フォト
2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

オススメ本

  • 田中芳樹: アルスラーン戦記
  • 小野不由美: 十二国記
  • 福井晴敏: 機動戦士ガンダムUC
  • 有川浩: 図書館戦争
  • 下口智裕・清水栄一: 鉄のラインバレル
  • 永野護: ファイブスター物語
  • 高田裕三: 3×3EYES
  • 水野良: ロードス島戦記
  • ツジトモ: GIANT KILLING
  • 田中芳樹: 銀河英雄伝説
  • 田中芳樹: 風よ、万里を翔けよ
  • 田中芳樹: 薬師寺涼子の怪奇事件簿
  • 川原礫: ソードアート・オンライン
  • 安彦良和: 機動戦士ガンダム THE ORIGIN

2022年5月22日 (日)

ケーンの映画感想文「シン・ウルトラマン」

 どうも、ケーンです。

 久しぶりに劇場で映画を観てきました。

 観たのはこちら。

Th

ン・ウルトラマン」

(主演:斎藤工 監督:樋口真嗣 総監修:庵野秀明)

 

 今年(2022年)の5月13日に公開したばかりの作品です。

 大ヒットした映画「シン・ゴジラ」を制作した庵野秀明×樋口真嗣のタッグ再びということで、注目していた方も多いでしょう。

 私の庵野作品との出会いはTVアニメ「ふしぎの海のナディア」で、続く「新世紀エヴァンゲリオン」で一気に庵野ワールドにハマりました。庵野秀明はもともとウルトラマンのファンで、エヴァの演出にもウルトラマンの影響が色濃く表れています。

 樋口真嗣は「シン・ゴジラ」の他には平成ガメラシリーズなどが有名な監督ですが、庵野秀明と親交が深く、「新世紀エヴァンゲリオン」の制作にも関わっています。エヴァの主人公・碇シンジの名前の由来となったことは有名な話です。彼もウルトラマンが好きで、「帰ってきたウルトラマン」に最も影響を受けた、と語っています。

 そんなウルトラマン好きが作った、初代ウルトラマンのリブート作品です。

 

 「禍威獣(カイジュウ)」と呼ばれる謎の巨大生物が次々と現れ、その存在が日常になった日本。通常兵器が通じない禍威獣に対応するため、政府はスペシャリストを集めて「禍威獣特設対策室専従班」=通称「禍特対(カトクタイ)」を設立。班長の田村君男、作戦立案担当官の神永新二ら禍特対のメンバーが日々任務にあたっていた。そんなある時、大気圏外から銀色の巨人が突如出現。巨人対策のため禍特対には新たに分析官の浅見弘子が配属され、神永とバディを組むことになる──。

(映画.com解説より)

 

 結論から言えば、「最高!!」でした。

 面白かった。「シン・ゴジラ」も面白かったけれど、個人的にはこっちのほうが好き。

 「シン・ゴジラ」はリアリティに徹底的にこだわり、「もし現代の日本に巨大不明生物が現れたら?」というシミュレーション的で硬派な作品でしたが、「シン・ウルトラマン」はそれに比べればフィクション性が高め。ただエンターテインメント性はこちらのほうが圧倒的に高い。

 ウルトラマン好きが作った、ウルトラマン愛に溢れた、ウルトラマン好きのための作品──では決してない。庵野作品らしく情報量は多いし、専門用語がばんばん飛び交いますが、それは「プロがプロの仕事をしている」と聞き流して、雰囲気だけ味わっていれば全然OK。ストーリーは十分に理解できます。子供が観ても、「怪獣すごい、宇宙人こわい、ウルトラマンかっこいい!!」と胸躍らせるんじゃないでしょうか。

 もちろん、大人の鑑賞にも十分耐えうる。ウルトラマンという超常的な力を巡る人間たちの思惑や宇宙人の陰謀、光の国の掟と自らの想いの狭間に立ったウルトラマンの覚悟など、ドラマパートも熱くて深い。

 これはもう、文句なく、

 オススメ度:★★★★★

です。

 ウルトラマンが好きな人はぜひ。ウルトラマンを知らない人にはなおのこと観てほしい。きっとウルトラマンが好きになります。

 最後に一つだけ、トリビアを。

 ウルトラマンの顔、初登場から少しずつ変わっていきます。

 最初は「異質な存在」として現れるウルトラマンの顔が、気づくと、みんなが知っている「ぼくらのウルトラマン」の顔になっている。

 初代ウルトラマンの顔は初期のAタイプと後期のBタイプがあって、そのことをオマージュしつつ演出に取り入れて、視聴者がウルトラマンに感情移入していくよう誘導しているのでしょう。うまいと思いましたね。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

 

 

 

 

 

2022年5月 8日 (日)

ケーンの映画感想文「そして父になる」

 どうも、ケーンです。

 GW中に配信でもう一本映画を観たので、早くも第二弾です。

 今回はこちら。

R

「そして父になる」(主演:福山雅治 監督:是枝裕和)

 2013年公開の邦画です。 

 6年間育てた息子は、他人の子でした──。

 学歴、仕事、家庭。自分の能力で全てを手にいれ、自分は人生の勝ち組だと信じて疑っていなかった良多。ある日病院からの連絡で、6年間育てた息子は病院内で取り違えられた他人の夫婦の子供だったことが判明する。血か、愛した時間か──突き付けられる究極の選択を迫られる二つの家族。今この時代に、愛、絆、家族とは何かを問う、感動のドラマ。

(GAGA Corporation サイトより)

 この映画は、存在は知っていて、DVDが発売された時に購入して、母の日にプレゼントした記憶があります。人間ドラマで、主演が演技力にも定評のある福山雅治なので、興味を持つかな、と。

 でもプレゼントした時、母は「ちょっと重いねえ」と言いました。子を取り違えられた家族の話。テーマとしては確かに重い。私自身も、どちらかと言えばエンターテインメント作品のほうが好きだったので、プレゼントしたきり、自分では観ませんでした。

 それから、およそ10年。

 今でもエンターテインメントは好きですが、たまには人間ドラマも観たい。そんな年齢になって、ようやく観ました。

 以下の文には重要なネタバレを含みますので、先にオススメ度を。

 ★★★★☆

 減点の星1は、視聴年齢を考えてのことです。これは子供や若者には向かない。大人のための作品。万人向けの映画ではないなと思い、星4としました。なので、作品の出来としてはほぼ星5に近い。

 私は独身で子供もいませんが、それでも心に刺さった。大作ではないです。号泣ものでもない。でも、

「あれは良いものだ」

と、マ・クベ大佐も言うでしょう。

 血の繋がりか、過ごした時間か。究極の選択の中で揺れ動く登場人物たちの姿を、福山雅治を始めとするキャスト陣は見事に演じています。

 ある人は、「結局は血だ」という。

 別の人は、「血なんか関係ないわ」という。

 どちらの言葉にも重みと説得力があって、観ているほうも、どちらが正しいのかわからなくなってきます。

 お話は、静かに進みます。登場人物が感情を爆発させるシーンはほとんどありません。

 その代わり、泣くときは押し殺すように泣く。声を殺して苦悩する。福山雅治が声を張り上げるのは最後の最後です。

 同じ日本人だからでしょうかね。それが余計に心に刺さる。欧米の人はわりと感情を大きく外に出しますけれど、日本人はそうしない。抑えて抑えて、それでも抑えきれずに零れ出してしまう。その表現がとてもリアルで、惹き込まれました。

 そして最後に、二組の夫婦が選んだ選択。

 ラストシーンは、もう一人の父親役であるリリー・フランキーの家に、二組の夫婦と二人の子供が仲良く入っていく場面で終わります。それまでのストーリーの流れを見ると、二組の夫婦が選択したのは「血」よりも「時間」だったと解釈するのがストレートな見方でしょう。

 でも、私は違う解釈をしました。

 たぶん二組の夫婦は、血も時間も、両方を取ったんだ、と。

 もちろん形としては、育てた子と暮らすことになるのでしょう。でも、二組の夫婦はその後も交流を続けることで、4人で2人の子供の両親になることを選んだんだろうと思えてならないのです。

 たぶんこういう解釈も成り立つように、是枝監督はあえて余韻を残すようなラストで幕を閉じたんだと思います。すごいと思いましたよ。

 そして見終わった後、無性に福山雅治の「家族になろうよ」を聴きたくなりました。

 あれはウェディングソングですが、タイトルがぴたりとこの作品にはまっているように感じたのです。

 間違いなく良作。

 大人ならぜひ、子を持つ親ならなおさら観るべき作品です。

 それではまた。

 ケーンでした。

2022年5月 5日 (木)

ケーンの映画感想文「亜人」

 どうも、ケーンです。

 私は読書も好きですが、映画も好きです。

 というわけで、最近観た映画の感想も綴りたいと思います。レビューなんて大したものではないので、やはり「感想文」でw

 今回はこちら。

Photo_20220505115901

「亜人」(主演:佐藤健 監督:本広克行)

 

 2017年公開の作品です。

 

 病気の妹を救うために研修医となった永井圭はある日、事故で死亡。しかし直後、生き返る。

 亜人(命を繰り返す=不死身の人類)と発覚し、崩れ去る圭の人生。国家に追われ続け、非人道的な実験のモルモットとなってしまう。

 そんな圭の前に突如、人類に牙をむく亜人最凶のテロリスト【佐藤】が現れる。自分の運命に葛藤する圭は、佐藤が描く亜人の未来に共感できないでいた。

 やがて始まる、佐藤による衝撃の国獲りゲーム。衡突する人類と亜人、そして亜人と亜人。【絶対に死なない男】と【絶対に死なない男】の終わることなき【エンドレス・リピート・バトル】が始まる。亜人たちは、永遠の命をどう生きるのか──?

(東宝オフィシャルサイトより)

 

 このGWに何か映画を観たいなと思っていましたが、劇場では惹かれる作品がなく、何かないかとAmazon Primeを覗いてみたところ、出てきたのがこの作品です。本当は「護られなかった者たちへ」を観ようと検索したのですが、こちらは追加料金がかかるみたいで、同じ佐藤健が主演しているこの作品を観てみたのでした。

 漫画が原作のようですが、寡聞にして私はその漫画を知りません。なので予備知識も何もない白紙の状態で観ました。

 面白かったです。さすがは「るろうに剣心」を作ったタッグ。

 アクションを撮るのが得意な本広監督と、身体能力の高い佐藤健。迫力のスピードバトルには惹き込まれました。

 またアクション一辺倒ではなくて、望まずして不死身となってしまった主人公たち「亜人」の悲哀や狂気なんかもちゃんと描かれている。

 ただし。

 ここがいつも私の悪いクセなんですが、見終わった後、「ああ面白かった」で済まないんですよね。残念な部分も見えちゃう。

 この映画の場合は、ストーリーです。

 望まずして得てしまった超能力。それを極秘に利用する国家権力。それに反逆する者たちの登場。主人公は人としての情を捨てきれず、自分を利用した国家に与して反逆者たちと戦う。

 これ、超能力ものの、よく言えば王道、悪く言えばパターンなんですよねえ。

 なので、何となく先の展開が読めてしまう。バトル見て「おおっ」とか思いつつも、ストーリーに驚きがなかったことが少し残念でした。

 そして最後に生き残り、どこへともなく去ってゆく主人公のラストシーン。

 

「マトリックスのネオじゃんw」

 

 楽しい時間を提供してはくれました。ただね、うーん、惜しい。

 というわけで、オススメ度。

 ★★★☆☆

 佐藤健が好きなら観る価値あり、ということで。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

 

2022年5月 3日 (火)

ケーンの家計簿

 どうも、ケーンです。

 つい最近まで、我が家の家計は同居している母がやりくりしていました。亡き父が生きていた頃からそうでした。男は仕事して稼いで、給料を家に入れる。そこから先は母の仕事。

 私も就職したての頃から給料の一部を母に渡して、あとは母に任せていました。最初のうちは給料が18万円程度だったので、家には10万円入れて、あとは自分が自由に使える分。父が亡くなって以降は、春から秋は10万円+家賃5万円、冬は暖房費がかさむので12万円+家賃5万円。あとは母が自分の年金と合わせて、家計をやりくりしていました。

 でも、母が認知症になって外を出歩けなくなり、食事や日用品の買出しを私がやるようになってから、ふと思いました。

 曲がりなりにも勤続20ウン年になる私。給料は母の年金よりも多い。実際、母は給料でも税金でも、私の扶養に入っている。

 

 これ、俺が家計やりくりすべきじゃね?

 

 そう思い出すと、色んなことが気になりました。食費と日用品は私が今買ってるけど、電気・ガス・水道といった公共料金は依然として母の口座から引き落とされている。これ、本来私が払うべきじゃないか? てか、そもそも住民票の世帯主が母になってるけど、今、主たる生計維持者は私なんだから、私が世帯主になるべきじゃないか?

 思い立ったら行動です。市役所で住民票の世帯主変更の手続をし、それから電力会社、ガス会社、水道局、NTT(うちには携帯の他に固定電話があるので)に電話して、名義をぜんぶ母から私に変更。同時に引落し口座も私の口座に変更しました。

 よしよし、これでOK。母ももう75歳だし、自分の年金は自分のために使ってもらおう。

 しかし、心配な点が。

 私、家計のやりくりなんてやったことありません。給料の一部を家に入れても割と不便ない程度の額が手元に残るので、自分のものを買う時も、あんまり値段が高い安いに頓着してきませんでした。海外へ旅行に行ったり、ギャンブルにつぎ込んだり、ブランドものの服を買ったりするわけではなかったのでね。私の高い買い物といえば、ブルーレイソフトやゲームソフトくらい。あとはたまに映画を観に行ったり、月に2、3冊本を買ったりする程度。それで十分満足でした。なんなら年々預貯金が増えていったくらいです。

 なので、これに食費・日用品・公共料金が加わったところで、大したことはないだろう。そう思いました。

 でも、やっぱり心配は心配です。あんまり値段に頓着しない=どんぶり勘定で生きてきた私が、家計を担うことになって、果たしてどうなるか? 収入に見合った生活を、今、果たして送れているのだろうか?

 そこで、今年の4月から家計簿をつけることにしました。ネットで検索すると、ちょうどExcel形式のよさげなやつがあったので、さっそくダウンロード。4月1日から、レシートや給与明細、通帳などを見ながら、1ヶ月の収支をつけていきました。

 そして、先日、4月が終了。すると、収支は…

 

 15万円の赤字。

 

 な、なんとぉーっ!!

 ま、待て待て。確か3月に新しくノートパソコン買ったじゃないか。あれの引き落としが今月あったぞ。値段が15万円くらいしたはず。

 しかし、それを差し引いても収支ゼロとは。いくら母を扶養してるといっても、勤続20ウン十年で、給料は30万円くらいはもらってる。それでかつかつの生活をしてるのか!? そんなに金遣い荒かったか俺!?

 内訳をみると、やっぱり一番の支出は先月買ったノートパソコンの代金15万円。続いて固定支出13万円。これは家賃とか公共料金、電話代とかだから仕方ない。次に食費が9万円。正直、これ高いのか安いのかわからないので、母に聞いてみました。

私「2人世帯で、食費9万って高い?」

母「ちょっと高いねえ」

 やっぱりそうなのか。そんなに毎回高級なもの買ってないはずなんだけどなあ。

 さらに、食費の内訳をみていくと、あることに気づきました。

 

 お菓子買いすぎ!! あとデザートも、アイスも!!

 

 お菓子は特にチョコ。コンビニで売ってる小袋のやつですが、ほとんど毎日買ってる。これ、夜にゲームしながら食べてる。デザートはプリンの類。うん、夕食後に食べてる。アイス、うん、寝る前に食べてる。

 弁当買う時は(あ、自慢じゃないけど私料理できません)、値札見るんですよ。1個ワンコイン(500円)以内のにしようって。でもそれ以外となると、「あ、これ美味しそう」と欲望のままぽんぽんカゴに入れちゃうんですね。4月の最初の頃は「節約、節約」と思って菓子やデザート類には手を出さなかったので、1回の買い物はだいたい2,000円ちょっとでした。それが最近は、3,000円を超えることもしばしば。

 3,000円×30日で90,000円。如実に数字に現れちゃってます。

 まあ母の年金は収入に入れてないので、もう少し余裕があるといえばあるんですが、

 

 親の年金をあてにするようでは世帯主の名がすたる!!

 

 というわけで、5月はもう少し控えようと思います。

 チョコを? 

 プリンを?

 アイスを?

 うーん。

 な、なるべく値段の安いのを…。

2022031602

「レトのごはんとデザートもわすれちゃダメでち!!」

 う、うん、ごめん。

 俺、がんばるよ…。

 

  

 

2022年4月24日 (日)

レトの得意技

 どうも、ケーンです。

 人間、誰でもひとつくらいは特技があるものです。

 動物もそう。

 インコの場合は、おしゃべりが代表的でしょうか。特にオスはおしゃべりが上手で、時に飼い主と会話が成立してしまうことも。

 我が家のセキセイインコ、レトはメスです。一時期オスなんだかメスなんだか不明な時期がありましたが、今、レトの鼻は立派に茶色。女の子確定です。

 メスの中にも、自分の名前やあいさつくらいはできるお利口な子はいます。でもレトはもっぱら「鳥語」。いや群れの中で育ったわけではないので、鳥の言葉かどうかすらあやしい。「レト語」といったほうが正しいかもしれません。

 とにかく、日本語は話せない。いつも独自の言語と行動とで意思疎通を図ってきます。

 え? フツウじゃないかって?

 まあ慌てないでください。そんなレトにも、特技があるんです。

 まず、カゴの上のほうに飛びつきます。

2022022501

 こんな感じ。ここから…

 うまく動画上がってますかね?

 こんなふうに、クチバシを支点に回転するんです。

 家族はこれを「くるりん」と呼んでいます。私は個人的に「シングルオイラー」と。

 なかなかではないですか? 羽生結弦くんも顔色なし。

 これ、レトの「出して出して」アピールなんです。

 最初は、カゴの上のほうに飛びつくだけでした。でもそのうち、出たい気持ちが高まって、ついに回転技に昇華。多いときは4連続回転くらいします。さすがに首は360度以上回らないので、トリプルアクセルは無理ですがw

 ただね、レトは恥ずかしいのか勿体ぶっているのか、カメラを向けるとやめちゃうんです。なので動画に収めるのに時間がかかりました。けっこう前からやってるんですけど、公開まで時間がかかったのはそういうわけです。

 ちなみにこれをやってもカゴを開けないと、怒ります。

「安くないんだからねっ!!」

というわけでしょうかw

 ほんと、インコはいつも人間の予想を超えてくるので、飽きないですね。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

↓ポチッと↓

にほんブログ村 鳥ブログ セキセイインコへ
にほんブログ村

 

2022年4月23日 (土)

ケーンの読書感想文「白銀騎士団」

 どうも、ケーンです。

 読書感想文、今回はこちら。

Photo_20220423135701

 光文社「白銀騎士団」(著者:田中芳樹)

 

 帝国主義に覆われ、軍靴の響きが近づく1905年のロンドン。霧の垂れこめた街には夜ごと怪物が跋扈していた…。けれど、この街には暗鬱な空気に立ち向かう「白銀騎士団」がいる。腕利きの従者の中国人・李、インド人・ゴーシュ、負けん気の強いメイドのアイルランド人・アニー、そして若き准男爵にして団長のサー・ジョセフ。個性豊かな面々がロンドンの平和を守り、貧乏貴族から脱するため、はびこる悪と今日も戦う!(帯より)

 

 「銀河英雄伝説」や「アルスラーン戦記」有名な田中芳樹の新作です。まあ厳密には、2005年に発表した短編に書き下ろしを加えて一冊の本にしたもので、ストーリーとしては短編一本、中編一本というところです。

 ジャンルは冒険小説。

 田中芳樹は色んなジャンルの小説を書きます。SFからファンタジー、歴史もの、冒険もの、アクションなどなど。書いていないのは、ミステリーと恋愛ものくらいでしょうか。得意なのは歴史ものですね。歴史小説も書きますが、「銀河英雄伝説」だってSF世界を舞台にした歴史ものですし、「アルスラーン戦記」も一見ファンタジーですが実は架空歴史小説。「創竜伝」は超能力アクションと思わせておいて、実は中国の歴史・伝説が深く関わってくる。

 冒険小説といえば、デビュー作が冒険小説でしたが、これは記録的に売れなかったといいますw 私には面白かったですけどね。

 最近だと、「ビクトリア朝怪奇冒険譚三部作」があります。これも19世紀の英国を舞台にした冒険もので、面白かったです。

 田中芳樹の小説は、歴史ものが好きなこともあって、背景世界がしっかりしてるんですよね。そしてその中で、登場人物が生き生きと動く。キャラクター造形もうまいんですよ。真面目で正義感の強いヒーローとか、美人でおしとやかなヒロインとか、そういうステレオタイプなキャラクターはあんまり出てきません(アルスラーンとアンネローゼくらいかな?)。脇役にも何かしらの個性がある。たとえ敵であってもね。

 この小説の主人公もそう。騎士団長で准男爵という肩書だけ聞くと、堅くて真面目な人物の印象がありますが、サー・ジョセフはぜんぜん違います。本人は自分は英国紳士だと言いますが、ぜんぜんらしくない。まず、貴族なのに従者に頭が上がらない。もっと言えばメイドの少女(もちろん年下)にだって尻に敷かれています。お金にだらしないからいいオトナなのにお小遣い制だし(財布は従者が握っています)、女性に弱くてちょっと美人を見ると口説こうとする。

 でも、それを補って余りある美点があります。それは「物事を正しく見られること」(ただし女性を除く)。

 サー・ジョセフは英国貴族で母国に忠誠を誓っていますが、同時に母国がどんなに悪いことをしてきたか理解しています。英国はインドや南アフリカを植民地にしたし、中国にアヘンを密輸して巨額の利益を得、中国がこれに反発すると戦争をしかけました(アヘン戦争)。人種差別も平気でしていました(これは英国に限りませんが)。東洋人やアフリカ人は西洋人より下だと見下し、差別したり、奴隷にしたり、売ったり買ったり。それらを理解しながらも、母国に対する忠誠心は捨てられないでいる。心中複雑でしょうが、本人はいたってあっけらかんとしていて、従者の中国人・インド人コンビをぞんざいに扱ったりはしていません。こづかいが少ないと文句を言いながらも、「従者のくせに主人の言うことが聞けんのか」と頭ごなしに怒鳴って命令したりはしないのです。

 劇中で、サー・ジョセフは敵にこんな罵詈雑言を浴びせられています。

「何をえらそうに。イングランド人のくせして。全世界の嫌われ者! 阿片の密売人! 遺跡荒らしの墓泥棒! 味覚オンチ!」

 サー・ジョセフは何も言い返せませんでした。アヘン戦争は言うに及ばず、英国は世界各地の遺跡や墓(ピラミッドとかね)を荒らして宝物を持ち帰ったし(それらは今も大英博物館にあります)、英国の料理が、例えば当時のインドや中国に比べれば格段に不味かったのは事実でしたからね。

 そんな彼でも、やる時はやります。でもやっぱり、事件が終わると従者にたしなめられたり、メイドに叱られたりするわけですよ。

 このへんのさじ加減がうまいんですね。決してかっこよくはないんだけど、でもちゃんと主人公として立っている。ここはさすが田中芳樹だなあ、と思いました。

 では文句なしの★5なのかというと、残念ながらそうではありませんでした。

 新作発売の予告があった時は、すごく期待したんですよ。長年の田中芳樹ファンですから。

 舞台が1905年。20世紀初頭ですから、田中芳樹のこと、当然、歴史的要素も詰め込んだ冒険小説になる。予告を見る限り、キャラもみんなひとクセあって面白そうだ。彼らがどんな大冒険を繰り広げるんだろう? 田中芳樹お得意の毒舌漫才もあるのかな?

 長年続いてきたシリーズ(「アルスラーン戦記」や「創竜伝」)を完結させてしまった田中芳樹の、新たな代表作となるか?

 そしてもちろん、書店に入荷されてすぐにゲット。帰りのJRですぐに読み始めました。

 で、感想。

 うん、田中芳樹作品だったね。

 面白かったです。でも。

 田中芳樹らしいキャラクターが、田中芳樹らしい冒険をして、田中芳樹らしい敵と戦って退治した。

 そう思っちゃったわけです。予想を超えてはこなかったんですよ。

 まあ私は田中芳樹のキャラも台詞回しも好きですし、ストーリーテリングも好きです。最近巷に溢れてる、やたらタイトルの長いライトノベル(中には面白いものもありますよ、もちろん)に比べても遜色ない。

 まだ田中芳樹作品に触れたことのない方には、ぜひオススメしたい。

 田中芳樹が好きな人も楽しめるでしょう。ですが往年のファンが「唸る」かというと、そこまでではないように思うのです。

 今はまだ、ね。

 物語はさらに広がるかのような伏線を残しています。今回は舞台がロンドンのシティ・アドベンチャーでしたが、これがシリーズ化されて、やがては世界規模の大冒険へと進んでいくのか。そうなると「化ける」かも知れませんね。

 ってことで、今回は、

 オススメ度 ★★★★☆

としておきます。

 一読の価値あり。でも往年のファン目線からすると今後に期待!! ということで。

 それではまた。

 ケーンでした。

 

↓ポチッと↓

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2022年4月17日 (日)

このどうしようもなく醜く愛しい世界で その2

 どうも、ケーンです。

 もともと、この記事に「その2」を書くつもりはありませんでした。政治とか経済なんかとは無縁の、エンタメなブログを書きたいのです。

 でも。

 この件に関しては、どうしても言いたいことがある。

 なので、筆を取りました。

 なおこれはあくまで私個人の考えであり、特定の思想・団体を誹謗中傷、あるいは逆に支持擁護する目的のものではありませんので、あらかじめご承知おきください。

 

 

 昨日のことです。

 財布の中の現金が心許なくなったので、古くからの現金主義(よっぽど大きな買い物でなければカードは使いません)である私は、近所のATMへと向かいました。

「おっ、今日は空いてる。ラッキー♪」

 いつもは大抵2、3人は並んでいるのですが、今日は空いているどころか誰もいない。

 給料日まで保つ分として3万円程度引き出して、ついでに通帳の記帳もしてしまおう。

 そう考えながらATMの前に立った私を待っていたのは。

 

「故障中」

 

というでかい貼り紙でした。

 

 …。

 ……。

 ………。

 

 

 スミマセン、ウソです。

 いやウソではないんですが、こんなことを書きたかったわけではないんです。ああっ、見るのをやめないで!!

 ごめんなさい、もうふざけません。真面目にやります。

 

 

 えー、コホン。

 では気を取り直して。

 昨日のことです。

 朝、新聞を見ると、一面にこんな記事が書かれていました。

「旭川いじめ7人関与 第三者委 8月末にも最終報告」

 みなさんの中にも、記憶にある方がいるのではないでしょうか。

 昨年3月、北海道旭川市の公園で、当時14歳の中学2年生だった一人の少女が凍死した状態で発見されました。

 その後の調査で、少女は同じ学校の複数の生徒から「いじめ」を受けていたことが判明しました。詳しいいじめの内容はあんまりひどいのでここには載せません。ニュースサイトなどをご覧ください。

 当時、少女は何度も母親に「死にたい」と漏らし、果ては近くの川に入って自殺を図っています。母親はいじめを疑い、何度も学校に相談したが、いじめの存在は否定され続けたといいます。川での事件をきっかけにやっと学校は重い腰を上げて生徒への聞き取り調査を行いましたが、少女本人からは何も聞かないまま、母親に、

「いたずらが過ぎただけ。悪意はなかった」

 そして、

「加害者にも未来がある」

 そう言ったといいます。

 学校の言い分を、市の教育委員会は鵜吞みにしました。上位機関である北海道教育委員会から「いじめの疑いがある。再調査しなさい」と言われても、それをしないまま、「いじめの認知に至らなかった」と報告したそうです。

 少女が命を絶って初めて、市の教育委員会は第三者委員会を設置し、調査を開始。その第三者委員会が一昨日、7人が少女へのいじめに関与したとする中間報告を発表しました。

 これが記事の概要です。

 ひどい話ですね。加害者はいじめをし、学校はこれを否定し、市の教育委員会はこれをもみ消そうとした。到底許せる話ではありません。

 これでようやくいじめの存在が認定されたことになります。ようやく遺族の訴えが認められたということで、良いことではあります。

 でも。

 果たして、いじめに「認定」なるものが必要なのでしょうか?

 そもそも、いじめだと認定するための「基準」って何でしょう?

 暴力をふるったらいじめ? なら手を上げなければいじめじゃないの?

 暴言を吐いたりからかったりするのがいじめ? じゃあみんなで無視するのはいじめじゃないの?

 明確に「これが基準です」と言えるお役人とか学者さんとかがいたら会ってみたい。

「いじめる:弱いものを苦しめたり、乱暴したりすること」

 国語辞典にはこう書いてあります。

 じゃあ、明らかに体格・筋力で勝る屈強な男子生徒一人を、女子生徒全員でシカトした場合は?

 いじめの形は千差万別です。もう、ジャイアンがのび太をいじめてるのを見て「あれがいじめだ」と言える時代ではないんです。いや、あれだって複雑です。のび太はジャイアンを友達だと思っています。ジャイアンはのび太を「心の友よ」と呼びます。「ドラえも~ん、ジャイアンがいじめるよ~」と泣いていたのび太は、翌日はケロッとしてジャイアンやスネ夫とつるんでいたりします。そうなると、はて、本当にジャイアンはのび太をいじめていたのか? ということになる。

 第三者からみて、「それはいじめです」と明確に言うことなどできないんです。基準なんて作れるわけがない。

 世の中の人が全員一致で「うん、あれはいじめだね」と認めたらいじめになりますか?

 それとも民主国家らしく多数決で決めますか? 国民の過半数が認めたらいじめになる、というように?

 ばかばかしいですよね。

 この世でいじめを認定できる人がいるとしたら、それはたった一人です。

 神様じゃありませんよ?

 それは「被害者」です。

 どんなに些細なことでも、被害者が「いじめられた」と感じたら、それはもう、誰が何と言おうといじめなんです。

 まあ世の中には「被害妄想」というものもありますが、それはこの際ちょっと置いておきましょう。話が長くややこしくなりますから。被害者の心が病気ではないことを前提でお話しします。

 あ、ナイーブなのは性格ですからね、病気じゃありません。「あの子ナイーブだから、ちょっとのことでいじめられたと思うのよね。あんなのいじめじゃないわよ」なんて論法は通じませんよ。

 話を戻します。

 告白しますと、私にもいじめられた経験があります。

 私は小さいころから爪を噛んだり、首を捻ったり、顔の筋肉をひきつらせたりする「クセ」がありました。ビートたけしさんを想像するとわかりやすいかな? あんな感じです。そのために、小学校からよく同級生にからかわれていましたが、高校に進学するとそれがいじめに変わりました。

 面と向かって暴言を吐かれたり、暴力を振るわれたり、ということはありませんでした。やられたのは、無視、陰口、嘲笑。

 最初はクラスの何人かでしたが、高2に上がる頃にはクラス全員敵でした。

 ああ、陰口って本人にわからないように言うから陰口なんですけど、日本語って難しいですね。なんで陰口たたかれてるのがわかるかっていうと、厳密には陰口じゃないからです。ぼそっと、本人に聞こえるように悪口を言うんです。

 はっきり言って、程度としては大したものじゃありません。凍死した少女がやられていたことに比べれば些末なものです。

 でも、当時の私にはかなりきつかった。だって、学校って基本的に自分のクラスに行くじゃないですか。そこにいるのが全員敵なんですよ? 全員から無視されて、あるいは小声で悪口言われて、こっそり壁に悪口書かれて。ちょっとおかしなことをすると嘲笑です。ええ、たとえそれが、ちょっとお腹が痛くなって授業中にトイレに行くってだけでもね。

 よく小学生が大きい方をしにトイレに行くとみんなにからかわれるから、大きい方は我慢する、って言うじゃないですか。あれを私高校生でやってたんですよ。どうしても我慢できなくなると、「具合が悪いので保健室に行きます」と言って教室を出て、トイレに駆け込む。でもね、そんな口実、クラスのみんなにはお見通しです。みんなだってトイレに行くくせに、私が行くと嘲笑されるんです。

 でもまあ、いちばん辛かったのはやっぱりシカトでしょうかね。別に無理にクラスのみんなと友達になろうとは思っていませんでしたけど、わざと無視されていると思うとやっぱり辛い。これはもう、感情の部分なのでどうしようもなかったですね。

 それでもまだ私は幸運なほうです。別のクラスに数名友達がいましたから。休み時間はそっちのクラスに行きましたし、あと、少人数でしたが部活もやっていました。卓球部。そこではいじめられなかったのでありがたかったですね。

 担任の先生には、いじめのことは言いませんでした。先生が気づいていたのかどうかはわかりません。どちらかといえば体育会系の先生でしたから、知っていたらはっきりクラスの全員を叱っていたでしょう。なので、本当に気づいていなかったのかもしれませんね。

 なぜ言わなかったのか? 言ったところで、今さらクラスの連中と仲良くできるとは思えなかったからです。先生が言ったところで反省する連中じゃないと思っていましたし、仮に反省して謝ってきても、こっちは許すつもりはありませんでしたから。ちなみに親にも一切言いませんでした。親に言っても、結局先生に話が行くだけで、同じことですからね。

 なので、友達と一緒に勉強をがんばりました。がんばって成績を上げて、クラスの連中の学力では到底届かない大学に行ってやろうと思ったわけです。これも一種の「逃避」です。いじめから逃げたかった。クラスの連中ともう二度と会わないようにするにはどうすればいいか。誰も入学できないような大学に入ればいい。そのために勉強したわけです。

 結果、地元の国立大学(まあ北海道の国立大学っていったらもう一つしかないですが)に学年で唯一、現役合格することができました(スミマセン、これ自慢です)。

 大学でまたいじめられるか不安ではなかったのか? 不安はありませんでしたね。大学に入ればじき20歳になる。もうオトナです。いいオトナが集団でいじめなんて幼稚な真似をするとは思っていませんでした、当時は。まあまだ世間知らずでしたから。大人の社会でもいじめがあるんだってことは、就職してから知りました(別に私がいじめられたわけじゃないですけどね)。

 ちなみに。

 合格発表から卒業までの間に一つ、エピソードがあります。

 ある日、下校しようと靴を履いていると、声をかけてくる女生徒がいました。二人連れです。名前は覚えていませんが、同じクラスだということはわかりました。

 何かと思っていると、片方の女生徒が一言、

「ケーン君、合格おめでとう」

と。

 あれ、何だったんでしょうね? 当時はクラスの全員が敵でしたから、敵からお祝いの言葉をかけられても戸惑うだけで、私はうんもありがとうも言わず、黙って二人が逃げるみたいに去っていくのを見送るしかありませんでしたが。

 30年経った今、思い返してみると、もしかして、あれは、ひょっとしたら…。

 なーんて。

 まあそんなわけで、私はいじめから脱出することに成功したわけですが、凍死した少女は私なんかよりもっともっと辛い思いをしたのでしょう。そして、それを打ち明ける相手も、そこから脱出する手段も見出すことができなかったのでしょうね。そもそも母親に「死にたい」なんて、よっぽどのことがないと言えることじゃないです。自分を産んで育ててくれた存在ですよ? それを「死にたい」なんて、恩を仇で返すようなものです。でも、自分の危機を打ち明けられる相手が、きっとその母親しかいなかったのでしょう。

 そんなにまで追い詰められたことが「いじめ」だったかどうかなんて、他人が決めていいことではありません。決めていいのはたった一人、少女本人だけです。

 誰の「認定」も要らない。本人がそう感じたならそれは「いじめ」です。

 そのことを、世間はきっと本能的には理解しているはず。厄介なのは人間が作ってしまった「社会」というシステムです。社会は法の許可なしに加害者を罰することを禁じている。罰するためには法的な「根拠」が要る。つまり法律が「この少女はいじめられたこと原因で自ら命を絶った」と認めない限り、加害者は法的に罰されないどころか、「推定無罪の原則」によって法律に守られてしまうのです。

 ね? 厄介でしょう? 社会というシステムに組み込まれてしまった人間の悲しさというか、愚かさというか。

 だから、今でも「少女の死といじめの因果関係」なんてものを調査しているのです。

 いじめは認定する、しかし、それが少女の死の原因かどうかはまだ認定できない、というわけです。

 そんなもの、遺体をいくら調べたって出てくるはずがありません。法律上、少女の死は「凍死」であり「自殺」です。資格を持った医師が死体検案書にそう記述した以上、これは覆りません。遺書があっても決定的な証拠にはなりません。遺書が具体的に加害者の名前を挙げていても、当人たちが否定すればそれまでです。加害生徒たちが凶器を向けて少女を身動きできなくして、そのまま凍死させた、といった内容の動画でも出てくれば話は別ですが、今はディープフェイクもありますからね。加害者側はCG合成だと主張するでしょう。

 私は「推定無罪」を否定したいわけではありません。法律も必要なものだと思っています。ただ人間という不完全な動物が作ったシステムである以上、完璧なものではあり得ない。利点もあれば欠点もある。今回はその欠点の部分が如実に出ているな、という印象です。

 少女の母親は代理人を通じて、こうコメントしています。

「いじめは人の命を奪う恐ろしい行為だと加害生徒に自覚してほしい」

 優しいですね。きっと亡くなった少女も優しい娘だったのでしょう。だから本人の心情を気遣って、こんなコメントが出る。

 本音はね、加害生徒が憎くて憎くてたまらないはずですよ。自分の子供を理不尽に殺されて、怒らない親なんていません。きっとその怒り、憎しみは一生消えない。口で許すと言っても、心情では絶対に許さない。たとえ加害生徒が泣いて詫びてもダメです。死んで償ったって無理。そんなことをされても何にもならない。親が望むのはたった一つ。

「子供を返してほしい」

 それだけなんですから。

 さて、私はずっと「加害者」とか「加害生徒」とか言っていますが、それは新聞に実名が出ていないからです。それは彼ら・彼女らが未成年であることに加えて、まだ「容疑者」ではないからでしょう。

 一方、被害者となった少女は実名を明かされました。そして、いじめを受けていた間、どんな恥ずかしいことをさせられていたのかも、すべて晒されました。

 不公平だな、と思います。いじめが法的に認定されたのなら、加害者は実名を明かされてもいいのではないでしょうか? 未成年だから? なら18になって成人を迎えたら実名になりますか? 怪しいものですね。

「加害者にも未来がある」

 前述したとおり、学校はそう言いました。

 私はそんなものを認めたくありません。

 加害生徒たちは少女の未来を、それこそ何十年分もの未来を奪ったんです。奪っておいて返さない。返せない。未来だけじゃない、現在もです。いじめを受けていた間、少女は辛いだけの毎日だったはずです。本当は楽しく過ごせるはずの時間を、加害生徒たちは奪った。

 そんな連中の未来を考えろと、どの口が言うのでしょう? よりにもよって学校が、少女の親に対して?

 人一人の現在と未来を奪った罪は、一生をかけて償うんです。今すぐ処刑されないだけありがたいと思うべきです。

「目には目を」

 大昔の人間はそんな法律の下で生きていました。加害生徒は現代の日本に生まれて幸運でしたね。

 学校はどう償うつもりなのでしょう。

「いじめ防止に全力で取り組む」(校長談話)

 そんなものこれからの話です。少女の死に対する責任については一切触れられていません。

 個人的に無理やり法律にあてはめるなら、学校は「犯人隠避」の罪です。いじめの存在を否定し、もみ消そうとした。つまり加害生徒を庇ったことになります。殺人犯を庇ったら罪に問われます。それと同じ。

 とにかく、罪を犯した人たちが正しく罰せられる毅然とした社会であってほしいですね。

 亡くなった少女(個人的な感情から最後まで実名は伏せます。ご容赦を)に対しては、心からご冥福をお祈りします。

 願わくば、いじめとは無縁の世界に生まれ変わることができますように。

 それでは今回はここまで。

 みなさん、なるべく善く生きようね!!

B3b849f3ca95566f112cd8d7d20b9578

 PIECE…!!

 

 

 

 

職場が変わりました!! CWです!!

 どうも、ケーンです。

 春は人事異動の季節です。

 私は今の職場に配属されて4年。途中、うつ病による休職期間があるので実働年数は2年といったところですが、だからこそ、今の仕事には向いていない、ぜひ自分の能力を活かせる職場へ異動させてほしい、と希望を出していました。

 復職したのが今年の3月1日。それから1ヶ月と半分、今の職場で仕事を続けていましたが、正直なところ、「異動させてほしい」と訴えた頃に比べると、今の仕事もそれほどしんどくないな、と思い始めていました。

 そう感じるのは、やっぱりうつ病から回復したからでしょう。

「あれ、改めてやってみるとこの仕事面白いかも」

とさえ思える瞬間もあったのです。

 なので、4月5日の内示の日、自分の名前がなくても、そんなに気になりませんでした。あと1年ここにいても、まあいいか、と。

 唯一気になったのは、上司(課長)の態度です。

 課長は私の希望と産業医の意見(異動させてやったほうがいい、と言ってくれていたようです)を理解してくれて、直接人事課に掛け合ったりと、いろいろと動いてくれていたようです。

 そんな課長から、一言もない。

「希望に添えなかった、ごめんね」

くらい言いそうな人なのに。

 別に謝罪がほしかったわけではありません。ただ、いつもはそうやって積極的に職員とコミュニケーションを取っている課長が、何も言ってこないのはちょっと不思議でした。

 その理由は、次の日に明らかになりました。

 4月6日の午後、私は課長にそっと言われました。

「3時になったら、部長のところに行きなさい」

 あ、そうか。

 一般に内示は、「局」という組織単位で行われます。その下に、部、課、係という単位があって、内示でどこの局に行くのかはわかっても、何課の何係に配属されるかは、後日にならないとわからないのです。

 そして、異動の中には「局内異動」というものがあります。局は変わらないけれど、課が変わる、あるいは係が変わる。その場合は、内示に名前は載りません。時機をみて、本人に直接口頭で異動が伝えられるのです。

 私はそれか。

 そう思って指示通りの時刻に部長席に行くと、案の定、局内異動を告げられました。

 移動先は、希望していた福祉職場。

 嬉しかったですが、同時にちょっと残念でもありました。やっと病気から回復して、今の仕事に面白みを感じていたところだったので。

 でも、希望していた職場に行けるんです。課長の努力もあったことですし、ここは素直に喜んで受け入れるべきだと思いました。

 職場に戻って課長に報告とお礼を言うと、

「希望に沿えてよかったよ。がんばってね」

と笑顔で肩を叩かれました。

 

 

 そうして、4月15日。

 私は新しい職場に配属となったのです。

 一口に福祉と言っても色々ありますよね。高齢者福祉、障害者福祉、国民健康保険や介護保険も分類は福祉ですし、子育て支援もそうです。

 私の仕事は、そのどれとも違うと言えるし、どれにも当てはまるとも言えます。

 ケースワーカー。

 福祉を少しかじった人ならば、この単語でピンと来るかも知れませんね。

 逆に今年新しく社会人になったばかり、とか、今就活中、という人には聞き慣れない単語だと思います。福祉に関する横文字の職業と言えば、ホームヘルパーとかケアマネージャーとか、ソーシャルワーカーなんかが有名ですが、ケースワーカーって? という人も多いかも知れませんね。

 私も就職するまでその言葉は知りませんでした。ちなみにケアマネジャーは私が就職した頃にはまだ存在しない職業でしたねえ(遠い目)。

 と、とにかく(笑)、ケースワーカーとは何ぞやというと。

 簡単に言うと、

「生活保護を受給している人たちのお世話をする人」

です。

 憲法で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」。これを実現するために存在するのが生活保護制度です。

 高齢で働けなくて、でも年金だけではとても生活できない、という人。

 障害を負って働くことができなくなり、困窮してしまった人。

 母子(または父子)家庭となり、親一人の稼ぎではとても一家の生活費を賄えない人。

 コロナ禍で勤め先が倒産してしまい、次の就職先が見つからずに困窮してしまった人。

 訳あってどこにも雇ってもらえず、困窮してしまった人。

 生活保護が好きな人。

 まあ最後のは冗談として(本当はごく稀にいるので冗談ではない)、そんな人たちが自分の力で生活できるまで保護、というとちょっと個人的には全部面倒を見るみたいで好きじゃないんですが、支援をする制度です。

 その最前線に立つのがケースワーカー。

 生活保護を受けている人、あるいはこれから受けようとしている人と実際に会って、その人の生活環境や病歴から家族関係、資産の保有状況(銀行口座の残り残高とか)に至るまで徹底的に調査して、その人が何にどれくらい困っているのかを把握し、制度の許す範囲で必要な支援(生活費の支給や病院受診の手配など)を行います。

 もちろん支援を開始したらそれで終わり、ということではありません。生活保護を受給している間は定期的に家庭訪問して生活実態を調査します。必要に応じて医師に病状を確認したり、親族に支援の要請をしたりもします。

 ここでみなさんに知っておいてほしいのは、生活保護は最後のセーフティーネットであり、親族の扶養義務がそれに優先するということ。法的にそうなっています。親子はもちろん、孫やひ孫、兄弟姉妹や甥や姪も、結婚相手の親だって親族で、お互いに扶養義務があり、それは生活保護より強いのです。生活保護は権利ですが、扶養は義務です。国に頼る前にまず家族間で助け合え、ということですね、乱暴な言い方をすると。これはちょっと、親族間の結びつきが強かった昔ながらの考え方なので、親族同士の付き合いが希薄になりつつある現代では時代遅れに感じる人がいるかも知れませんね。でも事実として現在の法律ではそうなっていますし、個人的には、これはこれからもなくしてはいけない条項だと思っています。

 ちょっと話が逸れました。

 とにかく、ケースワーカーは継続して受給者の支援をします。目標は、自立。自分の力で生活できるようになることです。

 生活保護は国民の権利ですが、同時に義務も発生します。自立のための努力を怠ってはならない、という義務です。

 働ける人は、一生懸命勤め先を探して就職しなければなりません。病気で働けない人は、病気が回復するために療養に努めなければなりません(具合が悪いのに病院には行きたくない、などというわがままを法律は許しません)。障害者にも、障害の程度に応じて働く義務があります(そのための施設(作業所)がちゃんとあります)。高齢の人だってそうです。本人も見落としている年金などがあれば、速やかに手続して受給しなければなりません。よくあるのが「軍人恩給」です。太平洋戦争に行って帰ってきた人の中に、この受給資格を持つ人がたまにいます。これがけっこうな額なので、老齢年金と合わせれば簡単に自立できる場合もあるのです。

 これらのことを、ケースワーカーは逐一指導(という言葉も個人的には好きではないので、指示と言い換えましょう)します。

 そうして全力でがんばった人を、全力で(法の許す限り)支援するのです。

 おお、人を助ける素晴らしい仕事じゃないか。

 と思ったアナタ。

 間違いではありません。

 でも甘い。

 ケースワーカーは、異動先としてはあまり人気がありません。なぜか。

 大変だからです。

 家庭訪問という現場仕事がある一方で、担当する受給者の支給額の決定や通知入力、扶養義務者や医師への照会文書の作成といった事務仕事も併行してやらなければいけません。一人で担当する受給者の数は、私が配属された課でいうと平均90~95世帯(「人」じゃないですよ、「世帯」です)。これ少ない方です。全国的に見れば150世帯を超えるところもざらにあったはず。仕事量だけでもなかなかです。

 それに加えて、電話対応。こんなことに困った、という相談から制度やケースワーカーに対する苦情(態度が悪いとか、冷たいとか)、単なる愚痴、嫌がらせなど、色んな電話がかかってきます。匿名のタレコミ(あの人生活保護受けてるくせにパチンコ行ってるわよ!!とか)もあれば、議員先生からのありがたいご指導もあります(皮肉ですよ、もちろん)。これもけっこう時間を取られます。

 精神的な負荷もけっこう大きい。

 相手は人間です。みんながみんな「良い子」ではありません。

 というか、人間、本能的には怠け者です。自分の好きなことだけをして生きてられるなら、それに越したことはないのです。好きなこと=働くことなら、ぜんぜん問題ないんです。後は勤め先が見つかるまで、応援してあげるだけ。晴れて就職して、全力で働いて、それでも足りなければその分は支援する。でもねえ、人は時に本能に忠実になっちゃうんですよ。支給される額で生活が成り立つなら、無理に働かなくても…ケースワーカーがうるさいけど、のらりくらりとかわしていれば、そのうち高齢になって、働かなくてもよくなるかも…なんて、変な人生設計しちゃう人もいるわけです。

 そうなると、なかなか働いてくれない。働いても、週1で3時間とか、ちょっとだけだったりする。そんな人を粘り強く指導(ここは指導でいいでしょう)するのもケースワーカーの仕事。逆に、働いて給料が出ても、そのことを申告しない人もいます。生活保護の支給額は「最低限」ですから、生活が苦しいのはわかります。でも生活保護の根本は「足りない分を支援する」です。ちょっとでも収入があったら、それを申告しなければなりません。その分、支給額を減額しなければならないからです。未申告分は「不正受給」になります。もちろん不正に受給したお金は返してもらいますし、悪質なら告訴もします。そうならないよう、常に目を光らせていなければならないのです。

 他にも言うことをきかない人はいます。

 子供の援助を受けなさいと言っても「子供には迷惑をかけたくない」と言ったり(じゃあ税金で飯を食う分にはいいのか)、通院に交通費がかかるから近くの病院にしたらと勧めても「私はあの先生しか信頼してないの」と拒んだり(自分が負担する分にはいいが、そういう人は毎月の支給額の他にタクシー代を請求してきたりする)、学校にも行かずゲームばかりしている子供(これは非常にデリケートな問題。難しいです)、家賃10万円超のマンションに住んでおいて転居指導に従わない人(憲法の「居住の自由」を主張する人たまにいます。家主とグルになって家賃詐称する人も)、どんどん子供を作っちゃう人(養えるか考えてから子作りしろ)、海外旅行のついでに現地で結婚して嫁を連れてくる人(だいたい無職で一緒に保護してくれと言います。ていうか旅費や滞在費はどこから出たんだこら)、子を虐待する親(これは深刻)、地道に働いて稼ぐより一発当てることばかり考えて株や怪しげな投資話に手を出しちゃう人(たいてい失敗します)、刑務所と生活保護を行ったり来たりする人(保護費を使い果たしたら誰かを殴って刑務所の飯を食いに行くという生活スタイル。悪いことしちゃいけません)、ギャンブル依存症の人(頼むから娯楽の範囲に抑えて)、とにかく人嫌いで家庭訪問を拒む人(頼むからドア開けて)、根っからの悪人(もう世に出しちゃいけない人間もいるんです)、etc…。

 ああ、書き出すと切りがありませんね。

 え? なんで配属されたばかりなのにこんなに書けるのかって?

 それは、私が今回、この仕事2回目だからです。

 1回目は新採用時。つまり社会人1年生の時、それから4年間やってました。

 いやもう、当時はカルチャーショックでしたね。大学を卒業したての若造には、なかなかの衝撃でした。こんな生活があるのか、と。

 まず部屋が汚い、臭い、服装もだらしない。そんな光景を他人に見られて平気な人がいるのも衝撃でしたし、そんな光景の中に平気で入っていく先輩ケースワーカーの神経にも衝撃でした。

「今日はいつもより片付いてるねえ」

 いやどこがよ? ていうか、いつもはもっと汚いの? なんか床がべとべとするんですけど!?

「あー終わった終わった。あのさ、これからコンビニ行こうぜ」

「え、何でですか?」

「決まってんだろ。靴下買うんだよ」

 やっぱり汚かったんかーいっ。

 

「お前舐めてんのかこの野郎!! ブチ殺すぞコラ!!」

「はいはい、わかったから落ち着こうね。興奮したら血圧上がっちゃうよ? それともまた酒飲んでるの?」

「の、飲んでねえよ!!」

「そっか、ならいいや。もう〇〇さんは一本気だからなぁ」

「そ、そうか? まあな。わかってんじゃねえか。ガハハハ」

「あははは」

 いやいや相手ヤカン持ってるんですけど!? 沸騰したお湯満タンなんですけど!? なんで笑ってられるんですか!?

「あー終わった終わった。いやあ、ちょっと怖かったねえ」

 やっぱり怖かったんかーいっ。ていうかちょっとどころじゃなーいっ。

 

「〇〇さん、こんにちは!!」

「はいこんにちは。お母さんいる?」

「いるよ!! ねえ〇〇さん、ゲームしよう!!」

「おう、やろややろう」

「あの先輩、家庭訪問は…?」

「ああ、適当に聞いといて。よーし、今日こそおじさんが勝つぞー」

 仕事しないんかーいっ。ていうか毎回遊んでるんかーいっ。

 

「ああケーン、悪いんだけど次の家、一人で行ってくれる? 俺、外で待ってるから」

「え、まあいいですけど…何でですか?」

「本人はいたって普通の高齢者なんだけど、一つ問題があってさ」

「え、これまでの記録には特に問題なところは…」

「犬だよ、犬」

「はい?」

「でっかい犬いるんだ、あそこ。俺、犬怖いのよ」

 そこかーいっ。

 

 …なんか、最後の方は先輩の笑い話になっちゃいましたね。

 まあ、大抵は善良な人たちなんですよ。支給された生活費をやりくりして、慎ましく生きてる。でも、そうじゃない人たちのクセがあんまりすごいんで、そっちのほうが印象に残っちゃうんですよね。

 色々ありました、ホントに。幸い、身の危険を感じたのは前述のヤカン事件だけでしたけど、喚く人や金切り声を上げる人、逆上する人、泣き出す人、果てはケースワーカーに色目を使う人までいました。

 不正受給もありました。大きいのは金額にして200万。追及しようとした矢先に本人は万引きで現行犯逮捕。警察署で面会すると、本人から生活保護を辞退したいとの申し出が。保護を打ち切れば不正がチャラになると思ったようですが、世の中そんなに甘くありません。保護は打ち切るけれど、その上で不正に受給した金額はきっちり請求。お金を返しながらでも保護は受けられるから、どうしても困ったらまた相談に来るようにと伝えました。職場に戻ると私は部長に呼び出され、「何でもっと早く見つけられなかったのか」と怒られました。

 ホント、時には割に合わない、大変な仕事です。それでも先輩や同僚、係長に助けられて、異動の辞令が出るまでの4年間、何とか挫折せずに勤めることができました。

 そんな仕事に、20年以上ぶりに戻ってきた。

 不安はゼロではありません。相手は人間ですから、きっと苦労もするでしょう。

 でも今、不思議と落ち着いています。何とかなるような気がするんです。

 配属初日、一通りの挨拶と机の整理が終わって落ち着いてから、自分が担当することになる予定の受給者の記録を拾い読みしました。

 前任者から「問題あり」と言われた人の記録から読み始めたので当然と言えば当然なんですが、やっぱり何かしらクセがある。

 最初は80を超えた高齢者で、身寄りもないし、年金は受給しているし、どこに問題が? と思いながら読んでいると、

「そのおじいちゃん、何回か結婚詐欺繰り返してるっぽいんです」

「え、80過ぎてますけど、この年で?」

「そうなんです。詐欺の証拠はないんですけど、結婚して、すぐ離婚して。その人、中国の人なんですよ」

「ああ、パスポートの写しありますね」

「向こうで結婚したから、婚姻証がありますよ。後ろに。二人で笑ってます」

「…ああ、ほんとだ」

「でも奥さんが入国審査通らなかったから、すぐ離婚したんです。怪しくないですか?」

「…めっちゃ怪しい」

「ですよねー」

とか。

 60目前でも清掃のパートでがんばってるおばさんだなぁと思って読んでいると、

「もうベテランだし、もう少し働く時間増やしてみようか」

「何でそんなこと言うんですか!! 月・水の週2回、3時間も働いてるんですよ!! あなたが働け働けって言うから、体中痛いのに無理して働いてるんじゃないですか!! 私だってもっと働けるなら働きたい!! でも無理なんです!!」

「痛いところ、医者に診てもらったの?」

「行ってないです!!」

 …いや病院行けよ。てかそもそも週2の3時間って短くね? 合わせても週に1日も働いてないよ?

とかね。

 何かしらツッコミどころがある。

 でも、これは対応したくないなぁ、とは思わない。さて、どう料理してやろうか(現実では料理できませんけど)、という思いがあります。悪いことをしたら、さてどうやってお仕置きしてやろうかなぁ、ってね。ことさら意地悪したいわけじゃありませんよ? 素直で平和なのがいちばんです。でも相手が喧嘩を仕掛けてくるなら、それを受けて立つつもりではいます。もちろん合法的にね。

 ケースワーカーの中には、受給者と仲良くなろうとする人がいます。寄り添って、信頼関係を築いて、そうして言うことを聞かせていく。そのためには努力を惜しまない。

 それはそれで理想的なケースワーカーの形ではあります。でも、残念ながら私はきっと、そうはならない。

 もちろん、相手が友好的にくれば、こちらは歓迎します。でも、反対に非友好的な態度を取られた場合に、こちらから歩み寄ろうとは思いません。それは私には「へりくだる行為」にしか思えないからです。それでは私の「自尊心」が保たない。歩み寄って拒まれたら、精神にダメージを受けるのはこちらです。なら最初から期待しなければいい。ケースワーカーは受給者の「お友達」ではないし、お友達になるために家庭訪問に行くわけではないのです。

 生活保護制度は平等です(法律ですから当たり前ですが)。ケースワーカーと仲良くなれば特別扱いされるわけでもなければ、ケースワーカーと喧嘩したからといって支給額を減額されたりすることもありません。もしそんなことを考えている受給者がいたら、最初から正しておいたほうがいい。ケースワーカーを好こうが嫌おうが、法律は受給者を支援するし、違反すれば罰します。法律が許す範囲なら全力で支援するが、法律を超える援助は一切しない。できない。ただそれだけです。

 がんばれば褒めるし、悪いことをすれば叱る。言ってわからないなら、手は上げない代わりに、ケースワーカーの権限を行使する。その方法はいくらでもあります。でもまあ、3回までは許しましょう。仏の顔も三度と言いますからね。

 受給者を舐めないほうがいい?

 わかっています。でもね、最初からガチガチに構えていくより、舐めてかかるくらいがちょうどいいと思います。やってみて、おっとこいつ思ったより手強いぞと思ったら、さっさと撤退して、次の手を考えればいい。大抵のことはやり直しがききます。命まで取られるような事態には滅多になりません。ヤカンは投げられるかも知れませんがw

 大事なのは、ブレないこと。厳密に言えば、ブレていると相手に思わせないこと。それは隙になります。隙があれば、相手はそこを突いてきます。そうならないためにはポーカーフェイスが一番。これは私、得意です。意識してやっているわけではありませんが、昔から「落ち着いて見える」「もっと年上なのかと思ってた」とか言われてきましたから。私には高校時代いじめられた経験がありますから、そのために身についた一種の防衛本能なのかも知れませんね。

 もちろん、事前準備も怠るつもりはありません。

 ざっと自分の担当地区を見てみると、どうも精神を病んでいる人や、そこまでいかなくとも情緒不安定な人が多いようなので、今度かかりつけのメンタルクリニックの先生に、精神病患者との付き合い方のコツのようなものを聞いてこようと思っています。正直なところ、私の目指すケースワーカー像は、ずばりその先生です。先生はいつもクールですが、必要な治療はしてくれるし、必要なら診断書もこちらの要望に沿った形で書いてくれます。でも、できないことはできないとはっきり言います。眠れないと訴えても、「これ以上の薬は法律上もう出せない」と言うし、病状が回復しているとみると遠慮なく薬を減らしていきます。

 もちろん私が知っているのは「私を診察する先生の姿」だけで、私の病気──うつ病以外の病気の患者にはどう接しているのかは知りません。例えばうつ病とは逆に激高するような人とはどう接しているのか、その辺を聞いてくるつもりです。

 

 

 …長くなりましたw

 もうつぶやきというよりエッセイですね、ここまで長くなると。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 とりあえず、2度目の、20ウン年ぶりのケースワーカー、こんな感じで無理なくやっていこうと思っています。誰が何と言ったって、自分が一番大事ですからね。

Img_0738

レト「レトのほうがだいじでち!!」

 ああ、うん、そうだね。キミも大事だよ。受給者よりずっとね。

 …ってか近い!! 近すぎ!! ピント合わないでしょ!!

 レトがうるさいので、今回はこの辺で。

 ケーンでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月13日 (水)

ケーンの介護日記 その7~宣告の日 後編~

 レビー小体型認知症。

 病院で、医師から告げられた母の病名がそれでした。

 後でネットで調べてみると、レビー小体型認知症の症状として、大きく4つが挙げられていました。

 ① 物忘れや判断力、理解力の低下

 ② 「幻視」や「錯乱」、「妄想」

 ③ パーキンソン症状(動きが鈍い、手足の震え、転びやすいといった運動機能障害)

 ④ 抑うつ(意欲・食欲がわかない、気持ちが晴れない)

 なるほど、と思いました。これだったのか。パーキンソン病を疑っていた「歩行困難」や「転倒」は、レビー小体型認知症の症状の一つだったのか。そして物忘れや理解力の低下、幻視(医師は「錯視」と呼んでいました)。母はもうずっと前からうつ病を患って定期通院していましたが、それもまた、認知症の症状に繋がるのか。

 治療方法としては、根本的に治癒する方法はないものの、「薬物療法」と、運動療法などにより「脳に刺激を与えること」があるそうです。

 そこで医師は、母に、病院に併設しているデイケアへの参加を勧めました。

「よければこれから見学できますよ。担当の者に案内させますが、どうしますか?」

 医師の質問に、母はどう答えていいものか少し迷ったようですが、最終的には「はい。お願いします」と答えました。

 私には意外でした。

 母は歩行が難しくなり、季節が冬になったこともあって、もう数ヶ月、ほとんど外出していません。これまで接してきた相手は、同居している私とセキセイインコのレト、そして時々やってくる私の妹の一家だけ。うつ病で気分が落ち込み気味なこともあり、いきなりデイケアなどに参加するのは無理ではないかと思っていたからです。

 母は気が進まず、尻込みして、きっと断るだろう。

 そう思っていたのに、母は医師の提案を受け入れた。母がうんと言った以上、息子の私がダメだと言うわけにはいかない。

 そうして母と私は、担当の人に案内されて、デイケア施設へと向かったのでした。

 

 

 S病院のデイケア施設は、病院の隣にありました。2階建てですが、病院の規模にふさわしく、横に広い建物でした。

 3月とはいえ、北海道はまだまだ寒い。一度病院の外に出ると、冷たい風が頬を叩いてきました。5、6メートル先に、デイケア施設があります。案内の人に続いて玄関から中に入ると、ふわっと温かな空気が体を包みました。

「どうぞ。今はお食事時なので、みんなお昼を食べてます」

 案内の人の言う通り、もう昼食の時間でした。見ると玄関を入ってすぐが食堂のようで、参会者らしい人たちが食事の最中。みんなマスクはしていませんが、笑い声やおしゃべりは一切聞こえない。コロナ下なので、ここも「黙食」なのでしょう。

 それにしても…。

(多いな)

と、私は思いました。食堂の広さに比例して、食べている人も多い。ざっと見て、学校の一クラス分はいるのではないか。

「何人くらいいるんですか?」

「40~50人です。でも、2階にもいますから」

「2階にも食堂があるんですか!?」

「はい。1階とほぼ同じ構造です。2階のほうが少し狭いですけど」

 ということは、2階に同じだけ人がいるとしたら、参加者は100人近くいることになる。私は驚きました。人の多さそれ自体に驚いたことはもちろんですが、札幌市の隣とはいえ、いち地方都市の、いち地区に、こんなに多くの認知症患者がいるという事実にも驚かされました。

 超高齢化社会。その現実をまざまざと見せつけられた気がしました。私がうつ病で家に引きこもり、社会との繋がりを断絶している間に、世の中はこんなことになっていたのか。

「では、戻りましょうか。面談室で詳しいご説明をします」

 案内の人に促されて、母と私は病院へと戻りました。

 面談室に着いて着席すると、デイケア施設のパンフレットを渡されました。そして、施設についての説明を一通り受ける。

 おおまかな流れとしては、朝の集いがあって、それから午前の活動。12時から昼食と休憩があって、午後の活動へ。最後に茶和会があって、それぞれ帰宅。活動の内容はさまざまで、体操だったり、創作だったり、レクリエーションだったり。朝9時から夕方15時までの滞在となるようでした。

 それから、利用料金の説明。1回の利用料金はだいたい1,200円。例えば週に1日参加して場合は、約1,200円×4回で約4,800円になるといいます。そして利用にあたっての注意事項、利用申し込みの手続きと、説明はどんどん続いていきます。

「ちょ、ちょっと待って。まだ見学しただけで、参加すると決めたわけじゃ…」

 そう言いたくなりましたが、母が黙って聞いているので私も話を遮ることはしませんでした。

「…以上が、当院のデイケア施設の概要です」

 説明が終わると、診察室前の待合スペースに案内され、しばらく待機。すると、看護師長がやってきました。

「午後からケアマネさんとの打ち合わせがあるんでしたよね?」

「ああ、はい」

 そう言えば、看護師長には言ってあったのでした。今日の受診が終わった後、午後からケアマネジャーのOさんが来て、これから受ける介護サービスをどうするのか、本格的な打ち合わせがある、と。

「ケアマネさんにはこちらからも、デイケアの参加も検討されていると伝えておきます。それを聞いたら、ケアマネさんはデイケアのことも考えてプランを作成してくれるでしょう」

 そう言うと、看護師長は母と私を会計の窓口に案内しました。今日の受診はこれで終わり、ということか。

「あ、ちょっと待ってください」

 私は看護師長を呼び止めて言いました。確か薬は2週間分出すと医師は言っていたが、すると次回の受診はいつになるのか。

「特に予約は必要ありませんが、Y先生(今日診察してくれた医師)の診察は木曜日か金曜日の午前中になりますので、どちらかの日に…」

「それはちょっと困ります」

 私が母に市立病院からの転院を勧めた理由は二つあります。

 一つは母のパーキンソン病を疑っており、その検査・治療ができる診療科が市立病院になかったこと。そしてもう一つは、この病院は市立病院とは違い、土曜日も診察をやっていることです。

 市立病院は知ってのとおり公立の病院なので、週休二日制が徹底されており、土日はやっていません。今後も通院を続けるとなると、私が付き添うためには平日に休暇を取らなければならなくなります。3月については、上司と相談し、病院の受診から介護施設との打ち合わせ、市役所での要介護認定の申請など諸々あるのでたくさん休みます、とあらかじめ許可を取っていましたが、4月以降はそうはいきません。

 母には精神科と内科の受診が必要で、3月中には整形外科も受診させるつもりでいました。母は常々「膝が痛い」と訴えており、一時期鍼灸院に通ったこともありますが、症状は改善していない。なのになぜか病院にかかろうとしないのです。認知症の件の道筋が見えたら、そこを何とか説得して整形外科を受診させ、きちんと検査してもらおうと思っていたのです。

 とにかく、母のために動くなら3月中がチャンスでした。

 内科はいつも、月に1回、私と一緒に土曜日に受診しているから問題ないとして、整形外科はどうなるか。私としては、市立病院の整形外科を受診させるつもりでいました。土曜日にやっていないのは不満でしたが、別に私は市立病院が嫌いなわけではありません。むしろ、検査をするなら公立の大きな病院のほうが良いと考えているのです。

 仮に整形外科で定期的に治療が必要な何らかの疾患が見つかったとして、通院は2週間に1回が一般的だ。症状が安定してくれば1ヶ月に1回という形になるだろうが、初診からしばらくは2週間に1回となる可能性が高い。そうなると、4月以降、2週間に1回、二つの病院に母はかからなければならなくなる。それに付き添うには、どちらか一方は土曜日の受診である必要がある。でなければ私は、1ヶ月うちに2回×2病院で4日休暇を取らなければなりません。そんなペースで休んでいたら、あっという間に有給休暇を使い果たしてしまうし、職場にだって迷惑をかけてしまう。

 だから、土曜日でも受診できるS病院への転院を母に勧めたのです。

「何とか、次回から土曜日の受診になりませんか」

「…ちょっと待っててください」

 そう言って看護師長は医師と相談に行きました。そして戻ってくると、

「今日は初診ですから、まだ当面はY先生が診ます。安定してきたら主治医を変えることも考えますが、次回はY先生に診てもらってください」

と答えました。

 これは医師の判断だ。だから、ここで看護師長とこれ以上議論しても無駄だろう。それがわかっていたので、私もそれ以上の追及はやめました。

 仕方ない。当面はと言うんだから、いずれ土曜日になるだろう。それまでは、また上司に相談するしかないな。

 それから会計で支払いを済ませ、隣のカウンターで薬を受け取る。今では薬は院外薬局で受け取るのが普通ですが、この病院は院内で済ませられるのでした。しかも嬉しかったのは、薬の分け方です。以前までは薬はたくさんの袋に分けられていました。私ですら整理に難儀するくらいの量で、だから薬の種類を減らせないか医師に相談したのです。

 ところが見ると、袋は5種類しかない。朝食後、昼食後、夕食後、寝る前、そして貼り薬です。中を見ると、例えば朝に飲む薬は、全部が小さな透明の袋にまとめられていました。他もそう。飲む時は、その小袋を取り出して、中身を全部飲めばいい。いちいち袋を開けて、夕食後に飲むのはこの薬が2錠とこの薬が1錠…などど探してゆく必要がないのです。薬の管理が格段に楽になる、というより、もう管理する必要がない。

 これはありがたい配慮でした。さすがに認知症患者の治療に力を入れているだけはある。これだけでも、転院して良かったと思えました。

 こうして母と私は、長い長い午前中を終えて、帰宅したのです。

 

 

 午後、14時頃にケアマネジャーのOさんがやって来ました。

 すでにOさんはS病院からの連絡を受けており、それを踏まえて、3つのパターンのケアプランを作成してきました。

 ① 1週間のうち、全部を介護職員の訪問のみとするパターン

 ② 1週間のうち、半日(午後)だけY事業所(小規模多機能ホームY)に通所し、後は介護職員の訪問とするパターン

 ③ 1週間のうち、1日だけS病院のデイケア施設を利用し、後は介護職員の訪問とするパターン

「どれがいい、母さん?」

「うーん…どれがいいんだろう…」

 ここで私はあえて言いました。

「本音で、正直に言って? 本当にデイケア行くのでいいの?」

 私には一つの疑問がありました。

 母は医師に勧められた時、その場の雰囲気や話の流れで、断りたくてもできなかったのではないか、と。

 医師の手前、「はい」とは言ったが、本音では気が進まなかったのではないか、と。

 確信はありません。でも、今の母に大勢の、しかも知らない人たちの中に入っていく勇気はないのではないか。そう思えてならなかったのです。

「大事なことだよ? 本当に、正直なところどうなの?」

 少しの沈黙の後、母は言いました。

「本当は、気が進まない」

 やっぱり。

 私はほっとしました。

 危ないところだった。今、大勢の他人の中に放り込めば、きっと母の、認知症はともかく、うつは確実に悪化する。その確信がありました。私は医者ではありませんが、長年うつ病を患ってきた経験があります。

 うつ真っただ中にいる人間が、見知らぬ人間の集団の中に放り込まれるとどうなるか。周囲になじむ気力がなく、結果としてなじむことができず、なじめなかった自分がとてつもなく惨めになって悲しくなる。相手が楽しそうにしていればなおさらそうです。楽しげな周囲の人間と自分を比べて、その落差に絶望する。自分が嫌になる。そしてますます気持ちが落ち込んでいくのです。

 うつが悪化すれば、それに引きずられて認知症がひどくなるかも知れない。そうでなくとも、うつ症状だけでも、人は自分の命を危険にさらすのです。以前、母が自分が嫌になって精神薬を大量に飲み、自殺を図ったように。

 本音を聞けてよかった。

「今の母には、たとえ少人数でも、集団の中に入るのは無理だと思います。だから、最初は①のプランで始めさせてください」

 結論として、私はそう回答しました。

 Oさんも、

「たぶん、それがいいでしょうね」

と理解してくれました。

「もちろん、家族としては、いずれは家族以外の人とも触れ合って、楽しく交流してほしいと思っています。ただ、急ぎたくはない。スロースターターでいきたいんです」

「わかりました。では①で始めましょう。S病院のほうへは、私から連絡しますか?」

「いえ、明日、私が連絡します。お詫びも言いたいし」

「そうですか。それではお願いします」

 それから少し雑談した後、ケアマネジャーOさんは帰っていきました。

 時刻は夕方の4時を回っていました。私は夕食を買いに出掛けなければなりません。

「疲れたね、母さん」

「うん」

「これから夕飯買ってくるから、母さんは寝てなよ。食べるのは6時でいい?」

「いいよ」

「じゃあ、買い物行ってくる。レト、行ってくるからね」

「ぴよ!!」

「ご飯が終わったら遊んであげるからね。それまでお利口にしてるんだよ」

「ぴよ!! ぴよ!!」

「いってきまーす」

 そうしてレトの声を背に、私は買い物に出掛けたのでした。

 今日もパスタにしようかな。

 そんなことを考えながら。

 

~つづく~

Img_0740

レト「はやくだして、でち!!」

 

↓ポチッと↓

にほんブログ村 介護ブログ 親の同居介護へ
にほんブログ村

2022年4月10日 (日)

このどうしようもなく醜く愛しい世界で

 どうも、ケーンです。

 私は年代こそアラフィフですが、世の中のことを詳しく知っているわけではないので、あまり社会的・政治的な発言はしないようにしてきました。

 でも、ここ最近のニュースを見ていると、

「なんか世の中おかしくないか?」

と思うことが多々。それがたまりにたまって、どこかで吐き出さないとおかしくなりそうなので、この場を借りて吐き出させていただきたいと思います。

 なお、これはあくまでも個人的な見解です。特定の思想や団体などを支持、あるいは糾弾する目的のものではありませんので、そこはお間違えのないようにご注意願います。

 

 

 最近ニュースを騒がせているのは、何と言ってもロシアによるウクライナ侵略でしょう。

 今、私はあえて「侵略」という言葉を使いました。でもニュースでは「侵攻」と言っていますね。他国の領土に攻め入ることを「侵攻」といいます。「侵略」とは、他国の領土に武力で侵入し、土地や財物を奪い取ることです。これは国語辞典にはっきり書いてあることです。

 ロシアはウクライナに軍隊をもって攻め入り、その土地を占領しました。民間人から略奪もしています。略奪などでっちあげだ、とロシアは言っていますが、一部の土地を占領していることは紛れもない事実です。なのでロシアがやっていることは明らかに「侵略」なのです。

 でも、こんなことは些細なことです。侵攻だろうが侵略だろうが、ロシアがやっていることは許されないことなのですから。

 ちなみにロシアでは今回の件をそもそも「戦争」とは言っていません。「特別軍事作戦」と言っています。これもおかしな話ですね。国と国とが軍事力をもって争うことを「戦争」と言うんです。ロシアがウクライナに軍隊で攻め入った。ウクライナの軍隊はこれに反撃した。これが戦争でなくて何だと言うのでしょう。P大統領は「ウクライナが反撃したから戦争になった。ウクライナが反撃してこなければ戦争にはならなかった」とでも言うつもりなのでしょうか。これは「俺はお前を殴る。だけどお前は殴り返すな。そうすれば『喧嘩』にはならない」と言っているのと同じことです。

 でも、私がいちばん引っ掛かったのは、ロシア軍が民間人を虐殺した、というニュースが報じられた時です。

 欧米諸国は一斉にこれを非難しました。日本も「戦争犯罪だ」と言って非難しました。

 そう、「戦争犯罪」という言葉。これが解せなかった。

 調べると、「戦争犯罪」とは「戦争における国際法(戦時国際法)に反する行為」のようですが、そもそも戦争そのものが犯罪ではないのでしょうか? 戦時国際法には、戦争において攻撃目標は戦闘員と軍事施設に限られるとか、軍事目標と民用物を区別なく攻撃してはいけないなどと書かれています。つまり今回は、「ロシア軍が民間人を殺した。国際法に反する。けしからん」というわけです。

 非難するのは当然のことです。今回のことで、ロシアは国連の人権理事会から追放されました。当たり前です。

 でも、と思うのです。

 国際法に反する「戦争犯罪」を犯していなければ、それでいいのでしょうか?

 もちろん世界各国はロシアの侵略戦争を非難しています。でも、ロシアは依然として、国連安全保障理事会の常任理事国の座に留まっている。なぜでしょう?

 ロシアの侵略戦争を非難するなら、ロシアがウクライナに侵攻した時点で、安保理から追放して然るべきではないのでしょうか?

 世界の安全を保障するのが安保理でしょう? ロシアは、ウクライナという独立国の安全を、武器を持ってぶち壊したんですよ?

 それとも、ルールにのっとって戦争する分にはかまわない、とでも言いたいのでしょうか? 民間人を殺害するのは人権侵害だが、軍人を殺すのは人権侵害にあたらない、とでも?

 民間人だろうが軍人だろうが、人には生きる権利があります。これはもう社会ではなく道徳の範疇に属する当然の真実ですが、多くの国では「生存権」として法的に保証されています。日本でも、憲法に基本的人権の一つとして定められています。

 みなさんも親や先生から教えられましたよね? 

 人を殺しちゃいけません。

 物を壊しちゃいけません。

 他人の家に勝手に上がってもいけません、と。

 そう教えられるのは、それが「悪いこと」だからです。破ってはいけない社会の「ルール」だからです。

 でも、その「悪いこと」を国家規模でやってるのがロシアなんです。

 色んな利害関係やしがらみがあるのでしょう。ロシアを表立って批判できない国もあれば、ロシアの行為を擁護する国まである。思うに世界の国々は、ちょっと複雑に、密接に繋がりあいすぎたのかも知れませんね。

 日本だってそうです。

 日本は先日、ロシア産石炭の輸入を段階的に引き下げ、最終的には停止することを発表しました。ロシアに対する経済制裁の一つです。

 でもこれも、EUがロシア産石炭の輸入禁止を決めたことに追随するもので、ただでさえ資源に乏しく、エネルギーを輸入に頼っている日本が単独で決断できたかどうかは怪しいものです。そもそも石炭はCO2排出削減の流れで、依存度が減っている。ここで止めてももともとのエネルギー政策への影響は少なくて済む、という計算もあるのでしょう。

 一方で、ロシアの天然ガス開発プロジェクト「サハリン2」からは撤退しないといいます。撤退するとガスの安定供給に支障が出るからだそうで、確かにガスの供給が滞れば日本国民も困るでしょう。でも、天然ガスはロシアから買うしかないのでしょうか? 曰く、サハリン2との契約は10年先まで残っていて、調達を取りやめても代金は支払うことになっているといい、大損になる、といいます。

 さすがは経済大国ニッポンだ、と笑ってしまいますよね。戦争放棄を憲法でうたった世界唯一の国、という矜持はどこへいったのでしょう。

 今回は相手がロシアだったから日本も非難できました。それでも徹底できていない。これがもし、相手が欧米諸国のどこかだったら、日本は果たして毅然とした態度が取れるでしょうか。

 例えば、あるアメリカの過激思想の持ち主(T氏のような男)が大統領になり、トチ狂って、

「ロシアは侵略戦争を行った悪の枢軸だ。滅ぼさねばならん」

などと言ってロシアに軍隊を送り込んだとしたら、日本は「そんな馬鹿な真似はやめなさい」と言えるでしょうか。

 アメリカが「イラクは大量破壊兵器を作っている。けしからん」と言ってイラクに攻め込んだ時、時の日本国首相は何と言ったでしょうか。そして結局大量破壊兵器が見つからなかったと報じられた時、何か弁明したでしょうか。

「大量破壊兵器だなんて言ったら、あんたの国は世界一の核保有国じゃないか。そっちのほうがけしからん」

などと言ったりしなかったことだけは確かです。

 日本の行く末も、心配でなりません。

 

 

 色々と書き連ねましたが、要するに、戦争が悪いことだとみんな頭ではわかっているのに、それを堂々と非難できないことのある世の中ってどうなんだろうね、ってことです。

 え? P大統領はわかってないって?

 そんなことはありません。あの男はわかってやってるんです。知性も理性もある男ですから。そのうえで、それを正当化するための計算と作戦があるんです。わかっていないとしたら、それは例えば十字軍なんかかそうですが、狂信者の類ですね。あんな連中を現代の人間と一緒にしてはいけません。あいつらの頭の中には、絶対の善(神)と絶対の悪(悪魔)しか存在しないんですから。

 今は多様性が認められる世の中です。世の中にある色は白と黒だけじゃない。色んな色があるんです。

 そんなこと、昔の日本人はとっくに知っていましたよ。八百万の神。神様だって多種多様、善い神様もいれば悪い神様もいる。どちらでもなく、ただ存在するだけの神様だっている。昔の日本人は、近代の日本人よりよっぽど先進的だったんですねえ。

 …話が逸れました。

 まあでも、それでもまだ現代の日本はマシなほうです。不完全とはいえ、こうして言論の自由が認められているんですから。

 これがロシアや北朝鮮ならどんなにひどいことか、あまり考えたくありませんね。生まれる国は自分で選べませんから、日本に生まれた自分は幸運だったと、つくづく思います。

 ここまで長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

 次回からまた、できるだけ楽しい記事を書きます。

 それではまた。

 ケーンでした。

 みんな、なるべく善く生きようね!!

Photo_20220410205301

 PEACE!!

 

 

 

 

 

«ケーンの介護日記 その6~宣告の日 前編~

無料ブログはココログ