ケーンの介護日記 序
それは、昨年11月のある日のことでした。
深夜、そろそろ寝ようと寝ていた私の2階の部屋に、内線電話が。1階のリビングからです。
「何だろう?」
受話器を取ると、母の声が。
『ごはんできたよ』
「…はい?」
時刻は夜の11時をとうに過ぎています。夕食は6時頃に食べたし、夜食が要るとも言っていない。それ以前に、母は9時前に床についたはずでした。
なのに、起きてる。しかも、ごはん??
「いや、いま何時だと思ってるの? ごはんなんて食べないよ」
『でも、だって作っちゃったもの』
急いでリビングに降りてみると、消したはずの電灯がついて、テーブルに二人分の料理が並んでいる。母は茶碗にごはんをよそっているところでした。
「ちょ、何これ?」
「食べよう?」
私は驚き、戸惑いながら、どうしてこんな時間にごはんを作ったのか母に聞きました。
「だって、目が覚めたら真っ暗で、もう夜だと思って」
「いや、夜だけどさ、晩ごはんなら食べたでしょ?」
「寝過ごしちゃったと思って、あわてて作ったの。遅くなってごめんね」
「と、時計!! 時計見て!! いま何時だと思ってるの!?」
「もうすぐ12時だねえ」
「でしょ? 母さん時間間違ってない!?」
「ああ、そうだねえ。母さん、晩ごはん作るの忘れたと思って、びっくりして…」
どうやら母は、夜中に目を覚ました時、いまが夕食の時間で、寝過ごして夕食を作り忘れたと思ったようです。確かに母は、夕方昼寝をして、それから起きて夕食を作りましたが、そのことをすっかり忘れているようでした。
「でも作っちゃったから。もったいないから食べよう?」
思えばこれが、母の変化のはじまりでした。
最初はたまたま寝ぼけたのかな、と思っていましたが、これが一晩で終わらなかったのです。次の日も、そのまた次の日も、母は真夜中に起き出し、晩ごはん(だと本人は思っている)を作って、私を呼ぶのでした。
どうも寝る前の薬(睡眠導入剤)を飲み忘れているらしい、と気づいたのは数日後のことでした。ちゃんと薬を飲んで寝ると、真夜中に目を覚ますこともなかったのです。それから私は、口が酸っぱくなるくらい「寝る前にはちゃんと薬を飲むんだよ」と母に言い聞かせるようになりました。時には、母が薬を飲むところを見届けてから自室に戻る日もありました。
以来、私が口癖のように「寝る前に薬!!」と言うので、母が真夜中にごはんを作ることはありません。
これで一件落着、と私は安心していたのですが…別の変化が、母に見られるようになったのです。
「また転んじゃった」
母は買い物に出掛けて帰ってくると、時々そう言うようになりました。幸い骨折などはせず、打撲で済んでいたようですが。
また、買い物にかかる時間がずいぶん長くかかるようにもなりました。出掛けると、なかなか帰ってこない。私は休職中で日中、家にいましたが、母の買い物に付き合うことはありませんでした。
「買い物行ってくるね」
「ああ。転ばないように気をつけて」
そう言って見送るのですが、日が暮れてしばらくしても帰ってこないので、ある日、心配になって探しに行きました。母はどこの店に行くとは言いませんが、行くとしたら近所のセブンイレブンかマックスバリュだと当たりをつけて、道なりに探していきます。
すると。
道路を挟んで向こう側に、母らしき小さな人影が。駆け寄ると、やっぱり母でした。両手に買い物袋を持っています。
「にいちゃんか」
「母さん。なんか遅いから探しにきたんだよ。転んだりしなかった?」
「うん、今日は転ばなかったよ」
「そっか。よかった」
ホッとして一緒に歩き出します。母は74歳。年を取ったので、歩みは私より遅い。私は歩を緩めて母と並んで歩こうとしますが、それにしても遅いと思いました。母さん、こんなに歩くの遅かったったけ? 疑問に思いながら、信号が青になったのを見て、横断歩道を渡っていきます。
母もゆっくりついてきますが、やっぱり遅い。そのうち、青信号が点滅を始めました。私は母の背を押して急がせます。でもスピードは上がらない。とうとう渡りきらないうちに、信号が赤になってしまいました。幸い車は発車せず私たち親子が渡りきるのを待ってくれましたが、信号が青のうちに渡りきれなかったことなど初めてでした。
数日後、今度は車で母と一緒にイオンへ。店内でも相変わらず母の歩みは遅く、しかも時々ふらつきます。目まいとかではなくて、体のバランスが崩れるというか、そんな感じ。右か左にひっぱられては、壁に手をついて体を支える、ということを繰り返していました。
ああ、それで転ぶのか。
私はようやく理解しました。何かにつまずいたりして偶発的に転ぶのではない。体のバランスが取れなくなっているんだ、と。
さらに。
ある日、近所でちょっとした騒ぎが起きました。玄関の呼び鈴がなって、私を呼ぶ男性の声がします。私が出ると、近所に住む年配の男性が言いました。
「あんたのお母さん、転んで起き上がれなくなってるよ」
慌てて外に出ると、ご近所さんたちが母の体を起こそうとしているところでした。誰かが車椅子を持ってきて、なんとか母をそこに座らせます。そのまま、母は家の玄関まで運ばれてきました。
私が手を貸して立たせ、母を家に入れます。私が頭を下げて謝り、お礼を言うと、ご近所さんたちは「無事でよかった」と去っていきました。母に話を聞くと、買い物帰りに歩いている途中、バランスを崩してうつ伏せに転び、それから起き上がろうと苦労していると、通りかかったご近所さんたちが集まってきたのだそうです。
「いつも、転んだら自分じゃなかなか起きれないんだ。誰かに助けてもらうことが多いんだよ」
母はそう言って苦笑い。年を取って筋力が衰えて、それで起き上がれなくなったのか。本当にそれだけか。他にも原因があるのか。その時の私にはわかりませんでした。以来、買い物は母一人では行かせず、私が車で連れていくのが日常になりました。
そして冬、雪が積もって道が悪くなったこともあり、母はほとんど外出できなくなりました。家の中では不自由なく歩ける…わけではありません。時々よろめきますし、派手に転びもします。あちこちぶつけて、母の腕や脚には青あざが絶えません。ただの打撲といっても年を取るとなかなか治らないようで、痛い痛いと言いながら湿布を貼っています。
そうして、母は家にこもりがちになりました。もともと患っていた「うつ病」のせいもあるのか、だんだんと気力も衰え、寝ていることが多くなりました。買い物は私が一人で行くようになりました。
年が明けて母は75歳になりました。
後期高齢者の仲間入りです。でも、世界有数の長寿国となった今の日本でみれば、老人といってもまだ若いほうでしょう。
そんな母が、変わっていく。
これは、「高齢の親を持つ子」となった私ことケーンと母の日々を綴った記録です。
つづく
レト「おかあちゃん心配でしゅ~」
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