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2022年3月

2022年3月27日 (日)

ケーンの介護日記 その5~嵐と大整理~

 3月5日、土曜日。

 その日の朝は私も母も、少し遅めに起きました。

 いつものパターン。私が1階の居間に降りて、セキセイインコのレトを起こし(起こすといってもカゴにかけた毛布を取り払うだけで、本人?はとっくに目覚めていましたが)、朝食のパンを食べていると、母が起きてくる。まだちょっと眠そうな顔で。

「おはよう。パン食べる?」

「うん。その前にトイレ」

 母がトイレに入っている間に、玄関からパンの入った袋を持ってきます。私はパンを食べ終え、朝の薬を飲んでからレトの世話。エサと水を取り換え、止まり木についたフンをティッシュで拭き取ります。その間に母は椅子に座り、袋からあんぱんを取り出して食べ始めました。

「…今日、来るの、昨日の人?」

「Oさんのこと? ううん、今日は来ないよ。月曜日から。今日は、俺たちが病院に行くんだよ。S内科」

 私と母は、月に1回、S内科クリニックに通っています。ふたりとも、病名は高脂血症。つまりコレステロールが高いのです。特に私の高脂血症はけっこう深刻で、健康の人の総コレステロール値が上限200なのに対し、私は薬を飲まなければ350超。時には400を超えたこともあり、その時は医者に「放っておいたら死ぬよ」と言われたのでした。

「先月行ったでしょ? もう1ヶ月過ぎたから、俺、もう薬ないんだ。母さんもないでしょ?」

「母さんのはあるよ」

「うそ。ほんとに?」

「うん」

 私はちょっと戸惑いました。S内科にはいつも私と母は一緒に受診していて、処方される薬は違うものの、量は30日分のはず。私が切れているのに、母の薬だけ残っているというのは妙でした。

「もしかして、時々の飲み忘れたりしてる?」

「…そんなこと、ないと思うけど…」

 と、母はちょっと自信なさげ。その時はわざわざ母の薬カゴを取り出して確かめたりはしませんでした。

「うーん、変だね。でもまあ、どうせ俺は行かなきゃだし、ついでだから一緒に行こう?」

「うん」

 出発を10時と決めて、私はいったん自室に引き上げます。何となくTVを見て過ごし、9時半から身支度を整え、居間に降りると、母も準備ができているようでした。

 9時45分に出発。車で国道を10分ほど走ると、S内科に着きます。受付で診察券と保険証を提出。母も保険証は出しましたが、診察券が見つからない様子。財布を開いて、色んなカードを出したり引っ込めたりしています。そういえば先月来た時も診察券が見つからなくて、受付の女性に「今日はいいですよ。次までに見つからなかったら、新しく作りましょう」と言われていたのでした。

 結局母の診察券は見つからなかったので、新しく作ることに。それと、新型コロナのワクチン接種の予約ができるかと質問。母は75歳の高齢者なので、もう3回目接種の接種券が市役所から届いていたのでした。

「予約は、今だと早くて4月13日になりますけれど」

「4月13日というと…ええと」

「水曜日です」

 S内科ではワクチン接種は週に1回、水曜日のみと決まっているとのことでした。仕方ない、その日、何とか休暇を取るか。私は4月13日の予約をお願いして、母の接種券を提出。受付の女性はそれを確認すると、予約日を記したメモをくれました。

 それから待合室で待機。まず母が呼ばれ、診察。それから少しして、私の番になりました。

 医者のS先生の診察は短い。前回の血液検査の結果をちゃちゃっと説明すると、血圧を測り、「うん、悪くないね。じゃ、いつもの薬を30日分出しとくから」で終了…しようとしたところで、私は留まり、ちょっと追加の質問をしてみました。

「先生、母のことなんですけど…診察の時、何か気になりませんでした?」

「お母さん? 一目見ただけでわかったよ。気分も春モードで行きましょう、って言っておいたから」

 ああ、うつ病のことか。S先生は母がうつ病で市立病院に通っていることを知っています。先生には今日の母が、元気がなく、うつ症状が出ているように見えたんでしょう。

 まあ、内科の先生だからな。認知症まで看過しろって思うほうがちょっと酷か。

 苦笑しながら、私は母が認知症かも知れず、近く専門の病院にかかる予定でいることを告げて診察室を後にしました。

 診察を終えると程なくして名前が呼ばれ、会計窓口へ。私は二人分の診察料を払うと、領収書と処方箋、それから母の新しい診察券を受け取りました。そして、薬局には私が行くことにして、母に車のキーを渡します。

「薬取りに行ってくるから、母さんはいつも通り、車で待ってて」

「うん」

 薬局で二人分の薬を受け取って戻ると、ちょっとトラブルが。車のドアが開かない。母は助手席に座っています。何をどうしたのかわかりませんが、中からドアをロックしてしまったみたいでした。

「ちょ、母さん、鍵開けて、鍵!!」

「…どうしたらいいの?」

 車のキーは母の手の中。これはもしかしてインキーというやつか、などとしようもないことを考えながら、あたふたと母に外から指示します。

「とにかくドア開けて、ドア!!」

 母はしばらく悪戦苦闘した末に、助手席のドアを開けました。私は回り込んで、母からキーを受け取り、運転席側のドアを開けてすべり込む。

「あーびっくりした。母さん、何したのさ?」

「わかんない」

「わかんないって…中に人がいるのにインキーなんて笑えないよ。まあ、開いたからいいや。帰ろう?」

「うん」

 車を発進させながら、私は考えました。今日の予定は、とりあえずもうない。帰ったら昼ご飯食べて、それからゆっくり過ごそうか。

 ところが、そうはなりませんでした。

 私は失念していたのです。妹からの、一通のメールを。

 

 

 帰宅して少し経ち、そろそろ昼食を取ろうかと思った頃。

 ピンポン、ピンポン、ピンポーン!

 玄関のチャイムがけたたましく鳴って、こちらの返事も待たず、ドアが開かれる音。慌てて玄関に出ていくと、小さな人影が飛び込んできたところでした。

「来たよー」

 そう笑顔で言ったのは、続いて入ってきた人物。それは妹でした。そして小さな人影の正体は。

「おじちゃん!!」

 妹の娘、つまり私の姪にあたる5歳児なのでした。

 しまった、忘れていた。

 その時になって、私は思い出しました。「明日の昼、遊びに行くね」という妹からのメールを。

 妹の旦那も一緒でした。

「マック買ってきたよー」

 妹が大きな紙袋を掲げて見せます。みんなで食べよう、ということのようでした。

 妹一家が居間に入ると、母は微かな笑顔を浮かべました。

「ばぁば、こんにちは!!」

「はい、こんにちは」

「レト~、こんにちは!!」

「ぴよ」

 場が一気に明るくなり、賑やかな昼食が始まりました。妹が手早くハンバーガーとポテト、ドリンクを並べて行きます。私にはスパビー、母にはチーズバーガーが手渡されました。姪っ子には5歳児らしくハッピーセット。50目前のおじさんにはよくわからないおもちゃに夢中になっていました。

 まあ、たまにはこんな食事もいいか。私はそう思いながら、ハンバーガーをかじりました。姪っ子は贔屓目に見ても可愛い。母にとっても当然、孫は可愛いだろう。孫の明るさが、母の心の癒しになってくれるといいのだけど。唯一の心配は、元気すぎる孫の相手をして疲れないか、ということだが…まあ、明日は日曜日だし、予定もないし少しくらい疲れても大丈夫だろう。

 ところが。

「おじちゃん、遊んで!!」

 姪っ子のターゲットは、私だったのでした。

 5歳児、それはまるで嵐。そのことを、私はそれから改めて思い知るのです。

「おじちゃん、かたき(ボールをぶつけあう遊び)しよ!!」

「おじちゃん、ドッジボール(やっぱりボールをぶつけあう遊び)しよ!!」

「おじちゃん、オセロしよ!!」

「次はかるたしよ!! ばぁばも!!」

 姪っ子は明るく元気いっぱいです。そんな姪っ子と遊ぶのは楽しいのですが、如何せんここ数日は色々なことがありすぎた。姪っ子の「〇〇しよ!!」に応えるたびに、どんどん体力が削られていく自分を自覚していました。それでも、

「おじちゃん、2階行こ!!」

 そう言って私の手を引っ張る姪っ子。

 5歳児恐るべし。

 観念した気分で姪っ子に手を引かれるまま、2階へ。ひとしきり「お店ごっこ」に付き合った後、満足した姪っ子に続いて1階に降りた私の顔には、明らかな疲労の色が現れていました。

「おかえりー」

 と、にこやかに私たちを迎える妹。妹の旦那はソファでくつろぎながらスマホを見ています。母も自室に引き上げたりせず、起きて居間の椅子に腰掛けていました。テーブルには3人分のカフェラテ。ああ、カフェラテ飲みながらのんびり雑談してたのね。一体どんなこと話してたんだろう? 興味が湧きましたが、それを知る機会は永遠に失われてしまいました。

「おじちゃん!!」

 嵐はますます勢力を増して、私を巻き込んで離さないのでした。

 

 

 6時頃、嵐を呼ぶ5歳児は両親に引っ張られて帰宅して行きました。

 私と母は夕食を取ります。夕食の後は放鳥。それを知っているセキセイインコのレトはもう臨戦状態。止まり木の上を左右に行ったり来たり、瞳は爛々として「出して出して」とアピールしていました。

「疲れたでしょう」

 と、母。私は苦笑い。

「まあ、ね。子供のパワーはすごいわ。50目前のおじちゃんにはついていけない」

 夕食はS内科の帰りにコンビニで買っておいた弁当。私は例によってパスタ、母はこの頃食欲がないので、小さな「一膳弁当」です。

 食べ終えると、私も母も食後の薬。私はカプセル二つだけですが、母はそうはいきません。大きな薬カゴを持ってきて、ごそごそ始める。

 多いな、と私は思いました。

 内科でもらっている薬は朝食後に飲むもので、つまりこれから母が飲もうとしているのはぜんぶ精神科で服用された薬です。

 母の精神科の薬については常々多すぎるのではないかと私は思っていて、以前、主治医あてに薬を見直せないか手紙を母に持たせたことがあります。でもその時主治医は、「転院するなら、その直前のタイミングで薬を変えるのは良くない」と言っていつもと同じ薬を処方していたのでした。

 母がごそごそやっている薬の袋をざっと数えてみると、7、8袋。しかも、一袋に一種類の薬が入っているわけではなく、朝だけ飲む薬とか、朝・夕に飲む薬、夕食後に飲む薬、毎食後に飲む薬…とややこしそうです。実際、今の母には難解らしく、母は同じ薬を取り出しては戻したり、また別の袋から薬を取り出したり、時には袋の中身をぜんぶテーブルにぶちまけたりと、苦労している様子でした。

 そんな母を見る私の耳には、レトの鳴き声が。早く出して、と催促しているようです。

「待ってね。母さんが薬飲み終わったら出してあげるから、お利口にして待っててね」

 そう言って視線を戻すと、母はまだ大量の薬を前に苦戦していました。

「母さん、ちょっとこれ見せてね」

 そう言って私が手に取ったのは、母の薬の説明書類。一般的には1枚ですが、母の場合は4ページに及びます。見ると「不安や緊張を和らげる薬です」とか「眠りに入りやすくし、よく眠れるようにする薬です」とか書いてありますが、同じ記述が何度も出てくるうえ、それぞれ服用するのが朝・夕食後とか毎食後とか就寝前とかみんな違っている。今の母がこれを全部把握しているとは考えにくい。これまで、飲み忘れや飲み過ぎなどがあったのではないか。

 精神系の薬は正しい用法で服用しないと、かえって悪影響がある。私は決意し、母に声を掛けました。

「母さん、ちょっと薬、整理しよう」

「整理?」

「母さん、薬、これぐちゃぐちゃでしょ。ほら、この薬だって、本当はこの袋じゃないもの」

「だって、薬多いから、母さん、わかんなくなっちゃって…」

「うん。だからちゃんと整理して、正しく服用できるようにしよう? 手伝うから」

 手伝う、と言いましたが、もう全面的に私がやるつもりでした。いったん、全部の薬をテーブルにぶちまける。それから、説明書類の薬の写真を見ながら、これはこの錠剤、これはこの小袋、と寄り分けて、正しい袋に入れ直していく。

 もちろんてきぱきと、とは行きません。基本的に今まで薬の扱いは本人に任せていて、母がどんな薬を飲んでいるか知ったのも、ごく最近のことなのですから。少し、いやかなり苦労しながら、それでも何とか薬を正しい袋に入れることができました。それを、薬カゴに、朝から飲む順番に並べて行く。こんな時、袋に「朝・夕食後」などと書かれていると並べる順番に迷うのですが、そういうものは結局最初に飲むタイミングに合わせるようにして、どうにか並べ終えました。

「よし、できた。どう、母さん? 少しはわかりやすくなったと思うけど」

 母は薬カゴを見て、それからゆっくり首を左右に振りました。

「…やっぱり、よくわかんない」

「…そっか」

 それじゃあ、仕方ない。

 これからは私が母の薬を管理することにしよう。

「いいよ。何とか自分でできるから」

「だって、よくわかんないんでしょ?」

「…うん」

「飲み過ぎとか飲み忘れとかあったら大変だから、これからは俺が母さんの薬、出すようにするから」

 レトも待ってるしね、と付け加える。

 そう。切実な理由がもう一つ。母が薬に手間取る分、レトの放鳥が遅くなってしまうのです。

「で、今夜飲むのはこれとこれとこれ。寝る前の薬は後で用意するから、まずそれ飲んで」

 母が薬を飲み始めると、私は母の薬カゴをしまい、レトのもとへ。

「遅くなってごめんね。今、開けるからね」

 入り口を開けると、待ってましたとばかりにレトが飛び出し、私の肩に。

 そして、

「遅いでち!!」

 とばかりに、私の耳たぶをひと噛みするのでした。

 

~つづく~

 

Img_0668

レト「ぷんぷんでち!!」

 

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2022年3月21日 (月)

時代に追いつけ!! 計画

 どうも、ケーンです。

 うつ病は辛く苦しい病気です。好不調の波があり、今日は調子が良いな、と感じた翌日には絶不調、なんてこともざら。症状もさまざまで、私の場合は「無気力」が長く続きました。仕事をする気力がない。趣味を楽しむ気にもなれない。布団から出たくない。何なら食事をするのも、呼吸をすることさえ面倒くさい。

 死にたい。

 そんな思考に陥ることもしばしばでした。

 でも、回復した今になって振り返ると、一つだけ良い事がありました。何をする気にもなれない分、本当に何もしないので、余計なお金を使わない、という点です。もともとそんなに贅沢をする性質ではありませんでしたが、うつで引きこもるようになると、ますますお金を使わなくなります。せいぜい1~2ヶ月に1冊本を買ったり、オンラインゲームにかかる月額基本料金程度。

 私の勤める職場は、ありがたいことに休職しても一定期間給与が出ます。もちろん、出ない手当もありますし、基本給自体、大幅にカットされていますが、それでも手取りで10万程度は入ってきます。うちは母の年金もあるので、合わせれば2人世帯で十分に生活できました。

 すると、お金が貯まる。貯まるといってもたかが知れてますが、就職してからこれまで貯まっていた預金もあるので、気がつくとちょっとした小金持ちになっていました。

 そして、私はうつ病からどうにかこうにか回復し、3月から正式に復職しました。

 うつがひどい時は頭は自分のことで精一杯で、周りなんて全然見る余裕がありませんでしたが、回復すると、次第に見えてきます。そしてわが身を振り返って、はたと気づいたのです。

 俺、時代に取り残されてる、と。

 たとえば携帯。さすがにガラケーではなくスマホですが、私が持ってるのはiPhone6。2014年に発売されたモデルで、もう8年前の代物です。今しきりに宣伝しているのはiPhone13ですよね。何世代前のものなのか、ばからしくて数える気にもなりません。

Iphone6

 うちにはWi-Hi環境もないので、中のOSをアップデートすることもできず、初期のまま、今では対応していないアプリも多々あります。普通に電話やメールをする分には不便はないのですが、いかんせん旧式なので、例えばTwitterにアップされている軽い動画さえ見れないことがあります。

 バッテリーもヤバい状態で、一晩充電して100%にしても、その日の夜にはダウン、なんてことも。うちでは夕食後にセキセイインコのレトを放鳥するのですが、その時には携帯のバッテリーが切れていて、放鳥中にレトが見せるさまざまな表情や仕草を写真に収めることができない、なんて日もしばしば。

 それからパソコン。

 今、私が使っているのは富士通のノートパソコン、FMVですが、これも古くて、2010年冬モデル。

Fmv-2010

 OSはWindows7。もうとっくにサポートが終了しており、時代はWindows10、最新は11です。もちろん動作は遅くて、時々フリーズもします。このブログの記事もずっとこのパソコンで書いていますが、文字入力が途中で止まってしまい、泣く泣く再起動、記事書き直し、なんてことも珍しくありません。

 別にゲーミングパソコン並みの性能を求めてはいませんが、快適に文字入力したいし、ネットもサクサク見たい。アクセス→ページが開くまで待機(イライラ)→ページの中の画像が表示されるまでまた待機(イライラ)→ページの中の動画が動き出すまでまたまた待機(イライラ)→カーソルが砂時計から矢印に戻るまでさらに待機(あーもう!!)、なんて状態から解放されたいのです。

 さらに言えば、テレビとブルーレイレコーダー。

2006

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 これは同時期に買ったもので、パナソニックのビエラとディーガですが、2006年頃のものです。まだまだ現役で、故障もなく、特に不便なく使えていますが、時代は4K。ちょっと贅沢を言わせてもらえれば、もっと高画質で映画やアニメを観たい。あとゲーム!! ゲームはPS4をこのテレビに繋いでいます。PSは最新の5が出ていますが、4でも対応したテレビに繋げは画質を上げることができるのです。

 私が今プレイしているゲームはFF14(ファイナルファンタジー14)。オンラインゲーム、それも7年も続いているタイトルなので、昨今のスタンドアローンのゲームと比べると画質はちょっと見劣りしますが、なんと次のアップデート(4月中旬を予定)でグラフィックスの向上を図るとのこと。そうなると、ぜひとも対応したテレビで、綺麗な画像でプレイしたい。

 てな具合に、自分の周囲の家電製品がずいぶん古くなっているのに気づいたのでした。

 そこで立てたのが、「時代に追いつけ!! 計画」。

 復職して給与も元に戻るし、もともとの預金もあるから、ちょっと贅沢ができる。これは自分で自分に復職祝いをしても良いのではないか。

 加えて4月からは新生活。いや、私自身は新入生でも新社会人でもないし、人事異動で新しい職場に行くことになるのかどうかもわからない。ひょっとしたら、いや五分五分の確率で、私自身には何の変化もないかもしれない。

 でも、世の中は新生活ムードだ。

 それに、年が明けてからリハビリ勤務を2ヶ月がんばり、3月に入って復職してからもがんばっている。最近では、母のことでもいろいろがんばった。このタイミングで、自分にご褒美をあげても良いのではないか。

 うん。たぶん良い。良いだろう。良いはずだ。良いに違いない。

 今こそ貯まった鬱憤を晴ら…じゃなくて、貯まったお金を使う時!!

 そう自分で自分を納得させて、計画は動き出したのでした。

 とはいえ、いっぺんに何もかも、というわけではありません。見境なく散財して気がついたら貧乏暮し、というのは嫌。なので計画は1年余りにわたって遂行されることになります。

 まずは寿命が来ていると思われるスマホとパソコンを買い替えます。これは切実なので、新生活に合わせたい。

 その後はテレビとブルーレイレコーダー。これはセットです。テレビだけ4Kにしても、同じ画質で録画ができないのでは意味がない。まあ最近では配信が主流になりつつあるので、テレビ番組を録画する、という行為はだんだんなくなっていくのかも知れませんが、それはおいおい考えていけば良い。タイミングとしては、6月。ボーナスがどん、と出た時に購入したい。

 ただし6月のボーナスは昨年12月~今年5月末まで働いた分です。今年の2月末まで休職していた私の場合、単純計算で3~5月の3ヶ月分、つまり満額の半分の額である可能性が高い。金額によっては、テレビだけ先行して購入、ということもやむを得ないでしょう。その場合、レコーダーの購入は次のボーナスが出る12月まで持ち越されることになります。

 そして最終に、ゲーム機です。

 現在、コロナによる物流への影響や半導体不足による生産台数の減少などで、発売から1年半が発った現在でも入手が困難になっているレアアイテム、ソニーのPS5(プレイステーション5)。

Ps5

 ネット通販では転売ヤーが横行しており、定価の倍の値段で出品されていることもざらではありません。こうして記事を書いている今も、Amazonのサイトを覗いてみるといちばん安くて91,500円でした(定価は税込54,978円)。

 もちろん転売ヤーからの購入は却下。定価で、正規の手段で購入したい(公式のソニーストアか、近隣のヨドバシカメラが候補として有力)。

 これを入手することが、この計画の最終目標です。

 ちなみに近隣のヨドバシカメラでは時々PS5を定価で店頭販売していますが、誰にでも売っているわけではなく、購入は同店の「ゴールドポイントカード+」(クレジット機能付きポイントカード)を所持している人に限定されています。私が持っているのはクレジット機能のない普通の「ゴールドポイントカード」なので、早速所用で街に出た際、店舗に寄って「ゴールドポイントカード+」を申し込んできました(笑)。

 そんなこんなで動き始めた計画。

 果たしてケーンは、お題目通りに時代に追いつくことができるのか?

2022031801

レト「じだいってなんでち? おいしいでち?」

 

 

 

 

 

 

 

2022年3月20日 (日)

ケーンの介護日記 その4~スタートライン~

 あくる日、3月4日、金曜日。

 私は少し寝不足気味でした。昨夜のことがあって、なかなか眠れなかったのです。ようやく眠りに落ちたのは、たぶん午前2時近く。そして、目覚めたのは朝の5時頃。最近、年齢のせいか、何時に寝ても、必ず5時くらいに目が覚めるのです。

 でも、今日は休暇を取ってある。私は2時間ほど布団の中で惰眠をむさぼった後、7時を回った頃に起き出し、1階の居間に下りました。

 セキセイインコのレトを起こしてやり(正確にはカゴにかけておいた毛布を取り払ってやり)、エサを替え、それから自分も朝食のパンを口に運んでいると、母が起き出してきました。

「おはよう、母さん」

「うん」

 7時を過ぎてものんびりしている私を見ても、「あれ、仕事は?」とは言いません。かといって私が休暇を取っていることを覚えているわけではなく、つい最近まで私は休職してしばらく仕事に行っていなかったので、母には見慣れた光景なのでした。

「パン食べる?」

「トイレに行ってから」

 母がトイレに入っている間に、母の分のパンとミカン、麦茶を用意する。パンはセブンイレブンのこしあんぱん。昔から母はあんぱんが好きなので、いつ食べたがってもいいように、ストックは切らさないようにしていました。

 あんぱんを食べる母に、夕べの深夜の出来事を覚えているか尋ねてみます。案の定、母の記憶にはありませんでした。それ以上は追求せずに、私は母に今日の予定を伝えました。

 午前中に、小規模多機能事業所(難しいので母には福祉の施設とだけ伝えました)のスタッフの人が来ること。それが終わったら、私は午後、市役所に行って母の要介護認定の申請をしてくること。

 母の顔が曇りました。

「母さんは、どうすればいいの」

 小規模多機能事業所のスタッフが何をしに来るのか、何か難しい話をしなければならないのか、少し不安そうです。

「母さんの様子を見に来るんだよ。専門の人がね。でも大丈夫、難しい説明は俺がするから、母さんは聞かれたことに答えればいいよ」

「そうなの」

「そう。母さんあんまり説明うまくないでしょ? それは俺が引き受けるから、大丈夫。気楽にしてて」

「うん」

 それから母の視線は、TVの画面へ。我が家の朝は、決まってフジテレビの「めざましテレビ」です。画面ではお天気キャスターのお姉さんが、にこやかに全国の天気を説明しているところでした。

 札幌は晴れ。そっと窓を見ると、札幌に隣接するこの街の空も、きれいに晴れているようでした。

 

 

 朝食後、母はもう少し寝ると言って自分の部屋へ。私もカゴの中のレトを少しかまってから、いったん自室に戻って着替えをします。さすがに部屋着のままじゃ失礼だろうし、午後には市役所に出掛けるんだからと、ジーンズに厚手のシャツといった格好になりました。

 9時過ぎ。玄関のチャイムが鳴って、妹が顔を出します。妹も、午前中は休暇を取っていたのでした。

 母はまだ布団の中。10時に小規模多機能事業所のスタッフが来るので、そろそろ起こして身なりを整えさせなければなりませんが、その前に私は妹に昨夜の出来事をざっと説明しました。

「そっか。危なかったね。無事でよかった」

 妹は心配と安堵が入り混じった表情でそう言いました。

 それから、母を起こしに行きます。「M子(妹の名前)も来たの」と言いながら、ゆっくり起きようとする母。でも、手足に力が入らないのか、なかなか起きれません。「うん。来たよ」と笑顔で答えながら、妹は母に手を貸して起こしてやりました。

 母の着替えが終わり、そろそろ10時になろうかという頃、居間の固定電話が鳴りました。私が出ると、女性の声が。

『小規模多機能ホームY(施設の名前)です。もうすぐお宅に着きます』

「わかりました。お待ちしてます」

 そうして現れた女性は、Oと名乗りました。名刺を差し出すので受け取ると、肩書は「ケアマネジャー」とありました。

 ケアマネジャーさんが来たのか。私はちょっと驚きました。電話の声が優しげでほんわかしていたので、何となくヘルパーさんかな? と思っていたのです。見ると、マスクで顔立ちはよくわかりませんが、優しげな目許は笑顔です。この人がケアマネジャー。

 ケアマネジャー(介護支援専門員)は立派な国家資格です。介護を必要とする人が最適な介護サービスを受けられるように、ケアプラン(計画)の作成や介護事業所との調整を行う、介護保険のスペシャリスト。私は若い頃、福祉の職場にいましたが、介護保険制度ができたばかりのその頃、先輩のベテラン職員(主に係長職)が何人か、ケアマネジャーの資格試験に挑んでいたのを覚えています。

 なのでケアマネジャーと言えばちょっと年齢が上の、お堅い役人ふうの男性──そんなイメージがあったのですが、目の前の女性はたぶん私より年下でしょう。時代が変わったのか、それとも単に私のイメージが古すぎるのか。

 ともかく、専門職の人が来てくれたのはありがたい。居間に招き入れると、Oさんはにこやかな声で母に挨拶しました。よろしくお願いします、と名刺を差し出す。母はそれを受け取って、「よろしくお願いします」と返事。警戒している様子はありませんでした。

 各々席についたところで、

「具合はどうですか、お母さん」

「はい…それがなかなか…」

 笑みを浮かべながら言いよどむ母の隣から、私が1枚のペーパーをOさんに差し出しました。

「ここに、最近の母の様子をまとめておきました。よければこっちにまず目を通してくれますか」

 それは先日、私が母に持たせた、市立病院の主治医あての手紙の添付資料でした。仕事の合間、職場のパソコンを使って作成しておいたものです。母が市立病院を受診した後の情報も追加した、言わばバージョン2です。午後から行く予定の市役所でも使おうと思って、2部用意しておいたのでした。このあたりは長年の事務職員としての経験が生きています。もちろん、昨日の昼、母が突然家を出て行こうとしたことも内容に追加してありました。

 うん、うんと小さく頷きながらペーパーを読み進めるOさん。それから私は、昨日の深夜の出来事を話します。

「母さん、ほんとにそんなことしたの?」

 母はやっぱり思い出せない様子。私は「そうなんだよ」と頷きました。

「状況はわかりました。今日、息子さんが市役所に行くんですね?」

「はい。午後から行って、要介護認定の申請をしてきます」

「それなら大丈夫です。介護サービスは認定前でも申請日にさかのぼって利用できますから、今日からでもサービス開始できます」

 なるほど、遡及適用か。役所用語で理解する私。申請から認定まで1ヶ月かかるとしても、ちゃんと緊急性には対応できるように制度設計されているのだ。さすがに国が鳴り物入りで導入した制度。抜け穴はないというわけか。

 そして、Oさんが取り出したのは小規模多機能ホームYのパンフレット。

 小規模多機能事業所はその名のとおりスタッフの数も利用者の数も小規模で運営されているが、小規模だからこそ、みんなが「顔なじみ」になり、安心で親密な関係性を築けるのが利点だといいます。なるほど考えられているな、と私は思いました。今まで家に閉じこもり気味だった母が、いきなり大勢の人の中に飛び込むのはハードルが高い。おそらく交代で来てくれることになるであろうヘルパーさんにしても、毎日毎日知らない顔がやってくるのでは利用者は安心できない。そこをフォローできるのが、小規模事業所というわけです。

「うちには、通所、訪問、宿泊という三つのサービスがあります」

 専門用語で言い換えれば、デイサービス、訪問介護、ショートステイといったところか。仕事柄、専門用語に慣れていた私はすぐに理解しましたが、もちろん母はそうではありません。ケアマネジャーのOさんは丁寧に、通所、訪問、宿泊の三つのサービスの内容を説明していきました。

 パンフレットにももちろんそのことが書いてありましたが、「通所」の文字だけ太字で大きい。たぶんこれがメイン事業なのでしょう。

「通所といっても、小規模ですから定員は15名です。見知った顔の仲間で、楽しくおしゃべりしたり、お食事をしたり、レクリエーションをしたりするんですよ」

「あ、えーと」

 そう口を挟んだのは私です。

 いくら小規模でも、今の母が集団の中に入っていくのは無理がある、と私は考えていました。もちろん自宅まで送迎してくれるというし、利用時間中はスタッフが見てくれているというから不慮の事故もないだろう。

 それでも。

「家族としては、ゆくゆくは施設に通って、家族以外の人と触れあって元気になってほしいと思ってます。いつも見る顔が私とか妹とか、家族だけだと、どうしてもマンネリというか、刺激にならないと思うんですよね」

 それは私の経験に基づく発言でした。私も「うつ病」がひどくて家にこもっていた頃は、顔を合わせるのは同居の母か、時々顔を見せる妹とその夫、娘くらいでした。さらにひどい時には、妹一家の顔を見るのも苦痛でした。働きもせずひきこもっている私に比して、妹もその夫も社会人としてきちんと働いている。その娘──私にとっては姪──も、元気に保育園に通っている。その落差がどうしようもなく辛くて、情けなくて、情けない自分を見られるのが嫌でした。

 でも、良い薬に出会って調子が上向いて、リハビリ勤務に入って職場に通うようになると、他人と接することがとても楽しく、刺激になりました。ちょっと言葉を交わすだけでもいい。内容も必ずしも楽しくなくても、それこそミスを指摘される内容でもいい。回復して戻った「社会」は何もかもが新鮮で、心地好い刺激に満ちていました。その刺激が、さらに自分を元気にしてくれる実感がありました。

 だからいずれ母にも、「社会」に戻って欲しい。もちろん働けという意味ではありません。狭苦しい家から歩み出て、心地好い刺激に満ちた世界に触れて欲しいのです。きっとそうすることで、たとえ認知症が治らないとしても、少なくとも「うつ」からは回復できる。世界はこんなにも優しいんだ、とうことに気づくことができれば、きっと元気になれる、と、私はそう思っていました。

 でも、今はダメだ。再び世界に踏み出すには入念な準備と、少しの勇気が要る。そのどちらもが今は不十分だ。タイミングを誤ると、世界は簡単に顔を変える。外にはただただ辛いことしかなく、家の中の、自分の部屋の中だけが唯一安心できる場所──そんなふうにしか考えられないようになってしまう。まして今の母には、その「唯一安心できる場所」すらないのだ。今の母にとって、ここは自分の本当の家ではないのだから。

 今の母に必要なのは「安心」だ。接するのは普段から見慣れている家族と、見知った顔に限定したほうがいい。そうして穏やかに心の回復を待ちつつ、徐々に「安心できる世界」を広げてゆくのだ。

 それが、若い頃に福祉に携わり、自分も「うつ」を経験した私が描いたロードマップでした。

「だから、まずお願いしたいのは「訪問」なんです。1日に1回でいい。私や妹の目が行き届かない時間帯に、母の様子を見に来てくれる人が欲しい。日中、母は孤独なんです。レトはいますけど、残念ながらレトは人の言葉が話せないので…」

 これは家族のエゴかも知れない、という思いがありました。見守り、と言えば聞こえはいいが、要するに母を監視したいだけではないのか。他人に母を監視させておいて、自分が安心を得たいだけではないのか。

 でも、この際エゴでも何でもいい。母を失いたくない。その思いだけは本当です。いや、それすら「自分に代わって家事をしてくれる存在を失いたくない」というエゴかも知れない。でも、それでもよかった。母がいてくれるのなら、自分の動機が何であろうと構いませんでした。

 こちらの意向を、ケアマネジャーOさんは理解してくれました。

「それでは、戻ってケアプランを作成してみます。それを見ていただいて、正式にサービスの内容を決めましょう。いつがよろしいですか?」

 私はざっとカレンダーを見ます。今日から土曜日、日曜日は私がいるから大丈夫だろう。月曜日は…もともと休む予定だったが急遽、今日に変更したので休めない。もともと今の職場は、週明けの月曜日は忙しいのです。次に休暇を押さえてあるのは、3月10日、母を病院に連れて行く日だ。初診で、しかも認知症の検査がある10日の診察は、ぜひとも家族の同伴が必要だと病院から言われていた。

「わかりました。それでは、10日の午後にまたお邪魔して、ケアプランの提案をさせていただきますね」

 3月10日は木曜日。介護保険のサービスは要介護度に応じて、決められた限度額の範囲内で設定されます。まだ母は要介護の認定を受けてはいませんので、Oさんは今日聞いた話を基にして要介護度を想定し、限度額やサービスの料金を考慮してケアプランを作成することになります。一両日中にはできないだろうし、計画の作成には精確な病状の把握も必要になるでしょう。10日午前の医師の診断の結果を病院から入手し、プランを完成させる──そういうことになるのだろうと私は見当をつけました。

 では、月曜日から水曜日までの3日間はどうするか? 考えていると、Oさんから意外な申し出がありました。

「それまでの3日間は、私が来ますので」

「え、いいんですか?」

「はい、大丈夫です。お母さん、月曜日から私、お昼頃に来ますから、よろしくお願いしますね」

 さすがにプロ。抜け目がありません。こちらの心配はとっくにお見通しなのでした。

 一通り予定を確認すると、ケアマネジャーOさんは帰って行きました。

「あの人が、これから来るの?」

「そうだよ。木曜日までは、Oさんが毎日来てくれるって。優しそうな人で良かったね」

「でも、私、特に手伝ってほしいこともないし…」

「Oさんはヘルパーとは違うんだよ。まあ正式にサービス開始になったらどういう人が来るのかはちゃんと確認しなきゃと思うけど、ヘルパーさんじゃないから、別に無理に家事をやってもらわなくてもいいの」

「そうなの…?」

「うん。様子見に来るだけだから、リラックスして、楽しくおしゃべりでもしてればいいよ」

 納得したのかしないのかわからない顔を母はしましたが、それ以上は言わず、「疲れたから寝る」と言って布団に入っていきました。

 それから私と妹は小規模多機能ホームYのパンフレットなどを見直したりして過ごし、昼食を取りました。母は「いらない」と言って布団から出てきませんでした。初対面の人とけっこうな時間話したので、だいぶ疲れたのでしょう。

 12時半頃、妹は「じゃあね」と言って仕事へ行きました。

 私は少し自分の部屋で休憩してから、14時過ぎに布団の中の母に声をかけました。

「それじゃあ、市役所行ってくるから。ついでに晩ごはん買ってくるつもりなんだけど、何か食べたいものある?」

「んんー…特に…」

「思いつかない?」

「うん…」

「じゃあご飯ものか麺類か、それだけ決めて?」

 ご飯かなぁ、と母が言ったので、じゃあ適当にお弁当買って来るね、と言い置いて、私は家を出ました。

 もちろん、勝手に一人で外に出たらダメだよ、と念押しすることは忘れませんでした。

 

 

 車で5分も走れば、市役所に着きます。

 平日の午後。市役所1階正面は戸籍や住民票などの窓口ですが、けっこう人がいました。3月から4月は、人の移動が多い時期。学校への入学や人事異動などに伴い、住所を移す人が多いのでしょう。

 目指す介護保険課は、同じ1階の、廊下を渡った奥にありました。手近な職員に声をかけて用件を告げると、カウンターの席に案内されました。

「今、担当の者が参りますので」

「はい」

 程なくして、若い女性職員が一人と、少し年上と見られる男性職員一人がやってきました。話し出したのは女性職員のほう。男性職員は女性職員が書類を見ながら時々質問すると、小声でアドバイスする。

 ふむ、女性職員は新人さんなんだな、と私は察しました。こちらの用件は重大なので、正直なところベテラン職員に対応して欲しかった気持ちはありますが、仕事をする中で、誰にでも新人時代はあるものです。そして、経験を積まないと新人は育たない。そのくらいはわかっているので、ここはわがままを抑えて新人さんのがんばりに期待します。多少時間がかかったとしても、そこはまあ大目に見ましょう。

 事前に用意しておいたペーパーが、ここでも大いに役に立ちました。こちらの状況説明は最低限で済み、すぐに要介護認定の申請手続きに入ります。申請書に必要事項を記入し、必要書類(保険証など)を添えて提出。女性職員がそれを持っていったん下がると、残った男性職員と軽く雑談。

「大変でしょう、福祉の職場。実は私も昔、福祉に携わっていたことあるんですよ。役所づとめなんで」

「みたいですね(←申請書の職業欄に「公務員」と書いたのをしっかり見ていた)。今はどちらの職場に?」

「戸籍住民課です」

「それじゃあ、そちらこそ今時期大変でしょう。年度末が近いから」

「いやあ、戸籍住民課でも戸籍のほうですからね。住民票のほうは人が移動する時期なので忙しいですけど、戸籍はそこまででは」

 などと役所トークに花を咲かせていると、女性職員が戻ってきて、申請を受け付けたことを告げ、保険証を返してくれました。それから今後の手続きの説明。新人さんだからとつい上から目線で見ていましたが、なかなか説明もてきぱきとしてわかりやすい。申請後、専門の職員が訪問調査に来るのですが、調整の結果、3月22日の午後ということになりました。いちばん早い予約は22日の午前中ですが、22日は三連休明けの初日。午前中が特に忙しく、休暇が取れない可能性があったので、午後にしたのです。なんとか上司を説得して、せめて午後休は取らせてもらうつもりでした。

 それから介護サービスの利用についての一般的な説明を受けて、申請手続きは終了となりました。

 本日の任務を無事に終えた私は、これで事態が好転していくことを祈りながら、帰宅の途についたのです。

 

 

 その日の夜、無事にレトと母が寝るのを見届けた私は、2階の自分の部屋へ。

 携帯を見ると、1件のメールが。妹からでした。

「しっかり者の兄がいて幸せだわ。頼りにしてます!!」

 そして、

「きっと大丈夫、うまくいくよ」

と。

「そうだね」

と、私は心の中で妹に向けて呟きました。

 打てる手は全部打った。可能な限り早く。だから大丈夫、きっとうまくいく。

「それにしても、しっかり者の兄、か…」

 思わず、苦笑いがこぼれます。

 妹よ、俺はしっかり者なんかじゃない。基本的に面倒くさがりで怠け者だし、家事なんてぜんぜんできないし、人見知りで引っ込み思案で、気が小さくて。社会に出たら「うつ病」で出世街道から一気に転げ落ち、休職と復職とをさんざん繰り返してきた問題児だ。

 昔、先輩職員から冗談交じりに言われたことがある。俗にいう「じんざい」には、3種類あるんだ、と。

 普通の「人材」。

 いてくれることが有難い「人財」。

 そして、いることが迷惑な「人罪」。

「お前は将来、どれになるだろうな?」

 先輩職員は俺が「人財」になることを期待して、いや、「人財」になれと励ます意味で言ってくれたのだと思う。

 でも、今までの俺は間違いなく「人罪」だ。役所づとめならばなおのこと。税金から給料をもらっておきながら、休職してばかりで、ぜんぜん社会に貢献してこなかった。むしろ市民の血税を食いつぶして生きてきたんだ。

 でも、それでも。

 それでも、これからはせめて「人材」になりたい。給料分の仕事はする。1対1。等価交換。親にはこれまで育てられた分、同じだけ恩を返す。できればそこに+1できればなおいい。職場にも親にも、-1どころではない負債があるのだから。

 父さんには恩を返せないまま逝かれてしまった。だからせめて、母さんには。

 これは俺の借金返済なんだ。借りた金を踏み倒す人間には、なりたくないだけなんだよ。

 膨れ上がった借金を、完済できるかどうか、まだわからない。完済する前に終わってしまうかも知れない。職場には退職という、親には死という明確なタイムリミットが存在するのだから。

 だから、俺は走る。走って、タイムリミットまでにできるだけの借金を返す。今がその「スタートライン」なんだ。

 そんなことを思いながら、眠りにつくのでした。

 

~つづく~

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レト「にいちゃん、よ~い、どん!! でち!!」

 

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2022年3月16日 (水)

わたしの「推し」

 どうも、ケーンです。

 ココログの3月のお題の一つが「推し(自分に元気をくれる存在・もの)」だそうで、私も自分の「推し」について書こうと思います。

 「推し」といってもいろいろありますよね。アイドルだったり、歌手だったり、俳優だったり、マンガや小説・アニメのキャラクターだったり。子供の頃から大人になるまで、大人になってから年を取るにつれて、変わっていったりもします。

 そんな中で、私にとっての今の「推し」は誰か。

 真っ先に思い浮かんだのは…。

2022030802_20220316160301

レト「レトでち!!」

 あ、こらっw

 いやまあ、確かにキミはとってもかわいいし、見てるだけで元気になるし、大事な「推し」ではあるんだけども、今回紹介したいのはキミじゃないんだw

レト「ぶう」(レト、拗ねて退場)

 えー、コホン。

 改めて、「推し」でしたね。私ももうすぐ50になろうかという年齢なので、人生の中で、自分に元気をくれる存在・ものはいろいろありました。セキセイインコも確かにそのひとり(?)です。うちは私が子供の頃からセキセイインコを飼ってきたので、彼ら・彼女らは間違いなく私の人生に寄り添ってくれていた「推し」です。

 でも、「推し」と聞いて真っ先に思い浮かんだのはこの人でした。

02

 ヴァイオレット・エヴァーガーデン。

 アニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の主人公です。

 原作は小説で、2018年にTVアニメ化されました。そして2019年には外伝「永遠と自動手記人形」が、2020年には完結編となる「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が劇場公開されています。

 私も小説は好きでよく読みますが、この作品は知りませんでした。TVアニメから入ったクチです。

 きっかけは何だったのか、もうよく覚えていませんが、そのタイトルに惹かれたのを覚えています。

 ヴァイオレット・エヴァーガーデン。

 すごく良い響きだと思いませんか? で、どんなアニメだろうと思ってサイトを見てみると、どうやらSFやファンタジーの類ではないらしい。いや、架空の世界を舞台にしているのでファンタジーと言えなくもないが、中身は巷に溢れている剣と魔法の世界とは違う。

 キャッチコピーは『彼女はまだ知らない、「愛してる」の意味を。』『想いを綴る、愛を知るために。』

 ラブストーリーだろうか? だったら40を過ぎたオッサンが観てもハマらないかもなあ。

 そんなふうに思いながらも、でもやっぱりタイトルの響きが素晴らしく、内容も気になったので、観てみることにしました。

 そして、見事に心を刺されました。

 戦時下、孤児だったヴァイオレットは軍に拾われ、武器として育てられる。戦うことしか知らず、感情すら乏しかった彼女は激化する戦闘の中で両腕を、そして自分を育ててくれた上官である「少佐」を失う。

 少佐は間際に言いました。

「愛してる」

 と。

 しかし、戦うことしか知らないヴァイオレットには、その言葉の意味が理解できません。

「あいしてるって何ですか」

 その答えを得られぬまま、砲撃が襲い、ヴァイオレットは爆風に吹き飛ばされて意識を失います。

 目覚めると、そこは病院のベッドの中でした。両腕は義手になっていました。少佐はそばにいません。ヴァイオレットを迎えにきたのは、「少佐から君のことを頼まれた」と言う郵便社の社長でした。

 ヴァイオレットはそのまま彼の郵便社で働くことになります。最初は仕分けや配達の仕事をしていましたが、ある時、ふとしたきっかけでそこで働く「自動手記人形」──手紙の代筆人になりたいと言い出します。理由を尋ねる社長に、ヴァイオレットは言いました。

「あいしてる、を知りたいのです」

 そうして、彼女は「自動手記人形(ドール)」として、様々な事情を抱えた人々の手紙を代筆するようになります。

 戦争しか知らず、最初は報告書のような文章しか書けなかったヴァイオレットですが、いろいろな人々と出会い、別れ、その心に触れることで、次第にその人の心をすくいあげるような手紙を書けるように成長していきます。そして、彼女自身も、笑みを浮かべたり、涙を流したりと、乏しかった感情が次第に芽生えていくのです。

 いや、表現がちょっと違うかも知れませんね。感情が、心がなかったわけではない。もともとヴァイオレットは、他人を思いやり、他人に共感することのできる優しい少女だったのでしょう。それが、戦争の中で孤児となり、軍に拾われたことで封じ込められてしまった。その封印が、自動手記人形として人々の心に触れる中で解けていった──私にはそう見えました。軍にいた頃から変わらぬ一途な少佐への想い。それが証左です。

 その様を、京都アニメーションは繊細な作画と丁寧な脚本で見事に描いていました。毎回のストーリーも素晴らしく、特にファンの間で「神回」と呼ばれる第10話は涙腺崩壊必至です。40を過ぎてすれっからしになり、ちょっとやそっとの事では感動しなくなった私ですら、うるっときたくらいです。私に勧められて観た妹も、「10話はちょっとヤバかった」と言っていました。

 そんな第10話を観ても「泣かなかったよ」と言う姪。うん、5歳児にはまだちょっと難しいかな。もう少し大きくなったらまた観てごらん。

 …話が逸れましたw

 そんなわけで、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はTV放映から4年経った今でも、私の中ではトップに君臨する神アニメです。その主人公であるヴァイオレットが「推し」として真っ先に思い浮かんだのも、必然と言えましょう。

01

 人々の心に触れ、微笑み、涙しながら「手紙」でその人の「想い」を綴り、伝え、人々の心を救っていったヴァイオレット。辛い経験もたくさんしました。時には立ち直れないほどの衝撃を受け、潰れそうになったこともあります。でも彼女はまた立ち上がり、手紙を書き続ける。どんなに心が折れそうになっても、時に周りの人々の想いに救われながら、凛と背筋を伸ばし、その義手で、タイプを打つのです。

 そんな彼女を見ていると、生きる勇気がわいてきます。

 傷つき倒れても、人はまた立ち上がることができる。変わることができる。どんなに深い絶望の中にも、微かな光がある。

 そんなことを、彼女は教えてくれたように思うのです。

 過酷な境遇で育ったヴァイオレットが、成長し、変わってゆく。自動手記人形として「手紙」を綴ることで、依頼人の心をすくいあげ、救ってゆく。では彼女自身は? ヴァイオレット自身が救われる日は来るのか。

 その答は、彼女の生きる様を最後まで見届けた先にあります。

 未見の方はぜひ。超オススメです!!

レト「レトをわすれるなでち!!」

 はいはい、忘れてませんよw

 それではまた。

 ケーンでした。

 

2022年3月10日 (木)

ケーンの介護日記 その3~急ぐ息子、母の涙~

 3月3日、午後。

 昼、母の様子を見に行った妹からの電話で、玄関での事件を聞いた後でした。

 もう猶予はない。そう思いました。予定では週明けの3月7日に市役所に行くつもりで、その日の休暇も押さえていましたが、状況が変わった。

 母が、家を出て行こうとした。それは衝撃でした。

 母が認知症かも知れない。そのことは常々思っていました。

 でも、

「ここは自分の家じゃない」

 そんな妄想めいたことを口にしたことは今までなかったのです。物忘れが多くなったとか、ちょっとした記憶違いがあったりだとか、そんな程度でした。

 加えて、今の母は足が悪く、まして冬、雪道で道が悪い。とても外出できる状態ではなく、また本人も外出しようとはしませんでした。

 だから、ちょっと認知症が進んだとしても、いわゆる「徘徊」はない。今までもなかったし、これからも、当面の間はないだろう。そう考えていました。

 しかし、今回、母は家を出て行こうとした。たまたま妹がその場面に遭遇したからよかったものの、そうでなければ母は足が悪かろうと外出し、あるはずのない「本当の家」を求めて、雪道をさまようことになっていたかも知れないのです。セキセイインコのレトを連れて。

 徘徊の可能性が頭をよぎると、私はもういてもたってもいられませんでした。

 目を離した隙に家族がいなくなる不安と恐怖。母と、レトと。

 予定では3月7日に市役所で要介護認定の申請、しかし申請から認定までには1ヶ月近くかかると市のホームページには書いてあった。介護サービスが始まるのは、認定で要介護の度合いが決まった後になる。

 ならば病院は? 病院は、3月10日の予約になっている。そこで初めて、認知症かどうかの検査を受けるのだ。

 遅い。

 今日は木曜日。土、日は私が家にいるとしても、金曜日は仕事に来なければならず、日中はどうしても目を離すことになる。その1日の間に、また母が「ここは私の家じゃない」という妄想に捉われたら? 妹だってそうそう仕事を抜けられないだろう。よしんば抜けて様子を見に来ることができたとしても、母が家を出て行こうとするその瞬間をつかまえられるとは限らない。私も妹も知らない間に、母はいなくなってしまうかも知れないのだ。

 私は仕事を抜け、休憩室で市役所に電話をかけました。

 今、すぐ介護サービスには頼れない。ならば何かないか。介護保険とは別の、地域の高齢者を見守ることのできる制度やサービスが。例えば、保健師が家庭訪問をしてくれるとか。民生委員という存在もある。最後の手には警察だってある。しかしまずは市役所だ。そこで相談をして、最善の手を模索する。警察に行けと言われたら行く。そのつもりで、私は市役所に介護保険課の職員と話しました。

 昼間、母が妄想に捉われて家を出て行こうとしたこと、普段から認知症を疑わせる言動があったこと、足が悪く歩行に難があり、どこで転んで動けなくなるかわからないこと、近々要介護認定の申請に行くこと、病院に行く予定はあるがその日まで待っていられる状況ではないこと等々、事情を説明して尋ねました。今すぐに使えるサービスはないのか、と。

 職員の方はひととおり私の話を聞くと、「地域包括センター」の電話番号を教えてくれました。そこは、市の委託を受けて、地域の高齢者の生活を支えるための総合相談窓口となっている施設とのことでした。その気になれば、そこに要介護認定の申請を代行してもらうこともできるそうです。

 私は礼を言って電話を切ると、すぐさま地域包括センターに電話をかけました。応対に出た担当者に再び事情を説明。すると担当者は事態の緊急性を理解してくれたのか、

「少しだけお時間を下さい。すぐに検討しますので」

「お願いします!!」

 いったん電話を切って席に戻り、仕事を再開する。折り返しの電話があったのは、10分ほど経った頃でした。

「小規模多機能事業所しかないと思います」

「しょうきぽ…何ですって?」

 説明されましたが、正直、何の事業所なのか、その時の私にはよく理解できませんでした。理解できたのは、そこならば何らかの手を打ってくれるであろうということ。しかしそこは何だ? 施設? 施設の入所を勧められているのか?

「すぐに動ける事業所は〇〇です。そちらの〇〇という者と話してみて下さい。こちらからも話を通しておきますので」

「わ、わかりました」

 言われた電話番号をメモして、仕事に一区切りついたタイミングて休憩室へ。電話をかけると、教えられた名前の人物がすぐに電話に出ました。こちらの名前を告げると、すでに地域包括センターから連絡が言っていたらしく、ああ、とすぐに状況を理解してくれました。

「とにかく本人の病状と生活の状態を把握したいので、お宅に伺います。いつがよろしいですか?」

 今日は、妹が午後から仕事を休んで母についてくれている。私が帰宅するまで大丈夫だろう。

 一つの考えが私の頭をよぎりました。

「明日の午前中にお願いできますか?」

 私は予定を早めることにしました。

 明日、3月4日の金曜日。7日に押さえていた休暇をその日に変更する。午前中に小規模多機能事業所の担当者に訪問してもらい、母の状況を知ってもらって何らかの手を打ってもらう。そして同じ日の午後、市役所に行って要介護認定の申請をする。

「わかりました。それでは明日の10時頃に、〇〇という者が伺います」

「お願いします」

 会話を終えると、私は職場に戻り、上司に事情を説明し、許可を得て休暇を3月4日に変更しました。そしてその日は2時間、時間休を取り、3時15分、帰宅の途についたのです。

 

 

 幸い、私が帰宅するまで、母は特に問題を起こしてはいませんでした。リビングでTVを見ていた妹に礼を言います。

「なんもだよ」

 妹は笑顔で応じます。時刻は4時半を過ぎていましたが、妹は「まだ(娘を)迎えに行くには早いから」と、それから少しリビングにいました。その間にお互いに情報交換。明日、小規模事業所の担当者が訪問に来ると知ると、妹も同席すると言いました。

「午前中休んで話を聞いて、午後から仕事に行くわ」

「そんなに休んで大丈夫なのか?」

「なんもだよ。休み、いっぱい余ってるから」

 5時半頃、じゃあ明日ね、と言って妹は帰って行きました。前後して寝ていた母が起き出して来たので、

「ご飯にするかい?」

「うん」

 夕食はコンビニ弁当。母には最近、食欲があまりないので、少し小さめのお弁当。私にはポロネーゼ。それと、二人で食べるためのサラダ。二人分のコップに麦茶を入れて、食べ始めます。

「食べながらでいいから聞いて、母さん。大事な話」

「なに?」

「ほら、母さん、今日の昼、家を出て行こうとしたでしょ?」

「うん…」

「それでね、俺も〇〇(妹の名前)も、心配なんだ。だからね…」

 私は、市役所に電話をかけたこと、小規模多機能事業所という施設を紹介され、そこに相談をしたこと、明日、そこの担当者が訪問に来ることを話しました。そのうえで、一つ、念を押しておきます。

「俺は、母さんを施設に入れようとか、そういうことを考えてるんじゃないよ。母さんがこの家で生活していくうえで、不便が出ないように、少しだけ手助けをしてもらおうと思ってるの」

 母の箸は止まっていました。私は続けて、決定的な一言を投げます。これは、避けて通れない道でした。

「母さんは、認知症だと、俺は思う」

 母はしばしの沈黙の後、うつむきました。

「年を取ると、人間、色々あるんだ。だから、病院に行って診てもらうんだし、市役所に相談も行くし」

「うん…」

「だからって恥ずかしいことじゃないよ。困ったら誰だって助けてもらうんだ。母さんの番が来たってだけの話。そのための介護保険制度なんだよ? そのために税金払ってるんだし」

「おかしいの…」

「うん?」

 そう言って私を見る母の目には、いつしか涙が浮かんでいました。

「誰もいない、がらんとした家に、連れていかれたの。それで、今日からここで暮らすんだよ、って」

「連れていかれたって、誰に?」

「…わかんない」

「それって、どこの家? 前に住んでたところ?」

「違う。でも、兄ちゃんも住んでたことあるよ。北海商店のとなり」

「北海商店のとなり? 俺、そんなとこに住んだことないよ。知らないよ俺、その家」

「わかってる。だからおかしいの」

 それは過去の記憶か、妄想か。母の言っている家のことを、私は理解できませんでした。でも、母は一生懸命に何かを伝えようとしている。

 何かがおかしい。何かが違う。

 自分が普通の状態にないことを、おぼろげに理解しているのか。母はここで衝撃的な告白をしました。

「私、おかしくなって、自分が嫌になったの。だから、薬をいっぱい飲んで、死のうとしたの」

「…!!」

 私は驚愕しながら記憶を探りました。確か数日前の朝、私が仕事に行こうとリビングに降りた時、いつもなら起きているはずの母が起きられなかったことがありました。私は布団の中の母に声をかけて、

「母さん、仕事に行ってくるね」

「…うん。いってらっしゃい」

 あの日か。あの日の前夜、母は睡眠薬を大量に飲み、それで起きられなくなっていたのか。

 TVドラマで睡眠薬を大量に服用して自殺するシーンがよくありますが、それはドラマの中の話。現実はそんなに簡単ではありません。昨今、睡眠薬の安全性は急速に高まっており、ちょっとやそっとの量では人は死にません。薬の作用が強く出て、昏々と眠り続けるか、意識を失うだけ。もちろん致死量というものはありますが、医師が1回に処方する量を全部いっぺんに飲んだとしても、その量には至りません。

 これはたぶん間違いありません。何せ、睡眠薬、精神安定剤、全部ひっくるめて約70錠をビールと一緒に飲んで自殺を図り、失敗した私が言うのですから。もっともその時は通勤途中に突然意識を失い、倒れて救急搬送されたので、無事だったとは言えませんが、そう簡単に死ねないことは確かです。せいぜい、頭を打って数針縫った程度。

 母も、そのことは知っているはず。それでも、やらずにはいられない何かがあったのでしょう。

 自分が嫌になった。たぶん、自覚があるのでしょう。もう、自分が普通ではないことの。

 だからこその、涙。

 私は言いました。

「人間、辛いこともあれば、その分良いこともあるよ。俺は、母さんに元気で、生きててほしい。〇〇(妹の名前)も、〇〇(妹の娘の名前)だってそう思ってるよ」

 妹の娘、私にとっては姪に当たりますが、母にとっては初孫です。現在、保育園に通う5歳の元気な女の子。

「俺はさ、〇〇(妹の娘の名前)が大きくなってくのを見ていたい。母さんはそう思わない?」

「思うよ。だって孫だもの」

「じゃあ生きようよ。辛いことも良いことも、きっと代わる代わる来るんだから」

 この時、私の頭に浮かんでいたのは、アニメ『鬼滅の刃 遊郭編』に登場した鬼、妓夫太郎の台詞でした。

「辛いことも良いことも、代わる代わる来いよ!!」

 アニメのキャラクターの台詞がこれほど刺さったのは、いつぶりだったろう。だから、とっさに口をついて出た。

 母は頷きました。それからしばらく私と母は言葉を交わしましたが、行き着くのは謎の「北海商店のとなりの家」の話。なぜそんな記憶が母にあるのか、なぜその記憶がそんなにひっかかるのか、最後までわかりませんでしたが、話すだけ話して、泣くだけ泣いてすっきりしたのか、やがて母は「寝る」と言って自分の部屋に戻っていきました。

 私はセキセイインコのレトを放鳥し、少し遊んでいましたが、レトが満足してカゴに帰ると、照明を消してリビングを出、2階の自分の部屋に引き上げました。母の流した涙に、少し胸を締め付けられながら。

 その後、前回の記事に書いたとおり、母は深夜に目を覚まし、私の知らないうちに隣の家に回覧板を届けるために外に出たのでした。

 認知症がいかに油断ならない病気であるか、私は思い知ったでのでした。

~つづく~

2022030802

レト「おかあちゃん泣いてたでち?」

 

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2022年3月 6日 (日)

ケーンの介護日記 その2~急転直下~

 3月3日、木曜日。

 朝、5時頃に目を覚ました私は、1時間ほどゲームをして過ごした後、6時ちょっとすぎに1階の居間に降りていきました。

 平日です。仕事に行かなければならないので、朝食をとり、髭を剃ったり顔を洗ったりして、身支度を整えるためです。

 すると、居間の照明が点いていました。

 3月になったばかりの北海道。朝6時頃はまだうっすらと暗く、照明を点けないと周りが見えません。

 おや? と私は思いました。ここ最近は、毎日私が母より早起きで、私が照明を点けて朝食をとっていると、後から母が起きてくる…というのがパターンでした。

 でも、今朝は照明が点いている。珍しく母が早起きしたのかな?

 すると。

「…母さん?」

 母は起きていました。しかし、居間の床に転がって、起き上がろうと懸命にもがいていたのです。

「どうしたの、母さん!?」

「レトに餌をやって、そしたら転んじゃって…起きれないの」

 我が家のもう一羽の家族、セキセイインコのレトのカゴは、昨夜、寝る時にかけた毛布が取り払われていました。いつもは先に起きた私がレトを起こし、餌や水を替えてやるのですが、今朝は母がやってくれたようです。その後、体のバランスを崩して転んでしまった。幸いどこかにぶつかったということはないみたいですが、手足の筋肉が衰えて力が入らないのでしょう、なかなか起き上がれません。

 私は母の手を引っ張って上体を起こさせました。そのまま立たせようとしますが、立てない。無理に引っ張ると「痛い痛い」と言って手を放してしまいます。何度かそれを繰り返しましたが、結局、母は立てませんでした。

 そうしている間にも、時間は過ぎていく。仕事のために家を出なければならない時刻が迫ってきます。私は、とりあえず母を床に座らせたまま、急いで身支度をしました。朝食をとっている暇はありませんでした。

「母さん、大丈夫?」

「うん。大丈夫だから、行っていいよ」

 後ろ髪を引かれる思いで、私は家を出ました。

 

 

 一時間ほどかけて、隣の札幌市にある職場に到着。ほどなく始業のチャイムが鳴り、仕事が始まりました。

 仕事をしながら、何となく私は母のことが気になっていました。

 朝、母は布団から起きて、居間に出てきた。だから、時間はかかるかも知れないけれど、何とか立つことはできるはず。あのまま動けないでいる、なんてことはない。きっと。でも…。

 11時をまわった頃、私は休憩スペースに抜け出し、妹に電話をかけました。4つ離れた私の妹も働いていますが、職場は私の家と同じ市内で、比較的近いところにあります。妹は車通勤なので、その気になれば20~30分で私の家に行くことができる。私は、妹に昼休みに職場を抜け出して、母の様子を見に行ってくれないかと頼みました。というのも、妹に電話をする前、母に電話をかけたのですが、出なかったのです。居間の固定電話にかけても、携帯電話にかけても出ない。

 心配だったのです。妹は事情を聞くと、午後から休暇を取って母の様子を見に行ってくれると言いました。

「助かる。頼むよ」

 そう言って電話を切ると、私は仕事に戻りました。

 妹から電話がかかってきたのは、昼休み中のことでした。

「兄ちゃん? 今、家だけど、母ちゃん玄関にいて」

「え?」

「靴はいて、玄関に座ってるの。レトも。カゴが置いてあって、毛布をたくさんかけてある」

「…ええと、どういうこと?」

 妹が家について玄関のドアを開けると、母が靴をはいて、玄関に座っていたそうです。隣には、毛布を何重にもかけたレトのカゴが。

 どうしたのか問う妹に、母はこう答えたそうです。

「家に戻ろうと思ったの。ここは私の家じゃないから」

 レトも連れて帰ろうと思った。外は寒いから、カゴには毛布をかけた。でも靴ははけたけれど、うまく立てなくて、そしてどうしようかと困っているところに、ちょうど妹が到着した──ということのようでした。

「母ちゃん、ここ母ちゃんの家だよ。外に兄ちゃんの車もあるし」

「うん、不思議なの。家具も間取りも同じなの。でもここ、違うの」

 その後、妹が懸命に説得して、母は居間に戻りました。疲れた、と言って布団に入ったそうです。妹は、心配だからしばらく家にいてくれるとのこと。でも、夕方には娘を迎えに行かなければならない。妹には5歳の娘がいて、日中は保育園に預けているのです。

「わかった。俺も早めに帰るよ」

 私は上司に事情を話し、仕事を2時間早退させてもらうことにしました。

 夕方4時半頃、帰宅。母は布団に入っていましたが、眠ってはいませんでした。

「母さん、どうしたのさ? ここ、俺と母さんの家だよ。他に家なんかないよ」

「うん…そうなんだけど、でも、なんか違うの。おかしいの」

 とにかく寝ているように言うと、母は素直に頷きました。

 5時頃、妹は娘を迎えに帰って行きました。6時に母を起こして夕食。私は料理ができないので、コンビニ弁当です。

「母さん、どう? まだ、ここ自分の家じゃない気がする?」

「うん、なんか、ちょっと違和感がある」

「でも、ここ間違いなく母さんの家だから。外は雪道で危ないし、転んだら起きれないんだから、黙って出ていこうとしちゃダメだよ?」

「…わかった」

 夕食が終わると、レトの放鳥の時間です。レトは喜んでカゴから飛び出してお気に入りの台所にとまります。母は少しだけレトと遊んだ後、7時には「寝る」と言って睡眠剤を飲み、布団に入りました。

 私はホッと胸を撫で下ろしました。大事にならずによかった。知らない間に外に出て、転んで起き上がれなくなっていたら。母もですが、レトも雪の中で凍えていたことでしょう。

 8時になるとレトは自分でカゴに帰っていくので、毛布をかけて寝せます。私は母が眠っている様子をそっと確認すると、居間の照明を消し、2階の自室に上がりました。

 そうして、夜は更けてゆく。私は11時過ぎまでTVゲームをして過ごし、それから睡眠剤を飲みました。明日は金曜日。当然、仕事です。

 下の階から音がしたのは、その時でした。

 それは、玄関のドアが閉まる音。

「まさか…!!」

 昼間のことがあったので、私は慌てて部屋を出て、1階に降りていきました。

 玄関には誰もいない。母の靴もある。ただ、居間の照明が点いているのがドアの隙間から漏れる光でわかりました。ドアを開けると、母は居間にいて、椅子に腰掛けていました。

「…どうしたの、母さん!?」

「うん? ちょっと回覧板をまわしてきたの」

「隣に?」

「うん」

「今、真夜中だよ? もう12時になるじゃない。何で起きてるの? 黙って外に出ちゃダメって言ったよね?」

「だって、目が覚めちゃったし、気になってたから」

 夕方、私が帰ってきた時、回覧板が郵便受けに入っていました。それを取って居間に入ると、もう一つ回覧板がテーブルの上にあるのが見えました。

「ありゃ、回覧板二つになっちゃったな。早くまわしとかないと」

 そう言った私の声を、母は聞いて覚えていたのでした。

 私は自分の軽率な発言を後悔しました。それと、私が気づいたのは母が帰ってきた時のドアの音。出ていく時のドアの音には気づかなかったのです。きっとゲームに夢中になっていたのでしょう。

「外で、また転んじゃった」

 母はそう言って苦笑い。

 私は笑っていられません。よく自力で起き上がって、帰ってこられたものだ。たとえ起きられなくなっても、真夜中のこと、誰も通りかかる人はいません。私だってドアの音がしなかったら1階に降りることなく、そのまま寝ていたかも知れない。3月とはいえ、まだまだ冬の北海道。下手をすれば凍死、ということもあり得たのです。

 それを考えると、背筋が凍る思いでした。

 

 

 認知症。

 母がそうである可能性を、私はほぼ確信していました。

 ただ、母がたとえ認知症であっても、足が悪くうまく歩けない身では、徘徊はない。そう考えていました。これまで、母は転ぶことを怖がって外に出ようとしませんでした。冬、雪道になってからはなおさらです。当面、徘徊はないだろう。自分がどこにいるのかわからなくなったり、道に迷ったりするほどボケてもいないのだから。

 そう思っていたのですが、甘かったようです。

 母はその気になれば、転ぶ危険があっても外に出る。そして母は言ったのです。「ここは私の家じゃない」と。

 それは、母が黙って家からいなくなる危険性を示しているように私には思えました。

 予定では、週明けの3月7日に市役所に行き、要介護認定の申請をするつもりでした。そして、3月10日に病院を受診。検査の結果、認知症ということがはっきりすれば、然るべき診療科を受診することになる。それで大丈夫。そう思っていたのですか、そんなに時間の猶予はないかも知れない、と私は思いました。

 通常、要介護認定の申請から認定、サービス開始までには1ヶ月を要します。事態は、そんなに待っていられるほど悠長じゃない。そう考えた私は、予定を早めることにしたのです。

つづく

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レト「びっくりしたでち~」

 

2022年3月 4日 (金)

レト、性別を隠す

 どうも、ケーンです。

 先日の記事で、うちのセキセイインコ、レトがメスだと判明したと書きました。

 ところが、今日!!

 用事があってうちに来ていた妹が気づきました。

「あっ、白い!!」

20220304

 そうです。茶色かったはずの鼻がいつの間にか白く。

 オスは青色、メスは茶色。

 先日は確かに茶色かった。

20220221_20220304171801

 ↑2月22日の写真。

 ね? 茶色かったでしょう?

 これには私もびっくり。初めての経験です。

 写真ではわかりませんが、よーく見ると、鼻の両端がうっすらと青く見えます。でも、鼻の上の部分はうっすら茶色い。

 レト、キミはオスかメスか、いったいどっちなんだい??

レト「じぇんだーびょうどうのじだいでち!!」

 いや、そういう問題では…w

ケーンの介護日記 その1~息子、動く~

※ この記事には、その1の前に「序」があります。まずはそちらをお読みください。

 

 母がちょっと忘れっぽくなり、歩くのが困難になってしばらく。

 2022年が開け、母は75歳になり、私は「うつ病」から回復して、職場に復帰すべく「リハビリ勤務」が始まりました。

「母は認知症かも知れない」

 そう思いながら一緒の暮らしを続けていました。

 季節は冬。雪道になり、歩行困難な母はほとんど外出できません。通院の時はタクシーを使うか、土曜日なら私が車で連れて行っていました。だんだん家事もできなくなり、私は毎日近所のコンビニかスーパーに買い物に行くようになりました。

 朝、昼はパン+フルーツ。夕食はコンビニのお弁当。いちおう栄養バランスを気にして、夕食には必ず野菜サラダを買ってつけていました。

 掃除と洗濯は週に1~2回。それは母が何とかやっていました。

 認知症的な言動は時々あったものの、私や私の妹がサポートできる程度のものでした。それでも、妹も働いているし、私もリハビリ勤務が始まって職場に行って仕事をするようになり、平日の日中は母はどうしても家で一人になります。

 一人で大丈夫かな、と少し心配でした。それである日、私の主治医(精神科医)に母の状況を伝えて相談してみたところ、先生は言いました。

「お母さん、それもう要介護だよそれ」

 やっぱりそうか。

 症状がひどくなる前に市役所に相談して、要介護認定を受けたほうがいい。先生にそうアドバイスされて、3月になったら市役所に行こうと考えていました。

 リハビリ勤務は2月末まで。その間1日でも休んでしまうと、復職の可否を判断する健康審査会で不利に働いてしまい、予定どおり3月1日に復職できなくなる。だからリハビリ勤務が終わって、正式に復職が決まるまでは仕事を休むことはできませんでした。もちろんのこと、市役所は土日には開いていません。復職したら、なるべく早く休暇を取って市役所に行くつもりでした。

 それと、母の転院も考えていました。母は市立病院の精神科に通っていましたが、常々、処方される薬が多すぎるのではないかと思っていました。薬の説明の紙なんて、4枚にもなるんです。母はいつも薬の管理に苦労していて、飲んでいるうちに、どこまで飲んでどれがまだ飲んでいないのか、わからなくなることが時々でした。

「母さん、先生にちゃんと自分のこと話してるの?」

「ううん、あんまり。最近どう? って聞かれて、変わりないですって答えて。そしたら、じゃあいつもと同じように薬出しておくね、って」

 それじゃあ、医者も薬を見直したりしないでしょう。私は母に、2月の受診の時、先生あてのお手紙を持たせました。母の状態をペーパーにまとめ、薬を今の母の状態に合わせて見直してほしい、という内容です。

 それと、私の主治医に言われたことがあります。母が歩行困難なのは、年のせいだけではなく、「パーキンソン病」なのではないか、と。

 もし本当にパーキンソン病だとしたら、市立病院では治療はできません。幸い、近所に民間の大きな精神病院がありました。ホームページを見ると、診療科には神経内科もあって、そこでパーキンソン病の検査や治療もしているようでした。そこへの転院を考えており、ついては紹介状を書いてほしいと、母に持たせた手紙には書いておきました。

 市立病院の受診日。リハビリ勤務から帰ってきた私は、母から主治医に手紙を読んでもらったこと、転院について紹介状を書いてくれると言われたことを聞くと、さっそく翌日、転院先の病院に電話をかけました。事情を説明し、初診には予約が必要だと言われたので、予約。まず精神科を受診し、必要が認められれば神経内科にもかかる、という流れになりました。

 予約日は3月10日の木曜日。それと前後して、市役所にも行きたい。その時にはもう健康審査会で私の3月からの復職が決まっていたので、上司に事情を話し、休暇をもらいました。3月7日(月)に市役所に行って要介護認定の相談・申請、10日(木)に転院先の病院へ。そう予定を組みました。ちなみに市役所で要介護認定の申請をするには、かかりつけ医の意見書が必要ですが、10日に初診予定であることを話すと、それなら先に市役所に来てもらってかまわない、とのことでした。

 そうして日々は過ぎ、3月になって私は正式に職場に復帰しました。

 後は、予定どおり動くだけ。大丈夫、きっとうまくいく。

 そう思っていた矢先。

 事件が起きたのです。

 

 

つづく

20220303

レト「なにがあったのでち?」

2022年3月 2日 (水)

ケーンの介護日記 序

 それは、昨年11月のある日のことでした。

 深夜、そろそろ寝ようと寝ていた私の2階の部屋に、内線電話が。1階のリビングからです。

「何だろう?」

 受話器を取ると、母の声が。

『ごはんできたよ』

「…はい?」

 時刻は夜の11時をとうに過ぎています。夕食は6時頃に食べたし、夜食が要るとも言っていない。それ以前に、母は9時前に床についたはずでした。

 なのに、起きてる。しかも、ごはん??

「いや、いま何時だと思ってるの? ごはんなんて食べないよ」

『でも、だって作っちゃったもの』

 急いでリビングに降りてみると、消したはずの電灯がついて、テーブルに二人分の料理が並んでいる。母は茶碗にごはんをよそっているところでした。

「ちょ、何これ?」

「食べよう?」

 私は驚き、戸惑いながら、どうしてこんな時間にごはんを作ったのか母に聞きました。

「だって、目が覚めたら真っ暗で、もう夜だと思って」

「いや、夜だけどさ、晩ごはんなら食べたでしょ?」

「寝過ごしちゃったと思って、あわてて作ったの。遅くなってごめんね」

「と、時計!! 時計見て!! いま何時だと思ってるの!?」

「もうすぐ12時だねえ」

「でしょ? 母さん時間間違ってない!?」

「ああ、そうだねえ。母さん、晩ごはん作るの忘れたと思って、びっくりして…」

 どうやら母は、夜中に目を覚ました時、いまが夕食の時間で、寝過ごして夕食を作り忘れたと思ったようです。確かに母は、夕方昼寝をして、それから起きて夕食を作りましたが、そのことをすっかり忘れているようでした。

「でも作っちゃったから。もったいないから食べよう?」

 

 

 思えばこれが、母の変化のはじまりでした。

 最初はたまたま寝ぼけたのかな、と思っていましたが、これが一晩で終わらなかったのです。次の日も、そのまた次の日も、母は真夜中に起き出し、晩ごはん(だと本人は思っている)を作って、私を呼ぶのでした。

 どうも寝る前の薬(睡眠導入剤)を飲み忘れているらしい、と気づいたのは数日後のことでした。ちゃんと薬を飲んで寝ると、真夜中に目を覚ますこともなかったのです。それから私は、口が酸っぱくなるくらい「寝る前にはちゃんと薬を飲むんだよ」と母に言い聞かせるようになりました。時には、母が薬を飲むところを見届けてから自室に戻る日もありました。

 以来、私が口癖のように「寝る前に薬!!」と言うので、母が真夜中にごはんを作ることはありません。

 これで一件落着、と私は安心していたのですが…別の変化が、母に見られるようになったのです。

 

 

「また転んじゃった」

 母は買い物に出掛けて帰ってくると、時々そう言うようになりました。幸い骨折などはせず、打撲で済んでいたようですが。

 また、買い物にかかる時間がずいぶん長くかかるようにもなりました。出掛けると、なかなか帰ってこない。私は休職中で日中、家にいましたが、母の買い物に付き合うことはありませんでした。

「買い物行ってくるね」

「ああ。転ばないように気をつけて」

 そう言って見送るのですが、日が暮れてしばらくしても帰ってこないので、ある日、心配になって探しに行きました。母はどこの店に行くとは言いませんが、行くとしたら近所のセブンイレブンかマックスバリュだと当たりをつけて、道なりに探していきます。

 すると。

 道路を挟んで向こう側に、母らしき小さな人影が。駆け寄ると、やっぱり母でした。両手に買い物袋を持っています。

「にいちゃんか」

「母さん。なんか遅いから探しにきたんだよ。転んだりしなかった?」

「うん、今日は転ばなかったよ」

「そっか。よかった」

 ホッとして一緒に歩き出します。母は74歳。年を取ったので、歩みは私より遅い。私は歩を緩めて母と並んで歩こうとしますが、それにしても遅いと思いました。母さん、こんなに歩くの遅かったったけ? 疑問に思いながら、信号が青になったのを見て、横断歩道を渡っていきます。

 母もゆっくりついてきますが、やっぱり遅い。そのうち、青信号が点滅を始めました。私は母の背を押して急がせます。でもスピードは上がらない。とうとう渡りきらないうちに、信号が赤になってしまいました。幸い車は発車せず私たち親子が渡りきるのを待ってくれましたが、信号が青のうちに渡りきれなかったことなど初めてでした。

 数日後、今度は車で母と一緒にイオンへ。店内でも相変わらず母の歩みは遅く、しかも時々ふらつきます。目まいとかではなくて、体のバランスが崩れるというか、そんな感じ。右か左にひっぱられては、壁に手をついて体を支える、ということを繰り返していました。

 ああ、それで転ぶのか。

 私はようやく理解しました。何かにつまずいたりして偶発的に転ぶのではない。体のバランスが取れなくなっているんだ、と。

 さらに。

 ある日、近所でちょっとした騒ぎが起きました。玄関の呼び鈴がなって、私を呼ぶ男性の声がします。私が出ると、近所に住む年配の男性が言いました。

「あんたのお母さん、転んで起き上がれなくなってるよ」

 慌てて外に出ると、ご近所さんたちが母の体を起こそうとしているところでした。誰かが車椅子を持ってきて、なんとか母をそこに座らせます。そのまま、母は家の玄関まで運ばれてきました。

 私が手を貸して立たせ、母を家に入れます。私が頭を下げて謝り、お礼を言うと、ご近所さんたちは「無事でよかった」と去っていきました。母に話を聞くと、買い物帰りに歩いている途中、バランスを崩してうつ伏せに転び、それから起き上がろうと苦労していると、通りかかったご近所さんたちが集まってきたのだそうです。

「いつも、転んだら自分じゃなかなか起きれないんだ。誰かに助けてもらうことが多いんだよ」

 母はそう言って苦笑い。年を取って筋力が衰えて、それで起き上がれなくなったのか。本当にそれだけか。他にも原因があるのか。その時の私にはわかりませんでした。以来、買い物は母一人では行かせず、私が車で連れていくのが日常になりました。

 そして冬、雪が積もって道が悪くなったこともあり、母はほとんど外出できなくなりました。家の中では不自由なく歩ける…わけではありません。時々よろめきますし、派手に転びもします。あちこちぶつけて、母の腕や脚には青あざが絶えません。ただの打撲といっても年を取るとなかなか治らないようで、痛い痛いと言いながら湿布を貼っています。

 そうして、母は家にこもりがちになりました。もともと患っていた「うつ病」のせいもあるのか、だんだんと気力も衰え、寝ていることが多くなりました。買い物は私が一人で行くようになりました。

 

 

 年が明けて母は75歳になりました。

 後期高齢者の仲間入りです。でも、世界有数の長寿国となった今の日本でみれば、老人といってもまだ若いほうでしょう。

 そんな母が、変わっていく。

 これは、「高齢の親を持つ子」となった私ことケーンと母の日々を綴った記録です。

つづく

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レト「おかあちゃん心配でしゅ~」

 

  

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