ケーンの介護日記 その3~急ぐ息子、母の涙~
3月3日、午後。
昼、母の様子を見に行った妹からの電話で、玄関での事件を聞いた後でした。
もう猶予はない。そう思いました。予定では週明けの3月7日に市役所に行くつもりで、その日の休暇も押さえていましたが、状況が変わった。
母が、家を出て行こうとした。それは衝撃でした。
母が認知症かも知れない。そのことは常々思っていました。
でも、
「ここは自分の家じゃない」
そんな妄想めいたことを口にしたことは今までなかったのです。物忘れが多くなったとか、ちょっとした記憶違いがあったりだとか、そんな程度でした。
加えて、今の母は足が悪く、まして冬、雪道で道が悪い。とても外出できる状態ではなく、また本人も外出しようとはしませんでした。
だから、ちょっと認知症が進んだとしても、いわゆる「徘徊」はない。今までもなかったし、これからも、当面の間はないだろう。そう考えていました。
しかし、今回、母は家を出て行こうとした。たまたま妹がその場面に遭遇したからよかったものの、そうでなければ母は足が悪かろうと外出し、あるはずのない「本当の家」を求めて、雪道をさまようことになっていたかも知れないのです。セキセイインコのレトを連れて。
徘徊の可能性が頭をよぎると、私はもういてもたってもいられませんでした。
目を離した隙に家族がいなくなる不安と恐怖。母と、レトと。
予定では3月7日に市役所で要介護認定の申請、しかし申請から認定までには1ヶ月近くかかると市のホームページには書いてあった。介護サービスが始まるのは、認定で要介護の度合いが決まった後になる。
ならば病院は? 病院は、3月10日の予約になっている。そこで初めて、認知症かどうかの検査を受けるのだ。
遅い。
今日は木曜日。土、日は私が家にいるとしても、金曜日は仕事に来なければならず、日中はどうしても目を離すことになる。その1日の間に、また母が「ここは私の家じゃない」という妄想に捉われたら? 妹だってそうそう仕事を抜けられないだろう。よしんば抜けて様子を見に来ることができたとしても、母が家を出て行こうとするその瞬間をつかまえられるとは限らない。私も妹も知らない間に、母はいなくなってしまうかも知れないのだ。
私は仕事を抜け、休憩室で市役所に電話をかけました。
今、すぐ介護サービスには頼れない。ならば何かないか。介護保険とは別の、地域の高齢者を見守ることのできる制度やサービスが。例えば、保健師が家庭訪問をしてくれるとか。民生委員という存在もある。最後の手には警察だってある。しかしまずは市役所だ。そこで相談をして、最善の手を模索する。警察に行けと言われたら行く。そのつもりで、私は市役所に介護保険課の職員と話しました。
昼間、母が妄想に捉われて家を出て行こうとしたこと、普段から認知症を疑わせる言動があったこと、足が悪く歩行に難があり、どこで転んで動けなくなるかわからないこと、近々要介護認定の申請に行くこと、病院に行く予定はあるがその日まで待っていられる状況ではないこと等々、事情を説明して尋ねました。今すぐに使えるサービスはないのか、と。
職員の方はひととおり私の話を聞くと、「地域包括センター」の電話番号を教えてくれました。そこは、市の委託を受けて、地域の高齢者の生活を支えるための総合相談窓口となっている施設とのことでした。その気になれば、そこに要介護認定の申請を代行してもらうこともできるそうです。
私は礼を言って電話を切ると、すぐさま地域包括センターに電話をかけました。応対に出た担当者に再び事情を説明。すると担当者は事態の緊急性を理解してくれたのか、
「少しだけお時間を下さい。すぐに検討しますので」
「お願いします!!」
いったん電話を切って席に戻り、仕事を再開する。折り返しの電話があったのは、10分ほど経った頃でした。
「小規模多機能事業所しかないと思います」
「しょうきぽ…何ですって?」
説明されましたが、正直、何の事業所なのか、その時の私にはよく理解できませんでした。理解できたのは、そこならば何らかの手を打ってくれるであろうということ。しかしそこは何だ? 施設? 施設の入所を勧められているのか?
「すぐに動ける事業所は〇〇です。そちらの〇〇という者と話してみて下さい。こちらからも話を通しておきますので」
「わ、わかりました」
言われた電話番号をメモして、仕事に一区切りついたタイミングて休憩室へ。電話をかけると、教えられた名前の人物がすぐに電話に出ました。こちらの名前を告げると、すでに地域包括センターから連絡が言っていたらしく、ああ、とすぐに状況を理解してくれました。
「とにかく本人の病状と生活の状態を把握したいので、お宅に伺います。いつがよろしいですか?」
今日は、妹が午後から仕事を休んで母についてくれている。私が帰宅するまで大丈夫だろう。
一つの考えが私の頭をよぎりました。
「明日の午前中にお願いできますか?」
私は予定を早めることにしました。
明日、3月4日の金曜日。7日に押さえていた休暇をその日に変更する。午前中に小規模多機能事業所の担当者に訪問してもらい、母の状況を知ってもらって何らかの手を打ってもらう。そして同じ日の午後、市役所に行って要介護認定の申請をする。
「わかりました。それでは明日の10時頃に、〇〇という者が伺います」
「お願いします」
会話を終えると、私は職場に戻り、上司に事情を説明し、許可を得て休暇を3月4日に変更しました。そしてその日は2時間、時間休を取り、3時15分、帰宅の途についたのです。
幸い、私が帰宅するまで、母は特に問題を起こしてはいませんでした。リビングでTVを見ていた妹に礼を言います。
「なんもだよ」
妹は笑顔で応じます。時刻は4時半を過ぎていましたが、妹は「まだ(娘を)迎えに行くには早いから」と、それから少しリビングにいました。その間にお互いに情報交換。明日、小規模事業所の担当者が訪問に来ると知ると、妹も同席すると言いました。
「午前中休んで話を聞いて、午後から仕事に行くわ」
「そんなに休んで大丈夫なのか?」
「なんもだよ。休み、いっぱい余ってるから」
5時半頃、じゃあ明日ね、と言って妹は帰って行きました。前後して寝ていた母が起き出して来たので、
「ご飯にするかい?」
「うん」
夕食はコンビニ弁当。母には最近、食欲があまりないので、少し小さめのお弁当。私にはポロネーゼ。それと、二人で食べるためのサラダ。二人分のコップに麦茶を入れて、食べ始めます。
「食べながらでいいから聞いて、母さん。大事な話」
「なに?」
「ほら、母さん、今日の昼、家を出て行こうとしたでしょ?」
「うん…」
「それでね、俺も〇〇(妹の名前)も、心配なんだ。だからね…」
私は、市役所に電話をかけたこと、小規模多機能事業所という施設を紹介され、そこに相談をしたこと、明日、そこの担当者が訪問に来ることを話しました。そのうえで、一つ、念を押しておきます。
「俺は、母さんを施設に入れようとか、そういうことを考えてるんじゃないよ。母さんがこの家で生活していくうえで、不便が出ないように、少しだけ手助けをしてもらおうと思ってるの」
母の箸は止まっていました。私は続けて、決定的な一言を投げます。これは、避けて通れない道でした。
「母さんは、認知症だと、俺は思う」
母はしばしの沈黙の後、うつむきました。
「年を取ると、人間、色々あるんだ。だから、病院に行って診てもらうんだし、市役所に相談も行くし」
「うん…」
「だからって恥ずかしいことじゃないよ。困ったら誰だって助けてもらうんだ。母さんの番が来たってだけの話。そのための介護保険制度なんだよ? そのために税金払ってるんだし」
「おかしいの…」
「うん?」
そう言って私を見る母の目には、いつしか涙が浮かんでいました。
「誰もいない、がらんとした家に、連れていかれたの。それで、今日からここで暮らすんだよ、って」
「連れていかれたって、誰に?」
「…わかんない」
「それって、どこの家? 前に住んでたところ?」
「違う。でも、兄ちゃんも住んでたことあるよ。北海商店のとなり」
「北海商店のとなり? 俺、そんなとこに住んだことないよ。知らないよ俺、その家」
「わかってる。だからおかしいの」
それは過去の記憶か、妄想か。母の言っている家のことを、私は理解できませんでした。でも、母は一生懸命に何かを伝えようとしている。
何かがおかしい。何かが違う。
自分が普通の状態にないことを、おぼろげに理解しているのか。母はここで衝撃的な告白をしました。
「私、おかしくなって、自分が嫌になったの。だから、薬をいっぱい飲んで、死のうとしたの」
「…!!」
私は驚愕しながら記憶を探りました。確か数日前の朝、私が仕事に行こうとリビングに降りた時、いつもなら起きているはずの母が起きられなかったことがありました。私は布団の中の母に声をかけて、
「母さん、仕事に行ってくるね」
「…うん。いってらっしゃい」
あの日か。あの日の前夜、母は睡眠薬を大量に飲み、それで起きられなくなっていたのか。
TVドラマで睡眠薬を大量に服用して自殺するシーンがよくありますが、それはドラマの中の話。現実はそんなに簡単ではありません。昨今、睡眠薬の安全性は急速に高まっており、ちょっとやそっとの量では人は死にません。薬の作用が強く出て、昏々と眠り続けるか、意識を失うだけ。もちろん致死量というものはありますが、医師が1回に処方する量を全部いっぺんに飲んだとしても、その量には至りません。
これはたぶん間違いありません。何せ、睡眠薬、精神安定剤、全部ひっくるめて約70錠をビールと一緒に飲んで自殺を図り、失敗した私が言うのですから。もっともその時は通勤途中に突然意識を失い、倒れて救急搬送されたので、無事だったとは言えませんが、そう簡単に死ねないことは確かです。せいぜい、頭を打って数針縫った程度。
母も、そのことは知っているはず。それでも、やらずにはいられない何かがあったのでしょう。
自分が嫌になった。たぶん、自覚があるのでしょう。もう、自分が普通ではないことの。
だからこその、涙。
私は言いました。
「人間、辛いこともあれば、その分良いこともあるよ。俺は、母さんに元気で、生きててほしい。〇〇(妹の名前)も、〇〇(妹の娘の名前)だってそう思ってるよ」
妹の娘、私にとっては姪に当たりますが、母にとっては初孫です。現在、保育園に通う5歳の元気な女の子。
「俺はさ、〇〇(妹の娘の名前)が大きくなってくのを見ていたい。母さんはそう思わない?」
「思うよ。だって孫だもの」
「じゃあ生きようよ。辛いことも良いことも、きっと代わる代わる来るんだから」
この時、私の頭に浮かんでいたのは、アニメ『鬼滅の刃 遊郭編』に登場した鬼、妓夫太郎の台詞でした。
「辛いことも良いことも、代わる代わる来いよ!!」
アニメのキャラクターの台詞がこれほど刺さったのは、いつぶりだったろう。だから、とっさに口をついて出た。
母は頷きました。それからしばらく私と母は言葉を交わしましたが、行き着くのは謎の「北海商店のとなりの家」の話。なぜそんな記憶が母にあるのか、なぜその記憶がそんなにひっかかるのか、最後までわかりませんでしたが、話すだけ話して、泣くだけ泣いてすっきりしたのか、やがて母は「寝る」と言って自分の部屋に戻っていきました。
私はセキセイインコのレトを放鳥し、少し遊んでいましたが、レトが満足してカゴに帰ると、照明を消してリビングを出、2階の自分の部屋に引き上げました。母の流した涙に、少し胸を締め付けられながら。
その後、前回の記事に書いたとおり、母は深夜に目を覚まし、私の知らないうちに隣の家に回覧板を届けるために外に出たのでした。
認知症がいかに油断ならない病気であるか、私は思い知ったでのでした。
~つづく~
レト「おかあちゃん泣いてたでち?」
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