人たちが食事の最中。みんなマスクはしていませんが、笑い声やおしゃべりは一切聞こえない。コロナ下なので、ここも「黙食」なのでしょう。

 それにしても…。

(多いな)

と、私は思いました。食堂の広さに比例して、食べている人も多い。ざっと見て、学校の一クラス分はいるのではないか。

「何人くらいいるんですか?」

「40~50人です。でも、2階にもいますから」

「2階にも食堂があるんですか!?」

「はい。1階とほぼ同じ構造です。2階のほうが少し狭いですけど」

 ということは、2階に同じだけ人がいるとしたら、参加者は100人近くいることになる。私は驚きました。人の多さそれ自体に驚いたことはもちろんですが、札幌市の隣とはいえ、いち地方都市の、いち地区に、こんなに多くの認知症患者がいるという事実にも驚かされました。

 超高齢化社会。その現実をまざまざと見せつけられた気がしました。私がうつ病で家に引きこもり、社会との繋がりを断絶している間に、世の中はこんなことになっていたのか。

「では、戻りましょうか。面談室で詳しいご説明をします」

 案内の人に促されて、母と私は病院へと戻りました。

 面談室に着いて着席すると、デイケア施設のパンフレットを渡されました。そして、施設についての説明を一通り受ける。

 おおまかな流れとしては、朝の集いがあって、それから午前の活動。12時から昼食と休憩があって、午後の活動へ。最後に茶和会があって、それぞれ帰宅。活動の内容はさまざまで、体操だったり、創作だったり、レクリエーションだったり。朝9時から夕方15時までの滞在となるようでした。

 それから、利用料金の説明。1回の利用料金はだいたい1,200円。例えば週に1日参加して場合は、約1,200円×4回で約4,800円になるといいます。そして利用にあたっての注意事項、利用申し込みの手続きと、説明はどんどん続いていきます。

「ちょ、ちょっと待って。まだ見学しただけで、参加すると決めたわけじゃ…」

 そう言いたくなりましたが、母が黙って聞いているので私も話を遮ることはしませんでした。

「…以上が、当院のデイケア施設の概要です」

 説明が終わると、診察室前の待合スペースに案内され、しばらく待機。すると、看護師長がやってきました。

「午後からケアマネさんとの打ち合わせがあるんでしたよね?」

「ああ、はい」

 そう言えば、看護師長には言ってあったのでした。今日の受診が終わった後、午後からケアマネジャーのOさんが来て、これから受ける介護サービスをどうするのか、本格的な打ち合わせがある、と。

「ケアマネさんにはこちらからも、デイケアの参加も検討されていると伝えておきます。それを聞いたら、ケアマネさんはデイケアのことも考えてプランを作成してくれるでしょう」

 そう言うと、看護師長は母と私を会計の窓口に案内しました。今日の受診はこれで終わり、ということか。

「あ、ちょっと待ってください」

 私は看護師長を呼び止めて言いました。確か薬は2週間分出すと医師は言っていたが、すると次回の受診はいつになるのか。

「特に予約は必要ありませんが、Y先生(今日診察してくれた医師)の診察は木曜日か金曜日の午前中になりますので、どちらかの日に…」

「それはちょっと困ります」

 私が母に市立病院からの転院を勧めた理由は二つあります。

 一つは母のパーキンソン病を疑っており、その検査・治療ができる診療科が市立病院になかったこと。そしてもう一つは、この病院は市立病院とは違い、土曜日も診察をやっていることです。

 市立病院は知ってのとおり公立の病院なので、週休二日制が徹底されており、土日はやっていません。今後も通院を続けるとなると、私が付き添うためには平日に休暇を取らなければならなくなります。3月については、上司と相談し、病院の受診から介護施設との打ち合わせ、市役所での要介護認定の申請など諸々あるのでたくさん休みます、とあらかじめ許可を取っていましたが、4月以降はそうはいきません。

 母には精神科と内科の受診が必要で、3月中には整形外科も受診させるつもりでいました。母は常々「膝が痛い」と訴えており、一時期鍼灸院に通ったこともありますが、症状は改善していない。なのになぜか病院にかかろうとしないのです。認知症の件の道筋が見えたら、そこを何とか説得して整形外科を受診させ、きちんと検査してもらおうと思っていたのです。

 とにかく、母のために動くなら3月中がチャンスでした。

 内科はいつも、月に1回、私と一緒に土曜日に受診しているから問題ないとして、整形外科はどうなるか。私としては、市立病院の整形外科を受診させるつもりでいました。土曜日にやっていないのは不満でしたが、別に私は市立病院が嫌いなわけではありません。むしろ、検査をするなら公立の大きな病院のほうが良いと考えているのです。

 仮に整形外科で定期的に治療が必要な何らかの疾患が見つかったとして、通院は2週間に1回が一般的だ。症状が安定してくれば1ヶ月に1回という形になるだろうが、初診からしばらくは2週間に1回となる可能性が高い。そうなると、4月以降、2週間に1回、二つの病院に母はかからなければならなくなる。それに付き添うには、どちらか一方は土曜日の受診である必要がある。でなければ私は、1ヶ月うちに2回×2病院で4日休暇を取らなければなりません。そんなペースで休んでいたら、あっという間に有給休暇を使い果たしてしまうし、職場にだって迷惑をかけてしまう。

 だから、土曜日でも受診できるS病院への転院を母に勧めたのです。

「何とか、次回から土曜日の受診になりませんか」

「…ちょっと待っててください」

 そう言って看護師長は医師と相談に行きました。そして戻ってくると、

「今日は初診ですから、まだ当面はY先生が診ます。安定してきたら主治医を変えることも考えますが、次回はY先生に診てもらってください」

と答えました。

 これは医師の判断だ。だから、ここで看護師長とこれ以上議論しても無駄だろう。それがわかっていたので、私もそれ以上の追及はやめました。

 仕方ない。当面はと言うんだから、いずれ土曜日になるだろう。それまでは、また上司に相談するしかないな。

 それから会計で支払いを済ませ、隣のカウンターで薬を受け取る。今では薬は院外薬局で受け取るのが普通ですが、この病院は院内で済ませられるのでした。しかも嬉しかったのは、薬の分け方です。以前までは薬はたくさんの袋に分けられていました。私ですら整理に難儀するくらいの量で、だから薬の種類を減らせないか医師に相談したのです。

 ところが見ると、袋は5種類しかない。朝食後、昼食後、夕食後、寝る前、そして貼り薬です。中を見ると、例えば朝に飲む薬は、全部が小さな透明の袋にまとめられていました。他もそう。飲む時は、その小袋を取り出して、中身を全部飲めばいい。いちいち袋を開けて、夕食後に飲むのはこの薬が2錠とこの薬が1錠…などど探してゆく必要がないのです。薬の管理が格段に楽になる、というより、もう管理する必要がない。

 これはありがたい配慮でした。さすがに認知症患者の治療に力を入れているだけはある。これだけでも、転院して良かったと思えました。

 こうして母と私は、長い長い午前中を終えて、帰宅したのです。

 

 

 午後、14時頃にケアマネジャーのOさんがやって来ました。

 すでにOさんはS病院からの連絡を受けており、それを踏まえて、3つのパターンのケアプランを作成してきました。

 ① 1週間のうち、全部を介護職員の訪問のみとするパターン

 ② 1週間のうち、半日(午後)だけY事業所(小規模多機能ホームY)に通所し、後は介護職員の訪問とするパターン

 ③ 1週間のうち、1日だけS病院のデイケア施設を利用し、後は介護職員の訪問とするパターン

「どれがいい、母さん?」

「うーん…どれがいいんだろう…」

 ここで私はあえて言いました。

「本音で、正直に言って? 本当にデイケア行くのでいいの?」

 私には一つの疑問がありました。

 母は医師に勧められた時、その場の雰囲気や話の流れで、断りたくてもできなかったのではないか、と。

 医師の手前、「はい」とは言ったが、本音では気が進まなかったのではないか、と。

 確信はありません。でも、今の母に大勢の、しかも知らない人たちの中に入っていく勇気はないのではないか。そう思えてならなかったのです。

「大事なことだよ? 本当に、正直なところどうなの?」

 少しの沈黙の後、母は言いました。

「本当は、気が進まない」

 やっぱり。

 私はほっとしました。

 危ないところだった。今、大勢の他人の中に放り込めば、きっと母の、認知症はともかく、うつは確実に悪化する。その確信がありました。私は医者ではありませんが、長年うつ病を患ってきた経験があります。

 うつ真っただ中にいる人間が、見知らぬ人間の集団の中に放り込まれるとどうなるか。周囲になじむ気力がなく、結果としてなじむことができず、なじめなかった自分がとてつもなく惨めになって悲しくなる。相手が楽しそうにしていればなおさらそうです。楽しげな周囲の人間と自分を比べて、その落差に絶望する。自分が嫌になる。そしてますます気持ちが落ち込んでいくのです。

 うつが悪化すれば、それに引きずられて認知症がひどくなるかも知れない。そうでなくとも、うつ症状だけでも、人は自分の命を危険にさらすのです。以前、母が自分が嫌になって精神薬を大量に飲み、自殺を図ったように。

 本音を聞けてよかった。

「今の母には、たとえ少人数でも、集団の中に入るのは無理だと思います。だから、最初は①のプランで始めさせてください」

 結論として、私はそう回答しました。

 Oさんも、

「たぶん、それがいいでしょうね」

と理解してくれました。

「もちろん、家族としては、いずれは家族以外の人とも触れ合って、楽しく交流してほしいと思っています。ただ、急ぎたくはない。スロースターターでいきたいんです」

「わかりました。では①で始めましょう。S病院のほうへは、私から連絡しますか?」

「いえ、明日、私が連絡します。お詫びも言いたいし」

「そうですか。それではお願いします」

 それから少し雑談した後、ケアマネジャーOさんは帰っていきました。

 時刻は夕方の4時を回っていました。私は夕食を買いに出掛けなければなりません。

「疲れたね、母さん」

「うん」

「これから夕飯買ってくるから、母さんは寝てなよ。食べるのは6時でいい?」

「いいよ」

「じゃあ、買い物行ってくる。レト、行ってくるからね」

「ぴよ!!」

「ご飯が終わったら遊んであげるからね。それまでお利口にしてるんだよ」

「ぴよ!! ぴよ!!」

「いってきまーす」

 そうしてレトの声を背に、私は買い物に出掛けたのでした。

 今日もパスタにしようかな。

 そんなことを考えながら。

 

~つづく~

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レト「はやくだして、でち!!」

 

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2022年4月10日 (日)

このどうしようもなく醜く愛しい世界で

 どうも、ケーンです。

 私は年代こそアラフィフですが、世の中のことを詳しく知っているわけではないので、あまり社会的・政治的な発言はしないようにしてきました。

 でも、ここ最近のニュースを見ていると、

「なんか世の中おかしくないか?」

と思うことが多々。それがたまりにたまって、どこかで吐き出さないとおかしくなりそうなので、この場を借りて吐き出させていただきたいと思います。

 なお、これはあくまでも個人的な見解です。特定の思想や団体などを支持、あるいは糾弾する目的のものではありませんので、そこはお間違えのないようにご注意願います。

 

 

 最近ニュースを騒がせているのは、何と言ってもロシアによるウクライナ侵略でしょう。

 今、私はあえて「侵略」という言葉を使いました。でもニュースでは「侵攻」と言っていますね。他国の領土に攻め入ることを「侵攻」といいます。「侵略」とは、他国の領土に武力で侵入し、土地や財物を奪い取ることです。これは国語辞典にはっきり書いてあることです。

 ロシアはウクライナに軍隊をもって攻め入り、その土地を占領しました。民間人から略奪もしています。略奪などでっちあげだ、とロシアは言っていますが、一部の土地を占領していることは紛れもない事実です。なのでロシアがやっていることは明らかに「侵略」なのです。

 でも、こんなことは些細なことです。侵攻だろうが侵略だろうが、ロシアがやっていることは許されないことなのですから。

 ちなみにロシアでは今回の件をそもそも「戦争」とは言っていません。「特別軍事作戦」と言っています。これもおかしな話ですね。国と国とが軍事力をもって争うことを「戦争」と言うんです。ロシアがウクライナに軍隊で攻め入った。ウクライナの軍隊はこれに反撃した。これが戦争でなくて何だと言うのでしょう。P大統領は「ウクライナが反撃したから戦争になった。ウクライナが反撃してこなければ戦争にはならなかった」とでも言うつもりなのでしょうか。これは「俺はお前を殴る。だけどお前は殴り返すな。そうすれば『喧嘩』にはならない」と言っているのと同じことです。

 でも、私がいちばん引っ掛かったのは、ロシア軍が民間人を虐殺した、というニュースが報じられた時です。

 欧米諸国は一斉にこれを非難しました。日本も「戦争犯罪だ」と言って非難しました。

 そう、「戦争犯罪」という言葉。これが解せなかった。

 調べると、「戦争犯罪」とは「戦争における国際法(戦時国際法)に反する行為」のようですが、そもそも戦争そのものが犯罪ではないのでしょうか? 戦時国際法には、戦争において攻撃目標は戦闘員と軍事施設に限られるとか、軍事目標と民用物を区別なく攻撃してはいけないなどと書かれています。つまり今回は、「ロシア軍が民間人を殺した。国際法に反する。けしからん」というわけです。

 非難するのは当然のことです。今回のことで、ロシアは国連の人権理事会から追放されました。当たり前です。

 でも、と思うのです。

 国際法に反する「戦争犯罪」を犯していなければ、それでいいのでしょうか?

 もちろん世界各国はロシアの侵略戦争を非難しています。でも、ロシアは依然として、国連安全保障理事会の常任理事国の座に留まっている。なぜでしょう?

 ロシアの侵略戦争を非難するなら、ロシアがウクライナに侵攻した時点で、安保理から追放して然るべきではないのでしょうか?

 世界の安全を保障するのが安保理でしょう? ロシアは、ウクライナという独立国の安全を、武器を持ってぶち壊したんですよ?

 それとも、ルールにのっとって戦争する分にはかまわない、とでも言いたいのでしょうか? 民間人を殺害するのは人権侵害だが、軍人を殺すのは人権侵害にあたらない、とでも?

 民間人だろうが軍人だろうが、人には生きる権利があります。これはもう社会ではなく道徳の範疇に属する当然の真実ですが、多くの国では「生存権」として法的に保証されています。日本でも、憲法に基本的人権の一つとして定められています。

 みなさんも親や先生から教えられましたよね? 

 人を殺しちゃいけません。

 物を壊しちゃいけません。

 他人の家に勝手に上がってもいけません、と。

 そう教えられるのは、それが「悪いこと」だからです。破ってはいけない社会の「ルール」だからです。

 でも、その「悪いこと」を国家規模でやってるのがロシアなんです。

 色んな利害関係やしがらみがあるのでしょう。ロシアを表立って批判できない国もあれば、ロシアの行為を擁護する国まである。思うに世界の国々は、ちょっと複雑に、密接に繋がりあいすぎたのかも知れませんね。

 日本だってそうです。

 日本は先日、ロシア産石炭の輸入を段階的に引き下げ、最終的には停止することを発表しました。ロシアに対する経済制裁の一つです。

 でもこれも、EUがロシア産石炭の輸入禁止を決めたことに追随するもので、ただでさえ資源に乏しく、エネルギーを輸入に頼っている日本が単独で決断できたかどうかは怪しいものです。そもそも石炭はCO2排出削減の流れで、依存度が減っている。ここで止めてももともとのエネルギー政策への影響は少なくて済む、という計算もあるのでしょう。

 一方で、ロシアの天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」からは撤退しないといいます。撤退するとガスの安定供給に支障が出るからだそうで、確かにガスの供給が滞れば日本国民も困るでしょう。でも、天然ガスはロシアから買うしかないのでしょうか? 曰く、サハリン2との契約は10年先まで残っていて、調達を取りやめても代金は支払うことになっているといい、大損になる、といいます。

 さすがは経済大国ニッポンだ、と笑ってしまいますよね。戦争放棄を憲法でうたった世界唯一の国、という矜持はどこへいったのでしょう。

 今回は相手がロシアだったから日本も非難できました。それでも徹底できていない。これがもし、相手が欧米諸国のどこかだったら、日本は果たして毅然とした態度が取れるでしょうか。

 例えば、あるアメリカの過激思想の持ち主(T氏のような男)が大統領になり、トチ狂って、

「ロシアは侵略戦争を行った悪の枢軸だ。滅ぼさねばならん」

などと言ってロシアに軍隊を送り込んだとしたら、日本は「そんな馬鹿な真似はやめなさい」と言えるでしょうか。

 アメリカが「イラクは大量破壊兵器を作っている。けしからん」と言ってイラクに攻め込んだ時、時の日本国首相は何と言ったでしょうか。そして結局大量破壊兵器が見つからなかったと報じられた時、何か弁明したでしょうか。

「大量破壊兵器だなんて言ったら、あんたの国は世界一の核保有国じゃないか。そっちのほうがけしからん」

などと言ったりしなかったことだけは確かです。

 日本の行く末も、心配でなりません。

 

 

 色々と書き連ねましたが、要するに、戦争が悪いことだとみんな頭ではわかっているのに、それを堂々と非難できないことのある世の中ってどうなんだろうね、ってことです。

 え? P大統領はわかってないって?

 そんなことはありません。あの男はわかってやってるんです。知性も理性もある男ですから。そのうえで、それを正当化するための計算と作戦があるんです。わかっていないとしたら、それは例えば十字軍なんかかそうですが、狂信者の類ですね。あんな連中を現代の人間と一緒にしてはいけません。あいつらの頭の中には、絶対の善(神)と絶対の悪(悪魔)しか存在しないんですから。

 今は多様性が認められる世の中です。世の中にある色は白と黒だけじゃない。色んな色があるんです。

 そんなこと、昔の日本人はとっくに知っていましたよ。八百万の神。神様だって多種多様、善い神様もいれば悪い神様もいる。どちらでもなく、ただ存在するだけの神様だっている。昔の日本人は、近代の日本人よりよっぽど先進的だったんですねえ。

 …話が逸れました。

 まあでも、それでもまだ現代の日本はマシなほうです。不完全とはいえ、こうして言論の自由が認められているんですから。

 これがロシアや北朝鮮ならどんなにひどいことか、あまり考えたくありませんね。生まれる国は自分で選べませんから、日本に生まれた自分は幸運だったと、つくづく思います。

 ここまで長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

 次回からまた、できるだけ楽しい記事を書きます。

 それではまた。

 ケーンでした。

 みんな、なるべく善く生きようね!!

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 PEACE!!

 

 

 

 

 

2022年4月 9日 (土)

ケーンの介護日記 その6~宣告の日 前編~

 3月6日の日曜日は、大きな事件もなく、平穏に過ぎていきました。

 ただ、母の言葉の端々に、認知症を思わせる要素が含まれていました。

 例えば、1階の居間で夕食時。

「この家、わたしと兄ちゃんの二人暮らしだった?」

「うん、父さんが亡くなって、M子(妹の名前)が結婚してからはずっと俺と母さんの二人だよ」

「本当に? 2階に兄ちゃんいない?」

「え? 俺は今ここにいるでしょ。母さん、もう1人息子生んだ覚えないでしょ?」

「うん…。そっか」

 あるいは、寝る前。

「ねえ、父さんはどこ?」

「父さんはもうずっと前に亡くなっていないよ。ほら、仏壇あるでしょ?」

「ああ…これ、父さんの仏壇なの」

 認知症の人の言動には、本人なりの理由がある。だからいきなり「何言ってるの?」と跳ねのけてはいけない。ちゃんと話を聞いて、答えを返してやることが大事。ネットにそんなことが書いてあったことを思い出しながら、私は母に応対していきました。

 それでも、その日はいつもより食欲があり、もともと量は少なめとはいえ、買ってきたコンビニ弁当を完食したので、少し調子いいのかな、なんて思っていました。

 そして翌日、月曜日。

 朝、私は母に何度も念押しするように言いました。

「今日から、Y(小規模多機能事業所の名前)のOさんがお昼に来るからね。ほら、この人」

 私は、壁に張ったYの職員一覧(写真付き)を指します。

「…この人が、Oさん?」

「そう、Oさん」

「何をしに来るの?」

「母さんの様子を見に来るんだよ。と言っても、難しい話をしに来るわけじゃないから。お元気ですか、って来るだけだから、母さんは気楽に構えてていいからね」

「じゃあ、お茶とか出したほうがいいかな」

「そんなにかしこまったお客さんじゃないんだけど、うーん、まあ、出してあげたら喜ぶんじゃないかな」

「わかった」

 そして、こう言うのも忘れません。

「母さん、足悪いんだから、勝手に外に出ないこと。いいね? 外は雪道で滑るしガタガタだから」

「わかってるよ」

 母はもう耳にタコができてるよ、と言わんばかりに笑って答えます。その笑顔に仮初の笑顔を返して、

「それじゃ、行ってきます」

 私は仕事に出掛けたのでした。

 昼休み、職場の休憩室から家に電話すると、母が出ました。ちょうどOさんが来訪しているところでした。母の声は少し楽しそうに聞こえました。Oさんはケアマネジャーで、介護のプロです。きっと話もうまいのでしょう。私はほっとしながら、今夜の夕食は何が食べたいか聞いて、電話を切るのでした。

 帰宅後、居間のテーブルには一枚のぺーパーが置いてありました。Oさんから家族あての簡単なメモのようでした。熱と血圧の数値と、お茶を用意して出迎えてくれたこと、小鳥の話で楽しそうにしていたこと、簡単な体操をしたことが書いてありました。体操はY事業所独自のもので、理学療法士が考案したもののようでした。

 さすがプロ、ちゃんと考えてる。私は感心すると同時に、これなら任せて大丈夫かも、と安心しました。

 

 

 母に変化が現れたのは、その翌日、火曜日からでした。

 以前に比べて、明らかに表情が明るい。そして食慾もある。時々的外れな発言はあるものの、おおむね会話は成立するし、おかしな行動もなりをひそめました。

 夕食時、ちょっと聞いてみました。

「母さん、あれ、どう? ほら、ここ自分の家じゃないっていう違和感」

「もう慣れたよ」

「慣れた? この家に?」

「ううん。変な感じはするの。でも、その感じにも慣れたから」

 つまり、違和感はまだ感じているわけか。でも、前ほど強くはないようだ。Oさんと楽しくおしゃべりしたことが何か効果があったのかな。

 翌日の水曜日も、平穏に過ぎました。

 昼休みに電話すると、またちょうどOさんが来ていたタイミング。楽しそうな母の声を嬉しく思いながら、夕食のリクエストを聞き、電話を終える。仕事が終わるとコンビニに寄ってから帰宅。夕食を食べて、母に薬を飲ませたら、セキセイインコのレトを放鳥。8時を過ぎると、母もレトも就寝。私は自分の部屋に引き上げ、ネットを見たりゲームをしたりして過ごし、0時頃に床につきました。

 そうして、3月10日の受診の日を迎えたのです。

 

 

 3月10日、木曜日。

 その日は平日ですが、私は1日休暇を取っていました。

 でも、だからといって寝坊はできません。母の病院の予約は朝の8時30分。いつもと同じ時間に起き、レトを起こしてテレビをつけ、それから朝食のパンを食べていると、母も起き出してきました。

「おはよう。母さん、今日病院だからね。8時半の予約だから、8時15分には家を出るよ」

「うん。帰りはタクシーを拾えばいいの?」

「え、何で?」

「だって、兄ちゃんいないでしょ?」

「いるよ。今日は休み取ったんだもん。ちゃんと付き添うから、心配しなくていいよ」

「そうなの」

 そして朝食と服薬を済ませると、身支度を開始。まあどうせマスクするんだし、と思って髭剃りは省略して顔を洗い、2階に上がって着替え。再び1階に降りると、母はもう上着まで来て、マスクもして椅子に座っていました。

「まだ時間あるよ?」

「うん、でも、もう着ちゃちゃったから」

 苦笑しつつ、母のカバンを点検。保険証とおくすり手帳が入っているのを確認すると、今度は自分のカバン。事前に書いておいた問診票も、市立病院からの紹介状もある。うん、これで準備はOK。

 8時を回ったところで、

「ちょっと早いけど、もう行こうか」

「うん」

「レト、俺と母ちゃん、ちょっと病院に行ってくるからね」

「ぴよ、ぴよ!!」

「ごめんね。今日は休みだけど、用事があるから出してあげられないんだ。夜にまた出してあげるから、今日はお利口にしていて」

「ぴよ、ぴよ!!」

 懸命に「ひとりにしないで!!」と鳴くレトの声を背に、私と母は家を出ました。

 目的のS病院までは車で5分もかかりませんでした。けっこう大きな病院なわりに駐車場が小さいので、車が停められるか少し心配でしたが、さすがに平日の朝一番で混雑にはなっていませんでした。

 出入口の近くの駐車スペースに車を停めて、病院内へ。新しい病院なので、内装はきれいでした。

 受付で名前を告げて保険証を提出し、待合スペースで待機。受付の横のプレートを見ると、診療は8時45分からと書いてある。30分以上待たされるのかなぁなんて思っていたら、一人の女性がやってきました。看護師長だといいます。

「問診票はお持ちいただけましたか?」

「あ、はい。これです」

「ありがとうございます。まずは私がお話を聞きますので、どうぞこちらへ」

 案内されたのは、診察室が並ぶ廊下の突き当りにある面談室でした。母と私が並んで座り、テーブルを挟んで向かいに看護師長。席につくと、改めて自己紹介した後、問診が始まりました。問診票を見ながら、一つ一つ、項目を確認していく。

 私は問診票に、Oさんへの説明や市役所でも使ったぺーパーを添付しておきました。問診票の中に、「いつから、どんな症状があるか具体的にお書きください」という項目があったので、いちいち書き入れるのが面倒だったので、「別紙のとおり」と書いて、そのペーパーをつけておいたのでした。

 これがまた、大いに役立ちました。看護師長も目を通して状況を理解してくれて、問診はすんなり終了。次に精神科の医師の診断になりますが、けっこう待たされました。まあ、初診だし、看護師長から医師への情報伝達の時間もかかるでしょう。覚悟はしていたので、イラつくこともなく、大人しくスマホのニュースを見ながら待ちました。時々母の様子も見てみましたが、まだ疲れた様子はありませんでした。

 やがて名前が呼ばれ、母と私は診察室に入りました。

 初老の穏やかそうな医師でした。母は医師の正面の椅子に、私は部屋の隅にあった付添人用の椅子に腰を下ろします。

 簡単なあいさつと状況確認の後、本格的な診察が始まります。

「これから私がいくつか質問をします。それに答えてくださいね」

「はい」

「今日は、何月何日の何曜日ですか?」

「…うーん、3月の…何日だったかな…」

 いきなり詰まる母。医師は回答を急かしはせず、私もここは助け舟を出しません。出してはいけないとわかったからです。

 これは母の認知能力を測るテストだ。たぶん質問項目も決まっているのでしょう。

「100から97を引くといくらになりますか?」

「えーと…100から…9じゅう…?」

  暗算が苦手な私でもわかる簡単な引き算です。でも、母は答えられません。

 その後もいくつか質問があったり、手を真っ直ぐに伸ばすよう求められたり、立って歩かされたりしました。母は質問の半分以上に答えられず、手を伸ばせば震えてうまくいかない、歩けば真っ直ぐに歩けない、という具合でした。

 医師は一通りの診察を終えると、次に神経内科へ行くよう告げました。看護師長が案内してくれます。精神科のすぐ近くなのですが、母は歩く速度が極端に遅いため、けっこう時間がかかりました。

 神経内科ではレントゲンを撮った後、医師の診察。これは私は同席を許されませんでした。

 診察が終わると、再び精神科の待合スペースへ。先ほどの精神科の医師から、診断結果か告げられるとのことでした。

「私、やっぱり認知症なのかな」

「たぶん、ね」

 私は、「そんなことないよ」などという気休めは言いませんでした。認知症であるならそれで、現実を本人にもきちんと受け止めてほしかったのです。

 しばらく待たされた後、名前が呼ばれ、再び診察室に入りました。

「まずね、あなたはパーキンソン病ではないです」

 医師は最初にそう言いました。

「パーキンソン病に似た症状が出ているけど、パーキンソン病ではない。あなたは『レビー小体型認知症』です」

 レビー小体型認知症。

 この診察までにネットで色々認知症のことを調べてきた私ですが、初耳の言葉でした。認知症にも種類があるのか。認知症、すなわち正式名称アルツハイマー型認知症、だと思っていたけれど。

「この型の認知症の症状には、運動障害があります。パーキンソン病みたいに、手が震えたり、転びやすくなったりする。それに錯視や妄想もある。中程度のレビー小体型認知症です」

 やっぱり、認知症だった。

 確信が事実に変わっただけで、私に驚きはありませんでした。母も覚悟はしていたようで、黙って医師の話を聞いています。

「認知症を治す方法は、残念ながらありません。アルツハイマーもレビー小体型もね。でも進行を遅らせることはできる。薬を処方するので、それを貼ってください」

 え?

 今「貼って」って言った?

 戸惑う私。飲み薬じゃないの?

「貼り薬です。貼ってください」

 貼り薬。そんなものが処方されるとは、意外というか、驚きでした。貼り薬と言えばイメージするのは湿布で、あれは患部に貼るものです。でも、認知症の場合、患部ってどこだ?

「えっと…どこに貼るんですか?」

「どこでもいいですよ」

「はい?」

「どこに貼ってもいいです」

「わ、かかりました」

「じゃあ、後の薬も2週間処方しておきますので」

「あ、薬のことなんですが…」

 私は、市立病院に通っていた頃から、母の薬が多いと思っていたこと、そのため自分で管理ができなくなっていることを話し、できればこの機に薬の種類や量などを見直してほしいと医師にお願いしました。すると医師は、PCの画面を見ながら、

「うーん、でも、いきなり減らしたらまずい薬も含まれてますし、ひとまず今までの薬を出して、様子を見ながら考えていきましょう」

 それよりも、と医師は言いました。

「薬は出しますが、認知症の治療のために、お母さんにはウチでやっているデイケアをお勧めしたい」

「デイケア、ですか…」

 母は知識として知っていたし、私も以前、リワーク・デイケアという場所に通っていたことがあるので、デイケアというのがどういうものなのか、何となくイメージはできました。

「この病院は、認知症デイケアの施設も併設していましてね。例えば週に1回でも通っていただければ、治療に有効だと思うんです」

 曰く、自宅まで送迎もしているので、家族が送り迎えする必要もないといいます。

 これは母の気持ち次第だな。そう思った私は、困ったようにこちらを見る母に、

「母さん次第だよ」

と言いました。

「もしよければ、これから見学もできますよ? その気があるなら案内させますけど、どうですか?」

 私個人としては、今の母にはハードルが高いのではないかと思いました。

 もちろん近い将来には、元気になって、家族以外の人ともたくさん触れ合うようになってほしい。そうすることで、脳に刺激を与えていくことが認知症の治療に良いと、確かネットの記事に書いてあったのを私は思い出していました。

 でも、私自身がうつ病で落ち込んでいた時期も含めて、母は家族以外の人たちと触れ合わずに過ごした時間が長すぎる。いずれ社会に出ていくにしても、段階を踏んだほうがいい。小規模多機能ホームのOさんに通所を勧められた時にも思ったことでした。病院の大きさから想像するに、ここのデイケアはけっこうな規模だ。そこへ飛び込む勇気が、果たして今の母にあるのかどうか。

 私は、母が断るものと思っていました。ところが、

「はい」

 母は頷いたのです。

 本当に大丈夫? そう思いましたが、母が了解した以上、私に否やはありません。話は進み、医師は机の電話を取って担当者を呼び出しました。

「すぐに迎えの者が来ますから、診察室の前で待っててください。それでは、こちらはもういいですよ」

「はい。ありがとうございました」

 立ち上がって、ぺこりと頭を下げる母。私も倣って、それから診察室を出ました。

「本当にいいの?」

 案内の人を待つ間、私は尋ねました。

「うん」

と、母は頷きます。ただ、どことなく元気がないように見えました。

 まあ、それはそうか、と私は思いました。「あなたは認知症です」と言われて笑っていられる人間もいないだろう。

 でも、本当にそれだけなのだろうか? 一抹の疑問が、私の頭から離れないのでした。

 15分ほど待ったでしょうか。

「すみません、お待たせしてしまって」

 担当者らしき女性が、恐縮しながら早足でやってきました。

「私、デイケアの〇〇と申します。さっそく、ご案内しますね。まずどんなものか実際に見てもらって、それから詳しい説明ということで」

 そうして私と母は、病院の隣の建物へと案内されていったのでした。

 

~つづく~

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レト「おかあちゃん、ほんとにいいんでち?」

 

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2022年4月 3日 (日)

ケーンの読書感想文「旅の理不尽」

 どうも、ケーンです。

 うつ病から回復し、眼鏡を新調して老眼問題も克服(?)した私。小さな文字を読むことが苦にならなくなったので、また好きな本を読み始めました。

 そこで、このコーナーでは、私が読んだ本について色々と綴りたいと思います。書評なんて高尚なものではないので(笑)、読書感想文です。

 本日取り上げるのは、こちら。

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 ちくま文庫「旅の理不尽 アジア悶絶編」(著者:宮田珠己)

 

 真面目なサラリーマンだった著者が、有給休暇を使い果たして旅したアジア各地の脱力系エピソード満載の爆笑体験記。若き宮田青年は、数々の失態を繰り返しながら旅の醍醐味と人生のほろ苦さを学んでゆく。誰もが体験するような旅の日常を、誰も追随できない独特の感性と文体で綴る鮮烈な処女作! エッセイスト・タマキングの底力を感じる一冊。(裏表紙より)

 

 ジャンルはエッセイになるのかな? 小説ではないこの本を買ったきっかけは、書店のPOPでした。

「自費出版から口コミで面白さが伝わり、ついに出版社から刊行された本!! 旅好きな人にも、そうでない人にもオススメ!! 「笑い」保証します」

 確か、こんな内容だったと思います。文庫本で分厚くもないし、気楽に読むにはいいかも、と思って手に取ったのでした。保証してくれるなら、大いに笑ってやろうじゃないか、と。

 さて、私のような北海道民は、「旅」と「笑い」というと、あるTV番組を想起します。

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 そう。

 ご存じ(?)、「水曜どうでしょう」です。

 今や全国にファン(藩士)を持つ北海道発のローカルバラエティにして、国民的俳優(?)となった大泉洋の出世作。大泉洋とその事務所の社長であるミスターこと鈴木貴之、そしてディレクターの藤村氏とカメラマンの嬉野氏の4人が繰り広げる珍道中。放送開始は1996年というから、もう20年以上前の番組ですが、未だに全国各地で再放送され、人気を博しています。

 この「どうでしょう体験」を刷り込まれている私のような人間の場合、「旅」と「笑い」と言われるとどうしても「水曜どうでしょう」と比較してしまい、自然、ハードルが上がってしまうんですね。

 そんな私が「旅の理不尽」を読んだ感想はというと…。

「うん、面白かった。でもなあ」

となるわけです。

 筆者は旅行先で、あれやこれやとおかしなエピソードにでくわします。それは大抵、その国の人の国民性だったり、文化や価値観の違いから来るもので、実際に自分がでくわしたら「おい、ちょっと待て」となります。その理不尽さに心の中でぼやきなから対処していく様が、軽妙な文章で面白おかしく描かれています。

 もしかしたら、一人外国の旅を経験した人は「あるある(笑)」と共感するかも知れないし、そうでない人もクスリと笑ってしまうでしょう。

 でも、なのです。

 筆者は大泉洋ほどひどい目には遭ってないんですよねえ。彼ほど取り乱したり、大声でぼやいたり、泣いたり叫んだりもしません。笑える話ではあるけれど、「どうでしょう」ほどではないなあ、と私などは思ってしまうのでした。

 それと、オチが弱い。

 まあエッセイなので仕方ないんですが、「笑い」を求めて読んでしまうと、「え、もう終わり?」というところでエピソードが終わってしまいます。もっと強烈なオチがあったら良かったのですが、そこまで求めるのは贅沢ってものでしょうかね。

 でもまあ、680円+税というお値段分は楽しめます。私は朝の通勤電車の中で読んだのですが、おかげで楽しい通勤時間でした。

 というわけで、

 

 オススメ度 ★★★☆☆

 

 としておきます。

 初回にしては辛いような気もしますが、まあこんなものでしょう(どこから目線だw)。

 それではまた。

 ケーンでした。

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レトのお気に入りスポット

 どうも、ケーンです。

 我が家のセキセイインコ、レトには、放鳥すると必ず行く「お気に入りの場所」があります。みなさんの家の鳥さんもそうではないですか? 落ち着ける場所、楽しい場所を見つけて、気がつくと必ずそこにいる。そんな習性が、鳥さんにはあるようですね。

 レトも例外ではありません。放鳥してあちこち好きに探索させているうちに、三つ、お気に入りの場所を見つけていました。

 まずカゴから出ると真っ先に飛んでいくのがここ。

Img_0702

 台所です。水道の蛇口についている浄水器の上がちょうど収まりがいいらしく、ここにちょこんと落ち着きます。

 で、黙っていればここでリラックスしているのですが、水を出すとテンションUP!! 鳥さんって、水音が好きなんですね(レトだけかな?)。水の音を聞いているとちゅるちゅると鳴き出し、頭を上下に振って興奮します。

 気が向くと、ここで水浴びもします。ただ水浴びというか、レトの場合、真っ直ぐに流れ落ちる水道水に突撃していくので、見ている私から見れば「滝行」ですw 水を首から背中のあたりに受けて、羽をふくらませてぶるぶるします。それが気持ちいいらしいです。

 ひととおり台所で遊び終えると、居間に戻ってくるのですが、次に向かうのはここ。

Img_0661

 通称「すみっこ」。写真ではわかりづらいんですが、ここ、カゴを置いてある台(木製の椅子)の隅です。ここで台所で爆上がりしたテンションをクールダウン。遊びすぎた時なんかは、頭をくるっと後ろに向けて寝ることもw

 日中に放鳥した時に行くことが多いです。「眠いよ~、でもカゴにはまだ帰りたくないよ~」って時に収まる場所のようです。

 そして、放鳥の最後に必ず行くのがここ。

No-image

 すみません、載せられませんw

 あ、いや、決してハレンチとかそういうのではないです。写真を撮ると、私の素顔が映ってしまうのでw

 はい、そうです。私の「顔の上」です。正確に言うと、ほっぺたの上。

 私がソファで横向きに寝ていると、おもむろにとことこと近づいてきて、ぴょんっとジャンプ。実に鮮やかにほっぺたの上に飛び乗ります。

 ほっぺたの上では、特に騒ぐことはありません。眼鏡のフレームをつっついてみたり、軽く眉毛をひっぱってみたりする程度。何だか落ち着くらしいんですね。だいたいこの時はもうレトもカゴに帰る時間(だいたい夜の8時ころ)が近くて、私も夕食後で眠かったりして、時にはそのまま2人(?)して寝てしまうこともありますw

 まあ鳥の眠りは浅いので、レトはすぐに起きるんですけどね。

 で、ほっぺたの上で過ごした後は、自分でカゴに帰ります。寝る時間を自然と覚えているみたいなんですね。鳥はお利口です。「たまに夜更かしするなら付き合うよ」と言っても、8時頃にはちゃんと帰る。これが人間の幼児なら、まだ遊び足りなくて夜更かししちゃうんでしょうが、レトはちゃんと帰ります。

 どっかというと飼い主のほうがつい夜更かししちゃう性質なので、えらいなぁ、と感心してしまいますw

 さて、飼い主の私は平日、仕事に行っているので、帰宅は定時で帰れれば夜の7時くらい。それから夕食を食べ終わってから放鳥なので、レトにとってはあまり遊ぶ時間がありません。何せおしりが8時と決まっていますから、せいぜい30分くらい。

 それでも、レトは必ずこの三つのお気に入りスポットを巡ります。ええ、ちゃんと私の顔の上にもねw

 いま流行りの言葉で言うと、それが「ルーティーン」なんでしょう。

 最初、顔に乗られた時にはびっくりしましたが、まあレトが楽しいんならいいか、と、今では受け入れていますw

 それでは、また。

 ケーンでした。

 

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